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大量の考察ネタが仕込まれたホラー映画『N号棟』の考察【改訂版】

ついに『N号棟』配信開始!ということで、じっくり見返してみました。
自分の考察で大筋は矛盾なく観られるなと思った一方、細部であの考察違ったな~というところや、新たな発見がありましたので、改訂しました。

※DVDでもう一回見て少し発見があったので、2022/12/13に再度更新しました。目次で後ろに★マークのある節が更新ありです。
長文ですが、とりあえず目次を見れば概略はわかるようになっていると思います。


「考察型体験ホラー」と銘打たれた、萩原みのりさん主演映画『N号棟』の考察です。
「考察型」と名乗るのも伊達ではなく、映画内に本当に大量の考察ネタがあり、ただ考察を書き連ねただけで1万2千字超えになりました…。

 ※2022/12/13の更新で1万4千字超えになりました…。

これだけ大量に考察ネタを仕込んでいるにも関わらず、最後までほとんど答えを明かさずに終わっていくという……かなり挑戦的な作りをしていることもあり、世間ではかなりの賛否がありますが、「考察型」なところに真っ向から取り組むと凄く楽しい映画だと思います…!
(もはや楽しみ方が、『ツインピークス The Return』や『インランド・エンパイア』を観た時のようになっていますが…)
その楽しんだ結果の総まとめが本考察です。


★:2022/12/13更新
☆:2023/8/6更新

【1】考察の前提

この考察は、禍話さんのツイキャス「禍田一耕助の推理」 (切り抜き版)(note版)と、禍話のかぁなっきさん、N号棟の後藤監督、菅谷Pが参加した「公式考察会」の話をベースに、部分的に別解釈をしてみたり、公式では言及されていない所を深堀りしてみたりしたものです。
※禍田一耕助の推理&公式考察会のポイントは、ツイキャス前半40分ぐらい、あるいはnote版で概ねわかります。

なお、ちょっとズルいですが、脚本も参考にしています。
(キャンペーンで当選しました)

この考察が合っているかどうかは分かりませんので……『N号棟』の楽しみ方の一例、諸説あるうちの一説という感じでお願いします。

【2】考察の主要なポイント

ポイント①は、禍田一耕助の推理&公式考察会で語られたものです。このポイントが分かると見方が全然変わるという、考察のブレイクスルーになる内容で、聞いていて本当に凄いと思いました…!
ポイント②は、禍田一耕助の推理&公式考察会とは別解釈をしています。
ポイント③は、禍田一耕助の推理&公式考察会と若干捉え方は違いますが、内容的には近いものかと思います。

▼ポイント①:団地での出来事は、史織さんの脳内世界で創られた妄想である

団地に行ってからの展開は、史織さんの現実、幽霊団地事件、史織さんの好きなホラー映画等をミックスして史織さんが脳内世界で創った妄想です。
※その根拠は禍田一耕助の推理&公式考察会で詳しく語られています。その時の監督の反応からいっても、この説は堅いです。

▼ポイント②:冒頭は現実、団地に行くシーンから脳内世界に入り、教授の部屋で現実に戻る。そして、お母さんの管を抜くのは現実の出来事

冒頭から病院のシーンまでは現実、次の団地へ行くシーンからは妄想に入ります。そして団地の後に教授の部屋に行くシーンで現実に戻り、その後は最後まで現実だと思います。

※冒頭が現実だとしてどう捉えるかは後述の「史織さんの本当の性格・本当の人間関係について」にあります。
※教授の部屋で現実に戻ったと考える理由は、後述の「団地の後に教授の部屋に寄ったのは、妄想世界から現実へ戻るため」にあります。

▼ポイント③:史織さんの妄想はタナトフォビア克服のためのセラピー、ちなみに黒幕は教授

※禍田一耕助の推理&公式考察会では「人格の統合」という切り口で語られたものです。

史織さんの妄想は、タナトフォビア(死恐怖症)克服のためのセラピーだと思います。
『N号棟』の話の全体像としては、タナトフォビアに囚われ無理して生きている主人公が、脳内世界(団地)での経験を経てタナトフォビアを克服し、自然体で暮らせるようになるというような流れがあると思います。

