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大量の考察ネタが仕込まれたホラー映画『N号棟』の考察【旧版】

ついに『N号棟』配信開始!ということで、じっくり見返してみました。
自分の考察で大筋は矛盾なく観られるなと思った一方、細部であの考察違ったな~というところや、新たな発見がありましたので、改訂しました。

改訂版はこちら。
大量の考察ネタが仕込まれたホラー映画『N号棟』の考察【改訂版】|肉球DRONE|note

劇場公開時の記録として、旧版も残しておきます。


「考察型体験ホラー」と銘打たれた、萩原みのりさん主演映画『N号棟』の考察です。
「考察型」と名乗るのも伊達ではなく、映画内に本当に大量の考察ネタがあり、ただ考察を書き連ねただけで1万字超えになりました…。

これだけ大量に考察ネタを仕込んでいるにも関わらず、最後までほとんど答えを明かさずに終わっていくという……かなり挑戦的な作りをしていることもあり、世間ではかなりの賛否がありますが、「考察型」なところに真っ向から取り組むと凄く楽しい映画だと思います…!
(もはや楽しみ方が、『ツインピークス The Return』や『インランド・エンパイア』を観た時のようになっていますが…)
その楽しんだ結果の総まとめが本考察です。

【1】考察の前提

この考察は、禍話さんのツイキャス「禍田一耕助の推理」 (note版と、禍話のかぁなっきさん、N号棟の後藤監督、菅谷Pが参加した「公式考察会」の話をベースに、部分的に別解釈をしてみたり、公式では言及されていない所を深堀りしてみたりしたものです。
※禍田一耕助の推理&公式考察会のポイントは、ツイキャス前半40分ぐらい、あるいはnote版で概ねわかります。

この考察が合っているかどうかは分かりませんので……『N号棟』の楽しみ方の一例、諸説あるうちの一説という感じでお願いします。

【2】考察の主要なポイント

ポイント①は、禍田一耕助の推理&公式考察会で語られたものです。このポイントが分かると見方が全然変わるという、考察のブレイクスルーになる内容で、聞いていて本当に凄いと思いました…!
ポイント②は、禍田一耕助の推理&公式考察会とは別解釈をしています。
ポイント③は、禍田一耕助の推理&公式考察会と若干捉え方は違いますが、内容的には近いものかと思います。

▼ポイント①:団地での出来事は、史織さんの脳内世界で創られた妄想である

団地に行ってからの展開は、史織さんの現実、幽霊団地事件、史織さんの好きなホラー映画等をミックスして史織さんが脳内世界で創った妄想です。
※その根拠は禍田一耕助の推理&公式考察会で詳しく語られています。その時の監督の反応からいっても、この説は堅いです。

▼ポイント②:冒頭は現実、団地に行くシーンから脳内世界に入り、教授の部屋で現実に戻る。そして、お母さんの管を抜くのは現実の出来事

冒頭から教授の部屋のシーンまでは現実、次の団地へ行くシーンからは妄想、団地の後に教授の部屋に行くシーンで現実に戻り、その後は最後まで現実です。
※冒頭が現実だとしてどう捉えるかは後述の「史織さんの本当の性格・本当の人間関係について」にあります。
※教授の部屋で現実に戻ったと考える理由は、後述の「団地の後に教授の部屋に寄ったのは、妄想世界から現実へ戻るため」にあります。

▼ポイント③:史織さんの妄想はタナトフォビア克服のためのセラピー、ちなみに黒幕は教授

※禍田一耕助の推理&公式考察会では「人格の統合」という切り口で語られたものです。

史織さんの妄想は、タナトフォビア(死恐怖症)克服のためのセラピーだと思います。
『N号棟』の話の全体像としては、タナトフォビアに囚われ無理して生きている主人公が、脳内世界(団地)での経験を経てタナトフォビアを克服し、自然体で暮らせるようになるというような流れがあると思います。

※妄想の中でトラウマを克服するというのは、夢の中で考えを変えさせる『インセプション』に近い気もします。

そして、この妄想セラピーを史織さんに伝授した黒幕が教授です。
※そう考える理由は、後述の「団地の後に教授の部屋に寄ったのは、妄想世界から現実へ戻るため」にあります。

