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カミュと「不条理」、カフカ、村上春樹【文学ラジオ #1 情報まとめ】

こんにちは。人間のニンゲンです。

「ワンとニンゲンの文学ラジオ」第1回、公開中です。秋の夜長のお供にぜひお聴きください。

今回も「文学ラジオ」第1回で出てきた文学用語のwikiや関連書籍をここにまとめます。
いかんせん本編は解説をほぼしないスタイルなので、聴いていて「?」ってなった人名・書籍名・専門用語等はこの記事を参照してみてください。

ではいきましょう。


■ アルベール・カミュ Albert Camus (1913-1960)

フランスの小説家。文学ラジオで取り上げている「異邦人」の作者まさにその人です。

2020年に新型コロナウイルスが都市生活者のほとんどを家に閉じ込めたとき、「ペスト」がよく売れましたね。

カミュについては「異邦人」を通じて本編でがっつり話しているのと、たぶん引き続き色々書いていくことになるので、今回は次項で「不条理」というキーワードにフォーカスしたいと思います。

■ 「不条理」

 Q.  ラジオで不条理不条理言ってるけど、不条理ってなんなの?
 
 A. 「シーシュポスの神話」を読んでください。

わりと本気でこれで済ませたいです。
でもそれではあまりに無責任なので少しばかり解説っぽいことを書きます。wikipediaの説明もちょっと微妙でして。

不条理という言葉にはいくつかの意味があって、単に「合理的でない」くらいの意味で使われることもあります。でもあんまり日常では言わないですね。

文学ラジオで言っている「不条理」は、カミュが独特の意味を込めている言葉です。
厄介なのは、その込めている意味が、カミュ自身その時々で若干変わってしまっていること。まさに不条理。
「不条理」の解説をしたくない主な理由はこれです。

しかしおそらくカミュの言う「不条理」の意味は大きく2つに分けられると考えています。なので参考までに僕の解釈を以下に書きます(誤解などあったら教えてください)。

 ① 世界・状況の「不条理」

人間と、世界・状況との対立関係です。
たとえば、僕たちは労働を日々繰り返しています。多くの場合、疑問を挟んだり矛盾を感じることはありません。
しかし僕たちはときおり、世界・状況と自分との間に対立関係があることに気づくことがあります。

「あれ、毎日働かなくてもいいんじゃね?」とか、「ゴリラの檻に入って殴り合っても勝てるんじゃね?」とかもそうです。
疑問を持たずにいた日々の常識や慣習、状況に対して、対抗する。この緊張、対立関係こそが「不条理」です。

世界・状況の不条理は、山の頂上まで巨岩を何度も運ぶ刑罰を神々から課せられたシーシュポスの神話にたとえられます。

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「シシュポス」。麓と山頂を何往復もする刑罰です。嫌すぎる。

 ② 「不条理な人間」

①を認識した人間です。
「不条理な人間」は、世界が「不条理」であることを知っています。たとえ「不条理」に抗えないと知りつつも、自らの熱情で運命を選ぶことができます。
①の例で言えば、不条理な人間は仕事を辞めることもできるし、辞めないこともできます。ゴリラと戦うこともできるし、戦わないこともできます。

ここで重要なのはどういう行動を選ぶかよりも、世界・状況との対立関係=不条理を見つめ続けることです。

シーシュポスは何度も岩を山頂に持ち上げ、岩は何度も麓に転がり落ちます。刑罰はいつまで続くともしれません。しかし彼が下山するとき、彼は延々と続く抗えない責め苦をはっきり認識しています。山の麓に戻ったシーシュポスは、自ら選んで再び巨岩を山頂へと運びます。

けっこう、熱くないですか? 僕は初めて「不条理」の観念を知ったとき奮い立ちました。
「シーシュポスの神話」、燃えたいときにおすすめです。

■ フランツ・カフカ Franz Kafka (1883-1924)

チェコの作家。
歴史上何人かいる、世界文学をぶっ壊した人の一人です。
カミュも、次項の村上春樹も、それぞれやや違った形でですが、カフカの影響をバッシバシに受けています。

「変身」の冒頭が有名ですね。「朝目覚めるとグレゴール・ザムザは虫になっていた」(うろ覚え)。すみません正確に引用しようと思ったんですが棚のかなり奥の方にあって取れず諦めました。