※妄想の中でトラウマを克服するというのは、夢の中で考えを変えさせる『インセプション』に近い気もします。

そして、この妄想セラピーを史織さんに伝授した黒幕が教授です。
※そう考える理由は、後述の「団地の後に教授の部屋に寄ったのは、妄想世界から現実へ戻るため」にあります。

教授黒幕説の様々なディティールが禍田一耕助の推理&公式考察会でも語られており、この説も堅いと思います…。


以下は、各切り口での詳細な考察です。禍田一耕助の推理&公式考察会と同様の解釈をしているところ、別解釈をしているところ、両方あります。


【3】史織さんの本当の性格・本当の人間関係について

▼史織さんは本来、エキセントリックな性格でも社交的な性格でも全然なく、かなり無理をして生きているのではないか

初見時、人物の性格や人間関係、状況等を最初の15分ぐらいで爆速でわからせてくれるのは凄い手腕だなと思いましたが、さらに罠まで仕掛けているとは思いませんでした…。

普通に見ていると、史織さんは学生たちの中心にいて社交的な人物に見えますが、実はそうでもなく、無理して社交的に振舞おうとしている気がします。

  • 講義での会話シーンは、学生たちは啓太に話しかけており、史織さんではなく啓太の方に人気があるとも見えると思います。
    ここに限らずですが、学校で史織さんが話しかけられて会話が始まるシーンはなかったはずです。ここは啓太と学生の会話の流れで…という感じですが、他はほとんど史織さんから話しかけています。

  • 屋上でジュースを飲んでいるところなど、孤独を感じさせるシーンもあります。

  • 明日うちで鍋やろうと誘った件も、一人がキャンセルすると続々と続き、結局みんなにドタキャンされています。おそらく、最初に誘った人がキャンセルして、他の人も「別に史織とはそんなに親しいわけじゃないし…」とつられていったのだと思います。
    ※このシーン、脚本にありましたが本編にはありませんでしたね…。

史織さんは、タナトフォビアによって一日を充実させなければならないという強迫観念に囚われていて、本来そんな性格ではないのにも関わらず無理して社交的に振舞おうとして、結局空回りしている…ということかなと思いました。
そう思って観ると、胃が痛くなりそうですね…。

▼史織さんは自らを守るため強がりの嘘をつく性格

史織さんの性格が上述の通りだとすると、もしかして史織さん嘘ついている?と疑わしい言動が結構あります。
団地の敷地に入ったとき、管理人さん(諏訪太郎)に入居希望で見学に来たと平気で嘘をついていました。わかりやすく嘘をつくシーンを入れているということは、他でも嘘をついているのでは?と疑うことができます。

  • 講義のときの会話シーンで「男いるらしいよ」と言われていますが、啓太以外に男の影はありません。強がりの嘘だと思います。
    しいていえば教授と何らかの関係があるかもですが、男というほどの関係ではない気がしますね…。

  • 夜の「リプ返」は嘘(本来社交的ではないので、返信が必要な相手はそれほどはいない)で、スマホに架空の予定を入れているのだと思います。
    あるいは、不要不急の用事をかき集めて無理やり予定を埋めているか…。
    (タナトフォビアによる強迫観念で、予定が埋まっていないと耐えられない)

  • サークルを辞めた理由を訊かれたときに「サークルとかめんどくさい」と言っていて、あたかも人間関係が面倒で辞めた風にも見えましたが、これも強がりで本当のことは言わなかったのだと思います。(詳細後述)

  • 家庭教師とコンビニのバイトも嘘の可能性あり…。

▼男女関係は見た目通りではなく、史織が今カノ、真帆が元カノで、啓太は今カノから離れ元カノとよりを戻そうとしつつあるのではないか

史織が啓太の元カノ、真帆が今カノというのは、団地に向かう道で明言されますが、そこは既に脳内世界の妄想であり、脳内設定と現実はイコールではないと思います。
その前の描写では曖昧にされていることもあり、現実では史織が今カノ、真帆は元カノで、啓太は今カノから離れ元カノとよりを戻そうとしつつあるとも解釈できるのでは??と思いました。
(啓太は今カノと寝ていることになるので、ヤバさが多少軽減されます)