教授黒幕説の様々なディティールが禍田一耕助の推理&公式考察会でも語られており、この説も堅いと思います…。


以下は、各切り口での詳細な考察です。禍田一耕助の推理&公式考察会と同様の解釈をしているところ、別解釈をしているところ、両方あります。


【3】史織さんの本当の性格・本当の人間関係について

▼史織さんは本来、エキセントリックな性格でも社交的な性格でも全然なく、かなり無理をして生きている

初見時、人物の性格や人間関係、状況等を最初の15分ぐらいで爆速でわからせてくれるのは凄い手腕だなと思いましたが、さらに罠まで仕掛けているとは思いませんでした…。

普通に見ていると、史織さんは学生たちの中心にいて社交的な人物に見えますが、実はそうでもなく、無理して社交的に振舞おうとしている気がします。疑いの取っ掛かりは、明日うちで鍋やろうと誘ったのに結局みんなにドタキャンされている件ですが、他も辻褄が合うか見てみます。

  • 講義のシーンは、史織さんではなく啓太の方に人気があるとも見えると思います。
    (「男いるらしいよ」は、しいていえば教授と何らかの関係があるかもですが、男というほどの関係ではない気がしますね…。というよりは強がりでついた嘘だと思います)

  • うちで鍋やろうと誘うシーンで、誘われた方がかなり驚いていて、お前そんなに親しかったっけ感があります。
    おそらく最初に人気のある人を狙って話しかけていて、その後はその人を中心に人が集まっているのだと思います。

  • 夜の「リプ返」はスマホに架空の予定を入れているのだと思います。
    (「男いるらしいよ」もありましたし、多少の虚言癖(あるいは妄想癖)はあるとみてよいと思います。団地でも管理人さん(諏訪太郎)に入居希望で見学に来たと平気で嘘をついていましたね)

  • ジュースを飲んでいるところなど、孤独を感じさせるシーンもあります。

  • 明日うちで鍋やろうと誘った件も、一人がキャンセルすると続々と続き、結局みんなにドタキャンされています。おそらく、最初に誘った人気のある人がキャンセルして、他の人も「別に史織とはそんなに親しいわけじゃないし…」とつられていったのだと思います。

以上から史織さんは、タナトフォビアによって一日を充実させなければならないという強迫観念に囚われていて、本来そんな性格ではないのにも関わらず無理して社交的に振舞おうとして、結局空回りしている…ということかなと思いました。
そう思って観ると、胃が痛くなりそうですね…。

▼男女関係は見た目通りではなく、史織が今カノ、真帆が元カノで、啓太は今カノから離れ元カノとよりを戻そうとしつつある

史織が啓太の元カノ、真帆が今カノというのは、団地に向かう道で明言されますが、そこは既に脳内世界の妄想であり、脳内設定と現実はイコールではないと思います。
その前の描写では曖昧にされていることもあり、現実では史織が今カノ、真帆は元カノで、啓太は今カノから離れ元カノとよりを戻そうとしつつあるとも解釈できるのでは??と思いました。
(啓太は今カノと寝ていることになるので、ヤバさが多少軽減されます)

以上から、普通に見ていると史織さんはリア充で男女関係でエグイところもあるエキセントリックでヤバイ人に見えかねませんが、よくよく見ると、タナトフォビアに囚われ辛いけど無理して生きている繊細な姿が見えてくる気がします。
強そうに見える裏に繊細さがあるという、萩原みのりさんの真骨頂的なキャラになっている気がするなあと思いました。

▼団地(妄想内)での性格は現実の性格・人間関係とイコールではない

団地のシーンは脳内世界なので、現実の性格とは必ずしもイコールではないと思います。
あたかも小説で作者の人格の一部が強調されて登場人物に投影されるように、団地での史織は現実の史織の中のアグレッシブな部分が強調された存在だと思います。

また、同様に小説のように、作者(史織さん)のいろんな属性がいろんな登場人物に分散されており(詳細は「禍田一耕助の推理」参照)、史織さんの中の軽率だったり場を白けさせたりするという負の属性を真帆に転嫁しているように見えます。さらに、元カノによりを戻されそうな哀しき今カノという属性も、合わせて転嫁しているのではと思います。
(史織さんの真帆への恨みが表れている気がします…)

▼団地後の性格の変化

団地の後、教授の部屋で脳内世界から現実に戻ります(私の考察では…)。
その後、学校の入口辺りで、人が行き交うのを見ている史織の姿があります。
一見すると、あれだけ社交的な人だったのだから話したり話しかけられたりするはず…史織はもう死んでいるから他の人からは見えていないのかな…?と思いそうです。
ですが、私としては、史織は生きていて、脳内世界(団地)の経験からタナトフォビアによる強迫観念を克服して、もう無理して社交的に振舞う必要はないと悟ったのだと思いました。