翻訳によっては「毒虫」だったり、出版社によって挿絵の虫の姿が違ったりするようです。「変身 挿絵」で検索すると結構攻めたデザインの虫のイラストがたくさん出てくるので注意。

でもカフカ自身は当時「虫の挿絵は載せるな」と出版社に言っていたらしい。読者が想像する虫の姿に先入観を持たせたくなかったのでしょう。僕らの想像次第で、虫はいくらでも醜くなりますし、ともすれば可愛らしくもなりますもんね(そう読めるかは別として)。

で、「変身」は当然良い小説です。良いんですが、僕が一番推したいのは「城」です。これは完全に僕の考えですが、おそらくカフカが世界文学をぶっ壊したのは「城」によってです。

ある冬の夜ふけ、Kが村にやって来る。測量士として城から雇われたのだ。しかし、城からの呼び出しはない。城はかなたにくっきりと見えているのに、どうしてもたどりつくことができない。この城という謎の存在をまえにして、一見喜劇的ともいえるKの奇妙な日常がはじまる。

白水uブックス カフカ「城」池内紀 訳 裏表紙から引用

非常に良くまとまっているあらすじです。こんな風に上手く要約できるようになりたいものです。
しかしこれだけだと「ちょっと不思議なドタバタお仕事劇」が始まりそうです。まあ実際間違っちゃいないんですけど。

走っても走っても前に進めない夢を見たことがあると思います。「城」って、全編通してあんな感じです。

悪夢ってクセになりませんか? 決して快くはないんだけど、強い何かを心に残してゆく。「城」は、読んでいる間ずっとその感覚が続きます。
悪夢が嫌いじゃなければ、ぜひ読んでみてください。

「城」は未完です。僕が読む限りですが、同じく未完の「失踪者」「審判」は、構造は似ているもののなんとなく結末が意識されている跡があります。 
しかし「城」には、おそろしいことにそれがない。これは本当におそろしい。カフカは、「城」の結末に至ることが不可能だと気づきながら書き続けていたかもしれないということです。
まるで岩を山頂に運び続けるシーシュポスです。

■ 村上春樹 むらかみ はるき (1949-)

言わずとしれた、現代日本・世界文学を代表する作家です。

恥を忍んで言います。実は後期春樹作品を1作も読んでないです。21世紀入ってから書かれた「海辺のカフカ」あたりから1作も読んでないんですよね。深い理由はなくて、「ねじまき鳥クロニクル」が面白すぎて一旦満足しちゃったんだと思います。
まずは「街とその不確かな壁」読みますすみません。

そんなレベルなので「マイノリティへの視線が云々」とか文学ラジオでそれっぽいこと言ってますけど、「は?全然わかってねーな!」というご批判はSpotifyのアンケートやここのコメントや各種DM等で遠慮なくぶつけてもらえるとありがたいです

前述の通り「ねじまき鳥クロニクル」が好きなんですが、それを原作にした舞台もちょっと凄い。
インバル・ピントというイスラエルの演出家が演出・振付をしています。村上春樹の夢幻的な世界とコンテンポラリーダンスの相性が良すぎて、この舞台のために書かれた小説なんじゃないかと思うほどでした。

僕は幸運にも観ることができましたが、2020年コロナ禍に重なり、スケジュールの半分くらいで公演中止になっていました。しかしなんと再演あるみたいですね!

あとやっぱり春樹原作で外せないのは濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」です。原作読んでないんですけどね。

この映画を観てから四国出身者に会うたびに「瀬戸内の海は波が穏やかでいいですよね」って言ってます。いつも「元ネタバレるかな」と少し緊張しつつ言うんですが、バレたことは一度もありません。
なんでもない台詞なんですが、良い台詞です。

「ドライブ・マイ・カー」はいつかラジオで取り上げたいなあ。ワンさんが観てくれれば。


今回はここまで。取り上げた3名は少なくともあと200年は読まれそうな大作家でした。それもあってか長くなってしまいました。
最初はもっとライトな記事にするつもりだったんですけどね……。お付き合いいただきありがとうございました。

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X(Twitter): @wan_and_ningen

それでは。

サルトルとボーヴォワールを忘れてました。また機会が来たら書きます。

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