以上から、普通に見ていると史織さんはリア充で男女関係でエグイところもあるエキセントリックでヤバイ人に見えかねませんが、よくよく見ると、タナトフォビアに囚われ辛いけど無理して生きている繊細な姿が見えてくる気がします。
強そうに見える裏に繊細さがあるという、萩原みのりさんの真骨頂的なキャラになっている気がするなあと思いました。

▼団地(妄想内)での性格は現実の性格・人間関係とイコールではない

団地のシーンは脳内世界なので、現実の性格とは必ずしもイコールではないと思います。
あたかも小説で作者の人格の一部が強調されて登場人物に投影されるように、団地での史織は現実の史織の中のアグレッシブな部分が強調された存在だと思います。

また、同様に小説のように、作者(史織さん)のいろんな属性がいろんな登場人物に分散されており(詳細は「禍田一耕助の推理」参照)、史織さんの中の軽率だったり場を白けさせたりするという負の属性を真帆に転嫁しているように見えます。さらに、元カノによりを戻されそうな哀しき今カノという属性も、合わせて転嫁しているのではと思います。
(史織さんの真帆への恨みが表れている気がします…)

▼団地後の性格の変化

団地の後、教授の部屋で脳内世界から現実に戻ります(私の考察では…)。
その後、学校の入口辺りで、人が行き交うのを見ている史織の姿があります。
一見すると、あれだけ社交的な人だったのだから話したり話しかけられたりするはず…史織はもう死んでいるから他の人からは見えていないのかな…?と思いそうです。
ですが、私としては、史織は生きていて、脳内世界(団地)の経験からタナトフォビアによる強迫観念を克服して、もう無理して社交的に振舞う必要はないと悟ったのだと思いました。

▼史織さんはホラー映画好き

「禍田一耕助の推理」で考察されていた、史織がいたサークルは映画サークルで……のくだりは本当にすごいなぁと思いました…。
史織さんの好きな映画が妄想世界に投影されていると考えると、ミッドサマー、ヘレディタリー/継承、ハンニバル、サイコ、ホステル辺りは好きそうです。黒沢清映画(回路やその他諸々)も好きそうですね。
加奈子(筒井さん)がミイラと暮らしているのも何か元ネタのホラー映画があると思うのですが、なかなか思いつかないですね…。しいて言うなら『岸辺露伴は動かない』にそんな感じのエピソードがありましたが、ホラー映画ではないですね…。

※本編にはなかったのですが脚本には、団地二日目の昼、倫太郎君が三谷が落ちた辺りで肉片を食べようとする没シーン(?)がありました。まんまハンニバルですね。

▼史織さんは子供を堕ろすか流産するかしていた説

※これは「禍田一耕助の推理」からの引用です。よくそんなことを思いつくなと、衝撃の考察でした…。

妄想内の倫太郎に対応する現実として、史織さんは子供を堕ろすか流産するかしていたという説です。これは、後述の「団地終盤、みんなで叫ぶシーンの意味」にも繋がります。


【4】団地のルール(史織さん妄想の脳内設定)

団地パートは史織さんの脳内妄想とはいえ、なんでもありな世界ではなく、世界のルールに従って話が進みます。おそらく、史織さんはかなりの設定魔でしょう…。

▼生者と死者の見え方の法則

生者と死者のお互いの見え方は、最初は以下だと思ったのですが、

  1. 生者→生者:普通に見える

  2. 死者→生者:普通に見える

  3. 生者→死者:心霊現象としてのみ知覚される
    ※ポルターガイスト現象が起きる、三谷(最初に落ちた人)のように霊として見える、三谷旦那のようにカメラ越しでのみ見える等

  4. 死者→死者:普通に(生者と同じように)見える

微妙に辻褄が合わず、やっぱり以下かなと思いました。

  1. 生者→生者:普通に見える

  2. 死者→生者:普通に見える

  3. 謎の飲み物を飲んでない人(生者死者いずれも)→死者
    :心霊現象としてのみ知覚される

  4. 謎の飲み物を飲んだ人(生者死者いずれも)→死者
    :普通に(生者と同じように)見える

謎の飲み物は、3人が意味ありげに飲まされるあれです。
史織さん、真帆、啓太については、謎の飲み物を飲むタイミングと死者が普通に見えるようになるタイミングは辻褄が合いそうです。