▼史織さんはホラー映画好き

「禍田一耕助の推理」で考察されていた、史織がいたサークルは映画サークルで……のくだりは本当にすごいなぁと思いました…。
ミッドサマー、ハンニバル、サイコ、ホステル辺りは史織が好きそうです。
加奈子(筒井さん)がミイラと暮らしているのも何か元ネタのホラー映画があると思うのですが、なかなか思いつかないですね…。しいて言うなら『岸辺露伴は動かない』にそんな感じのエピソードがありましたが、ホラー映画ではないですね…。

▼史織さんは子供を堕ろすか流産するかしていた

妄想内の倫太郎に対応する現実として、史織さんは子供を堕ろすか流産するかしていたという説です。これは、「団地終盤、みんなで叫ぶシーンの意味」にも繋がります。

※「禍田一耕助の推理」で様々な理由が挙げられていましたが、よくそんなことを思いつくなと、衝撃の考察でした…。


【4】団地のルール(妄想の脳内設定)

団地パートは史織さんの脳内妄想とはいえ、なんでもありな世界ではなく、世界のルールに従って話が進みます。おそらく、史織さんはかなりの設定魔でしょう…。

▼生者と死者の見え方の法則

生者と死者のお互いの見え方は、最初は以下だと思ったのですが、

  1. 生者→生者:普通に見える

  2. 死者→生者:普通に見える

  3. 生者→死者:心霊現象としてのみ知覚される
    ※ポルターガイスト現象が起きる、三谷(最初に落ちた人)のように霊として見える、三谷旦那のようにカメラ越しでのみ見える等

  4. 死者→死者:普通に(生者と同じように)見える

微妙に辻褄が合わず、やっぱり以下かなと思いました。

  1. 生者→生者:普通に見える

  2. 死者→生者:普通に見える

  3. 謎の飲み物を飲んでない人(生者死者いずれも)
    →死者:心霊現象としてのみ知覚される

  4. 謎の飲み物を飲んだ人(生者死者いずれも)
    →死者:普通に(生者と同じように)見える

謎の飲み物は、3人が意味ありげに飲まされるあれです。
史織さん、真帆、啓太については、謎の飲み物を飲むタイミングと死者が普通に見えるようになるタイミングは辻褄が合いそうです。
真帆、啓太が屋上で三谷一家を見るシーン、史織さんがホステル男(ミイラ化作業をしていたホステルっぽい人)が死んだ後の霊体に襲われるシーンは、それぞれ謎の飲み物を飲んだ後です。

▼住人の服の色のルール

住人も全員が謎の飲み物を飲んでいるわけではなく、飲んだ住人は赤を身につけるルールがあるのかもしれません。
(史織さん、真帆、啓太の3人は、謎の飲み物を飲んでも急に着替えられないので白い服のままですが)
団地二日目の昼、倫太郎君は赤い服を着ており、お父さんの霊が見えて指をさしています。このとき、まだ謎の飲み物を飲んでいない史織さん、啓太には肉眼では見えておらず、カメラ越しにのみ(心霊現象として)見えています。

あとは、住人の中にいつもスマホを構えている人がいましたが、あれは単なる動画撮影が趣味の人とかではなく、スマホカメラには写る死者を見ていたのだと思いました。さらに言えば、撮影して死者の家族(謎の飲み物を飲んでいない人)に見せてあげたりしているのかもしれません…。(ホームビデオ感覚)
なので、あの人がいるシーンでは、映像は史織視点なので見えていないですが、霊もいそうですね。団地初日夜の歓迎会の時とかも…。


【5】団地での各種イベントの考察

団地で起こった各種イベントについて考察していきます。

▼団地初日の夢で殺されるシーンは、かつて映画サークルで撮っていた映画のシーン説

団地の初日の夜に、夢の中で史織さんが殺されるっぽいシーンです。
映画の前半にある割に意外と解釈が難しかったのがこれです…。

「生者と死者の見え方の法則」に従うなら、この時点で史織さんはまだ生きています。夢と見せかけて死んでいるパターンではないと思います。
(翌朝、謎の飲み物を飲んでいない状態の啓太から史織さんが普通に見えているので)

