一人旅とアイデンティティ
今でこそ旅行ブログや外部メディア様に記事を書いたり、旅行ライターとしてインタビューに呼ばれたりするようになった私だが、まだ旅行、特に一人旅に没頭するようになるきっかけについて説明したことがなかった。
この記事は、2019年で47個めの記事だ。
「2019年は48個noteで記事を書く」と決めており、最後の48個めの記事はどうせnoteを1年やってみてどうだったかという内容になると思うので、終盤といっても過言ではないこの辺りで話しておきたい。
初めて一人旅に行ったのは2011年で、当時はまだ大学生だった。
新幹線の切符の買い方も飛行機の予約の仕方も分からず(乗車券と特急券の違いって?新幹線から降りたあと新幹線の切符で鈍行列車に乗れるのはどうして?)、自分が好きなことさえ分からなかった(前から楽しみにしていたゲームを買ったのだが買ってすぐつまらないと感じて返品した。そのあと気が変わって買い直したら面白かった)。大人にさしかかった年齢で、世の中のことも自分のことも知らない無の状態でいることがとても恐ろしかった。
あと、小さいころから人と遊ぶより、一人で読書などに没頭している方が楽しいという人間だったというのもある。高校から大学に上がり人生の行動の自由度が上がったため、自分のことを知っている人が誰もいない場所にいって一人きりになりたかった。
つまり、一人で行動できるようになりたい、一人で行動して自分が何を楽しいと思う人間なのか確認したい、そして、単純に一人ぼっちになりたいと思って一人旅に出たのである。行き先に沖縄を選んだのも、国内でできる限り遠くに行って、より一人になりたいという気持ちのあらわれだったのかもしれない。
そんな背景もあり、初めは特に一人旅を楽しみにしていたわけでもなかった。上記の課題を解決するための手段にすぎず、途中で後悔して帰りたくなるかもしれないと思った。そんな心持ちの上に初めての一人旅にも関わらず、何と7泊8日でホテルと飛行機を予約した。自分を追いこみたかったのだろうか。
結論からいうと一人旅は楽しかった。最初に書いた通り、ブログで書いているうちに、それを見た外部メディアから執筆の話が来るくらいのめりこんでしまった。人生は分からないものである。
今ふり返ると、大学時代の不安感はあれくらいの年ごろにありがちな、自己のアイデンティティが確定できないことに悩んでいるモラトリアム期間だったのだと思う。
アイデンティティは好きなものによって作られる一面があるので、「一人旅を好む」という強固なアイデンティティができ心身の安定につながったことから、没頭していくようになったのではないか。
一人旅をアイデンティティの大黒柱にしたのが正解かどうかはまだ分からないが、こうして元気に一人旅を楽しめているので、間違いではなかったと今のところは思っている。
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