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人生の岐路、運命の波。決断する、翻弄される。

人生にはいくつかの岐路があり、決断を迫られる。目の前にある二つの道のどちらを選ぶか。選んだ道を進みながらも、そこに運命の波が押し寄せる。翻弄される。選ばなかった道を振り返った時、そこにも運命の波の跡がある。

ちょっと前に、友人の一人が私の離婚を知り、相談してきた。彼女は日本人で、夫はレバノン系カナダ人。19歳と17歳の子供二人。彼は周囲から「神」と崇められるほどの優秀な仕事人。最近会社を売って semi retired ライフに入った。

彼は帰宅すると玄関先でコートを床に脱ぎ落とし、彼女がそれを拾って片付ける。出張する時は彼女がスーツケースを詰める。あと1時間くらいで帰宅するけど、同僚を数人連れていくから食事の用意をしておいてくれ、というのが、週に一度はあった。そんな連絡が来ると、彼女はあたふたと買い物に走った。

兄弟姉妹の多い長男なので、年に数回は一族郎党が彼女の家に集まる。集まるだけじゃない、1週間から2週間も滞在する。

彼女名義の銀行口座はなく、ATMでのお金の出し方も小切手の書き方も知らない。が、彼女がどうクレジットカードを使おうと、彼は一切口を出さない。全ての財産は共同名義。経済的には十分に満たされた生活であり、彼女はそれをいいことに浪費するタイプではない。

「私は、家政婦だから」と彼女は言う。

子育てに関する夫婦の意見は一致しない。子供が大きくなるにつれ、息子は父親に反発し怒鳴り合い、娘はそういう父親に従い続ける母親に呆れている。このご時世のアメリカのteenagerの女の子なら当然の反応だろう。「軽蔑されていると思う」「でも自分たちが父親の成功のおかげでどれだけ恵まれているかをわかっていない」と彼女は言う。

あと数年で子供が巣立つ。どうも彼の両親をカナダから呼び寄せるために、もっと大きな家に引っ越す話が出てきたらしく、さすがの彼女もそれは嫌だと、私に相談を持ち込んだ。親族の子供たちもほぼ成人し、泊めるスペースがなくなってきたらしい。

私に相談しながらも、いざ具体的なことになると、彼女は怖気づいた。

「偉人、みたいに思われてる立派な人なのよ」

「家の外でどんなに偉人でも、あなたにとって重要なのは家庭人としての彼でしょう?」

「家族からどう思われているかなんて、外の人は想像もつかないと思う」
「私、結局何もしないで、家政婦のまま一生終える気がする」

彼女自身がそう言ってしまったら、もう何をどうこうできる話ではない。

が。夫婦や家族のことは外からは見えないしわからないものだと、私は知っている。だから、外から他人がどうすべきだとかこうすべきだとか言えることじゃない。まして、経済的に不安のない生活が保障されていることを理由に、不満を呑み込む彼女のことを責める権利が、誰にあるというのか。

母親として、子供に送るメッセージも含めて、所詮は彼女自身の人生である。

どうすべきかってのは、あなた自身にしか決められないことだし、経済的な不安を抱えて人生終えたくないっていうのも十分な理由だしね、決断しないことも決断よねと言うと、彼女は、わかってもらえるとは思わなかった、と半泣きになった。

じつは、彼女と話すと必ずと言っていいほど感じる違和感があった。

夫の成功をまるで自分の成功のように話す。
子供は優秀なのか、それともトップレベルの学校の平均的生徒なのか。自慢なのか謙遜なのかが微妙にわからない。
彼女が子供をどう育てたいかが、まるで見えない。夫の打ち出す「育児方針」に賛成なのか反対なのか。でも発言権がない。子供が反抗すると「恵まれている身分だとわかってない」と夫の側に立つ。

だから。私には、彼女の価値観がどこにあるのか、さっぱりわからなかった。もしかすると、彼女が生き残るために自分を納得させるために辻褄を合わせようとしていたから、あちこち矛盾していたということなのかもしれない。私にはありえない生き方だけれど、彼女の人生であって、私の人生じゃない。

人生の岐路で、決断しないことも決断。
そして。選ぶ決断をしても選ばない決断をしても、運命の波はやってくる。

波に翻弄されるか、乗り越えるか。
そのとき、自分の力が試される。

ただただ好きで書いています。書いてお金をもらうようになったら、純粋に好きで書くのとは違ってくるのでしょうか。