殺されていないとしても、意味のないシーンを入れるはずがないので、何らか意味があると思います。

あの夢のシーン、映像的には曖昧に映されていて団地のシーンとは明言できないようになっています。
(加奈子の顔もはっきりとは映っていなかったはずです…)
それで、脳内世界はある意味夢みたいなものなので、裏の裏は表、夢の中の夢は…むしろ現実!?
現実の出来事を夢で思い出しているという線で考えたのが以下の2パターンです。

パターンA:妄想世界に入る導入シーン説>
妄想世界から現実に戻ることを示唆するシーンがあるので、それと対になる、現実から妄想世界に入るシーンがあってもよいかと思いました。
あの部屋にいた人々は教授の差し金で、死の疑似体験をすることで妄想世界に入っていく儀式なのでは…!?と思いました。

パターンB:かつて映画サークルで撮っていた映画のシーン説>
「禍田一耕助の推理」では、史織さんが抜けたサークルは映画サークルであると語られています。啓太と真帆がロケハンに行っているぐらいなので、実際に映画を撮るタイプの映画サークルだと思います。

夢の中のシーンは、かつて史織さんが映画サークルにいた時に撮っていた映画のシーンだと思いました。
これが何を意味しているかというと、史織さんがタナトフォビアになる要因の一つを示しているのだと思います。
死ぬ役をガチで演じすぎてしまったため、タナトフォビアに囚われてしまったのだと…。

翌朝(ここから妄想世界に戻る)机などが夢の中と同じように倒れていたのは、史織さんが現実で見た光景の妄想への投影だと考えると辻褄が合います。
この後、啓太が素で机などを片付けていたのも、映画でカットがかかった後に片付けている啓太を史織が見ていて、それを妄想に投影したのだとすると辻褄が合います。

また、史織さんがサークルを辞めたのもこれが原因だと思います。
史織さんは「サークルとかめんどくさい」と言っていて、あたかも人間関係が面倒で辞めた風にも見えますが、史織さんは強がる方向に嘘をつく性格なので、これも強がって言っているだけだと思います。

どちらなのか決定打はないのですが、パターンBの方が有力かなと思っています。

▼団地二日目昼の食事シーンについて~史織さん料理下手説

本考察のネタ枠です…。
団地二日目の昼に、史織さんが中庭でカレーっぽいものを食べて吐き出すシーンがあります。

ここでまずは、このカレーっぽいものはヨモツヘグイという解釈はできると思います。
(死の世界に片足突っ込んでいる団地の住民は食べられるけど、生きている史織さんは食べられない)

さらに、禍田一耕助の推理&公式考察会では、つわりを表しているという話もありました。
(ヨモツヘグイという分かりやすい考察ネタがあって、それで満足してしまいそうな所なのに、そこにもう一ネタ重ねてくるのは凄いなと思いました…!)

もう一ネタ重ねてみます。
団地パートは史織さんの妄想世界なので、実際に団地に行ったか、それとも行っていないか(例えば、教授の部屋で催眠暗示を受けているとか)どちらでも解釈できるとは思います。
ですが、史織さんはラストで団地に住んでいますが、ラストで初めて団地に行くよりは、なんだかんだで結局団地に戻っていくという流れの方がしっくりくる気もするので、団地には行った解釈をとりたいです。
団地へ行った理由は、おそらく妄想にリアリティを出すためです。

団地で史織さんはソロキャンプを張っていたと思います。
団地の管理人さん(諏訪太郎)がテントを張って傍で鍋を煮込んでいますが、これは現実のソロキャンプが妄想に投影されたものだと思います。
やばい感じに鍋が煮立ってきて恐る恐る鍋フタを開けようとするのと、いざ食べたらまずい!というのも、現実の体験が妄想に投影されたものだと思います。
(ちなみに、キャンペーンで当たった台本では、ト書きで「異様な味」と書いてありました)
すなわち史織さんは料理が下手…。

一方、団地初日夜の歓迎会の鍋は普通に美味かったですが、あれは「みんなを誘ってうちでやろうとして結局キャンセルされた鍋パーティ」が妄想に投影されたものだから美味いのだと思いました。

▼史織さん無双、大の男を倒せた理由

史織さんが無双し出す前、監禁部屋で監禁男(?)が出てくる辺り(不自然に話が飛んでいるようにも思える)で殺されているのではと思いました。直接描写はなかったですが…。
(史織自身は死んだことに気付いていないかもしれません)

