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桜は、時が流れて行くことを教えてくれる花である。流れ行く時間を後悔しないために見つめてみると…

3月の終わりは急速に暖かさが増し、出かけるとあちらこちらで桜の花に出会える。一年に一度の景色を見て、一年が巡ったことを実感する。ひとことでは言い切れない日々を懐かしく振り返る人もいれば、そっと忘れてしまいたいことがある人もいるかもしれない。いつの歳からか、桜の花を見ると心が微妙に揺れ動くようになった。

【桜は花見をする】

桜の蕾が膨らみ始め、やがて一斉に咲き出す。この時期になると、幼い頃母と桜の花見をするために自宅近くの川沿いの道を歩いたことを思い出す。幼かった私は、桜の花を特別きれいだと思いながら眺めた記憶はない。花の美しさより、春の陽気の中で歩くこと、花見を楽しんでいる人や母の気配を感じながら一緒にいることが楽しかった。

桜の花を見ている母は、それ以外の花を見る時とは何となく違って見えた。そのことを子ども心に不思議に感じたことを覚えている。子どもの頃は毎年一緒に花見を楽しんだ。二人の時もあり家族が揃うこともあった。やがて成長するにつれて、いつの間にか家族が一緒に花見をすることはなくなっていった。

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家族との時間が減っていくのに反比例して、一日一日、一年一年、時間の経過の中で経験が増えていく。その時々の出来事を通して考えることや感じることも増えていく。いろいろな人と出会い、いくつかの細やかなストーリーが心の中に積み重なっていく。

【ある年のこと】

何気なく桜の花を見上げた時、今までに味わったことのない感情に気付いた。新しくたくさんのことが始まる季節なのに、ほんの少しだけ切ないような寂しいような不思議な気持ちがした。桜を見た瞬間にどこかから突然現れたその感情は、胸の中に仕舞われていたいくつかの思いが心の表面に滲み出てきたようだった。幼い頃一緒に花見をした時に感じた母の不思議な気配は、ふいに私を襲った感情からくるものと同じか、またはとても近いような気がした。

【予定されていた別れ】

何度も経験する別れの中でよくあるのは、4月に出会った人と3月に別れるということがある。たまたま同じ地域に生まれた、たまたま同じ年に生まれた…様々な偶然の結果、学校や教室という一つの空間に集められ、居合わせた人を級友という。共通点が多いが故に話が合い、仲良くなり関係が親密になっていくことがある。あるいは、気の合う人が見つからず孤独を感じながら過ごすこともある。

ほとんどの場合一年きり、場合によってはもう少し長期になることもあるけれど、時が過ぎればいずれは離れていく

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人と離れていく時の感情を思い出してみる。しっかりとした心の交流があったり印象的な時間を共有した人との別れは、自分の一部を失うような気がして寂しい。心を開くチャンスがなかったり思いや考えを理解し合えなかった人との別れは、大概あっさりとしている。

【不意の別れ】

人生の中で経験する別れは予定されたものばかりではなく、不意に訪れる別れがある。不意に訪れてまたいつか会えることもあれば、二度と会えないという別れもある。再び会える別れには自由がある。会いたくなれば会えばいいし会いたくなければ会わなくても良い。

辛いのは、もう二度と会えないという別れである。会いたい人に会えないほど辛いことはない。再会する可能性が完全に閉ざされているのが死別である。取り返しのつかないことに分類される。不意の別れを経験しないまま大人になる人もいれば、幼い身で経験する人もいる。何度も経験する人もいる。経験しないままに生き続けることは難しい

【別れの連続】

人はいつの頃か、人生は別れの連続であることに気づく。中でも別れの季節である3月は、現実にその地点に立つことによって否が応でも自覚してしまう。世の中は別れで満ちていることに気づいたときが大人への入り口なのかもしれない。  

時は戻ることなく前へ前へと進んでいく。季節は繰り返し何度も廻る。始まりが春なのか、夏なのか秋なのか、それとも冬なのかはわからない。今年も、去年と同じように巡ってきた春は、去年と同じように寒暖を繰り返しながら着実に本格的な春に向かっていく。去年と同じように雨が降って桜の蕾が膨らみ、雨が止んで桜が咲き、風が吹いて桜が散っていく

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一周回って約束通り春に戻ってくる。けれど、今年の春と去年の春は違う。去年は当たり前のように隣にいた人が今年はいなかったり、自分の居場所が変わったり、仲の良かった人と会えなくなったり、新しい環境での生活がもうすぐ始まろうとしていたりする。

【世界は生きている】

アルバムの写真は撮った時のまま、時はその中で止まっている。頭の中の記憶を過去に戻していくと、時計の針が逆に動き出し記憶が蘇る。しかし、目の前に見える風景や様子は常に変化を続けている。今という瞬間のすぐ先のことはわからない。途切れることなく新しい時間が続いていく。その時々の選択で未来は微妙に変化したり、時には大きく変化する。

時が過ぎゆくことを意識しないまま過ごしていても、3月から4月に移り変わる時期には、時の流れを敏感に感じる。変わらないと思っていたものが実はずっと変わり続けていることに気がつき、当たり前と思っていた日常が本当は当たり前ではないことに儚さを感じてしまう

時々過去を振り返り後悔したり、あの頃に戻ってもう一度やり直したいと思うことがあるが、敵わない願いであることも知っている。

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この世界で生きる限り、予定されていた別れも不意の別れも必ず訪れる。その時どのような感情になるかは、別れるまでにどんな時間を共有したかによるかもしれない。できれば、後悔の感情を持ちたくないと思う。後悔しないためには、当たり前に過ごしている時間を大切に扱わなければならない。どの瞬間も大切に過ごしていきたい。

自分ができる精一杯のことをする。自分を大切にし、自分以外の人のことを尊重する。簡単なようで難しい。そして、どれだけ努力しても後悔しないとは言い切れない。それでも後悔しないように生きていきたい。


たくさんの寒さを経験した冬のあとに春はやって来る。桜は、人も世界も生きているからこそ同じ瞬間は二度とないことを、人の胸に刻み込む不思議な花である。桜を見る人それぞれの横顔は穏やかであったり晴れやかであったり悲しみに満ちていたり。その胸の奥にはいくつもの小さな無名のストーリーがあるだろう。

私の胸の内にも新しいストーリーが積み重なっていく。そんなことを考えながら、今年も桜の花を見る。

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桜前線レポート

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