その後のシーンで、ホステル男(ミイラ化作業をしていたホステルっぽい人)みたいな大柄な男と戦って制圧したりしているのですが、あれは映像が史織視点だからああ見えているのだと思います。
実は史織はすでに死んで霊体化しており、ホステル男からは【生者と死者の見え方の法則】の「謎の飲み物を飲んでない人→死者」で心霊現象として見えていたのではと…。
(例えば、中盤に出てきた三谷の霊みたいな感じで史織さんの顔をした霊が、ポルターガイスト現象を駆使して襲ってくる感じですかね)

だから小柄な女性に取り押さえられた程度で怯え倒して、まともな会話もできない状態になったのではと思いました。「やらされていたんだ!」と言っていたので、好んで住んでいる住人よりは心霊耐性も低そうですし。

その後の加奈子(筒井さん)(謎の飲み物は既に飲んでいる)との会話は、自分が死んでいることに気付いていない史織に加奈子が死を受け入れるよう諭しているのだと思えば、ぎりぎり辻褄合うかな…。

史織無双に「萩原みのりさんならそのぐらいやるだろう」以外の理屈をつけようとしたらこんな感じかと思いました。

▼団地終盤、みんなで叫ぶシーンの意味

団地終盤で、祀られた三谷と倫太郎の死体に向かって、史織さんと団地の住民たちが叫んでいるシーンです。
団地パートは全体として史織がタナトフォビアを克服するためのセラピーだと思うので、これもセラピー効果のある行動だと思います。

禍田一耕助の推理&公式考察会で、三谷は史織の母を妄想内で具現化した存在、倫太郎は子を具現化した存在みたいな話はあったと思います。
それぞれ意識不明になっている母、堕ろすか流産するかして生まれてこなかった子供という、現実では話のできない相手です。
それぞれに対し史織さんの中にため込んでいた思いがあり、それを思いきりぶちまけて、すっきり楽になるというシーンだと思いました。

▼団地の後に教授の部屋に寄ったのは、妄想から現実へ戻るため

まず、史織さんの妄想内での教授の役割です。
史織さんの妄想内には、啓太、真帆のように現実の人物が出てくることがあり、教授も出てきていると思います(明確には映っていませんが)。
それは三谷旦那役です(多分ですが…)。教授の部屋にあった死のマーク(細かい「死」の字で円を作っているようなマーク)を子供が真似たような絵?が三谷の部屋にあり、お父さんが持っていたものを倫太郎君が真似て描いたのだと思います。

その後、終盤に史織さんが教授の部屋に行ったときに教授はいないのですが、これは史織さんの脳内で、「ヤバイ、教授は他の場面で使っちゃった!脳内物語とはいえ同一人物がいるのは話が破綻して嫌だなあ。もういっそ失踪させるか…」みたいな葛藤の結果ではと思いました。
で、なぜあの時に教授の部屋に行ったかというと、死のマークです。史織さんはあのマークのメモを手に取っていました。
あれは現実と脳内物語世界を行き来するためのゲートの役割をしているのだと思います。
史織さんは現実に戻るために教授の部屋に行ったのだと…。


ちなみに既に結構言われていますが、このとき史織さんは既に死んでいて霊体なので、助手の人からは見えておらず会話になっていないですね(助手はイヤホンをして通話しているので史織さんとは話していない)。
霊体の史織さんが来たことで周囲でラップ現象とかが起こっている可能性もありますが、助手はかなり怒っていたので、心霊現象があっても気付かなかったでしょうね…。

ちなみに、脳内物語世界からの帰りはいいとして、行きはどうだったかというと、明確には描かれていないですがやはり教授の部屋だと思います。
(妄想で教授の部屋にあったということは、それは現実の投影で、現実でも教授の部屋に死のマークがあったはず)
教授は「どうやったら死の恐怖から逃れられるか聞きたいですか?ー僕の講義で単位を取ること」と言っていますが、このときに、単位のためにもうひとつ課題をやりなさいなどと言って、この妄想セラピーを史織さんに伝授して、死のマークも見せるか渡すかしたのだと思います。

教授の失踪理由は合っているか正直怪しいですが、死のマークの意味はいい線いっているのではと思っています…。

▼病院でお母さんの管を抜くシーンと、ラストの団地にいるシーンについて

史織さんは妄想の中では死にましたが、教授の部屋の死のマークをゲートにして現実に戻ってきて、このときには生きていると思います。
(妄想の中で死んでも現実では関係ない)

その後病院に行ってお母さんの管を抜きますが、これは脳内世界で「死は苦痛ではない、恐れる必要はない」を学んだ結果だと思います。
そして死者となったお母さんと会うのですが、生者ー死者で会っているのか、死者ー死者で会っているのかは、どちらでも解釈できる気はします。ですが「生と死の境目は曖昧」「死を正しく畏れる」を体現するとしたら生者ー死者の方がしっくりくるかなと思いました。
生者の史織さんから死者のお母さんが見えたのは、脳内世界の経験で死後の世界を信じられるようになり、死後の世界も生者の世界のすぐ傍らにあることを感じられたからだと思います。それで「史織さんの中では」お母さんが見えているのだと思います。
(史織さんがそう思っているだけで、史織さんの中でしか見えていない)
妄想セラピーをやったことで、脳内で人を動かすスキルが上達したのも効いているのかもしれません。

最後に史織は廃墟に住んでいますが、これはお母さんの管を抜いて警察に追われ隠れ住んでいるのだと思います。
(いきなり地味な考察…)
赤い服なのは、脳内世界での設定を引き継いで、死者が普通に(生者と同じように)見える印だと思います。
タナトフォビアも解消されて爽やか?ですね。


【6】結局どういう話だったのか(まとめ)

この映画の大まかな流れは以下のようになると思います。

  1. 史織さんは、映画サークルで死ぬ役をガチで演じすぎてトラウマを抱える。これがタナトフォビアの一因になる。
    (劇中では団地初日の夢で描かれる)

  2. 現実で史織さんは、タナトフォビア、意識のないお母さんの処遇、人間関係などの悩みを抱えている。

    ※なお、人間関係は見た目の通りではなく、史織が今カノで真帆が元カノ、啓太は今カノを捨て元カノによりを戻そうとしている過程である。史織さんが一見社交的に見えるのも見た目通りではなく、タナトフォビアによって一日を充実させなければならないという強迫観念に囚われて無理をしている。

  3. 教授から妄想セラピーを伝授される(劇中示唆のみ)。

  4. 史織さん幽霊団地に行きソロキャンプ(劇中示唆のみ)。

  5. 史織さんは教授から渡された死のマークで脳内世界に入る(劇中示唆のみ)。

  6. 史織さんは、教授から伝授されたセラピーの一環として、史織の現実、幽霊団地事件、史織の好きなホラー映画等をミックスして、脳内世界で団地の物語を妄想する。

  7. 脳内世界で史織さんは心霊現象にあう。
    (タナトフォビア解消に向けて死を理解するためのステップ)

  8. 史織さんは監禁部屋で死ぬが、本人は気付いていない。
    (不自然に話が飛ぶところでいつの間にか死んでいる)
    史織さんは大の男と格闘し倒したりもする。(ホラー的盛り上げパート)

    ※映像は史織主観なので普通に見えるが、死者の史織さんは普通の人からは霊として見えており、超怖いので大の男にも勝てる。

  9. 加奈子(筒井さん)は史織さんに対し、死を正しく畏れることを教え諭す。
    (加奈子は謎の飲み物を飲んでいるので、死者が普通の生者のように見えている)

  10. 祀られた三谷と倫太郎の死体を、史織の母、生まれてこなかった子供に見立て、心のうちに抱え込んでいた思いのたけをぶちまけて楽になる。

  11. 教授の部屋の死のマークで現実に戻る。
    (妄想では死んだが現実では生きている)

  12. 脳内世界(団地)の経験からタナトフォビアによる強迫観念が解消され、無理して社交的に振舞わなくなる。
    (史織さんが行き交う学生を眺めているシーン)

  13. 脳内世界(団地)の経験から「死は苦痛ではない、恐れる必要はない」を学んだ史織さんは、病院でお母さんの管を抜く。

  14. 脳内世界(団地)の経験から、死後の世界はあり、死後の世界も生者の世界のすぐ傍らにあると信じられるようになった史織さんは、死者となったお母さんと会う(史織さんの中ではそう思っている)。

  15. セラピー効果でタナトフォビアが解消された史織さんは、団地で健やかに暮らす。
    (脳内世界で死者が普通の人間のように見えるようになった印だった赤い服を着ており、史織さんは死者とともに暮らしていると思っている)

こんな感じで、『N号棟』全体像としては、タナトフォビアに囚われ無理して生きている史織さんが、脳内世界(団地)での経験を経てタナトフォビアを克服し、自然体で暮らせるようになるという癒しの話だと思います。
(心の平穏と引き換えに、まともな社会生活は送れなくなっているかもしれませんが…)

これが合っているかどうか、DVDが出たら確認したいと思います。
(メーカーさんDVD発売お願いします…!)

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