  • 真帆が死んだはずの三谷と会話するのは、謎の飲み物を飲んだ後です。

  • 啓太と真帆が屋上で三谷一家を見るシーンは、啓太が謎の飲み物を飲んだ後です。

  • 史織さんがホステル男(ミイラ化作業をしていたホステルっぽい人)が死んだ後の霊体に襲われるシーンは、謎の飲み物を飲んだ後です。

  • 団地二日目の昼の心霊現象のとき、団地の住人で既に謎の飲み物を飲んでいると思われる倫太郎君には、お父さんの霊が見えて指をさしています。このとき、まだ謎の飲み物を飲んでいない史織さん、啓太には肉眼では見えておらず、カメラ越しにのみ(心霊現象として)見えています。

▼住人の服の色のルール ★

団地の住人は大まかに白・赤・黒の独特な服を着ており、何かルールがありそうです。

最初、住人も全員が謎の飲み物を飲んでいるわけではなく、飲んだ住人は赤を身につけるルールがあるのかと思いましたが、違いそうですね…。
啓太と真帆が団地服に着替えるのは謎の飲み物を飲んだ後なので、だったら最初から赤を着ればいいのですが、白を着ているので…。
それで以下の2パターンを考えてみました。

<パターンA:赤は死者と共に暮らしている印>
赤を着ている団地の住人のうち、少なくとも以下の2人は死者と共に暮らしています。

  • 加奈子(筒井さん)は旦那のミイラと暮らしています。

  • 三谷家の部屋で心霊現象が起こるシーンで、暗がりの中に椅子と足が見えるカットがあります。加奈子(筒井さん)の部屋にいたミイラと似ているので、これは三谷旦那のミイラだと思います。

他の住人たちも、赤を着ている人の部屋には同様にミイラがあるのだと思います。

<パターンB:赤は死に関わった印>
もう一つできる考察として、赤は死に関わった印と考えることもできると思います。これには、人を殺した、直接手を下さずとも見殺しにした、堕胎したなどを含みます。

そうだとすると、子供を堕ろした史織は最初から赤を着ていないといけないのですが、「リプ返」のシーンで上着をはだけた下に着ているのが赤っぽいです。だとすると、この考察もいけそうです。

黒の意味はまだわかりません…。
団地で黒を着ている人はかなりの確率で死ぬので、死の運命を持つ者かとも思ったのですが、スマホ男が生きていたりする(ロープで首を絞められた後のシーンで、しれっと普通に出てきている)ので、違いそうです…。

▼スマホ男について

住人の中にいつもスマホを構えている人がいましたが、あれは単なる動画撮影が趣味の人とかではなく、スマホカメラには写る死者を見ていたのだと思いました。さらに言えば、撮影して死者の家族(謎の飲み物を飲んでいない人)に見せてあげたりしているのかもしれません…。(ホームビデオ感覚)
なので、あの人がいるシーンでは、映像は史織視点なので見えていないですが、霊もいそうですね。
最初の屋上のシーンに三谷と倫太郎君がいましたが、そこには霊体の三谷旦那も一緒にいて家族団欒だったのかもしれませんね…。


【5】団地での各種イベントの考察

団地で起こった各種イベントについて考察していきます。

▼団地初日の夢で殺されるシーンは、かつて映画サークルで撮っていた映画のシーン説

団地の初日の夜に、夢の中で史織さんが殺されるっぽいシーンです。
映画の前半にある割に意外と解釈が難しかったのがこれです…。

【生者と死者の見え方の法則】に従うなら、この時点で史織さんはまだ生きています。夢と見せかけて死んでいるパターンではないと思います。
(翌朝、謎の飲み物を飲んでいない状態の啓太から史織さんが普通に見えているので)
しかし、殺されていないとしても、意味のないシーンを入れるはずがないので、何らか意味があると思います。

あの夢のシーン、映像的には曖昧に映されていて団地のシーンとは明言できないようになっています。加奈子の顔もはっきりとは映っていませんでした。
それで、脳内世界はある意味夢みたいなものなので、裏の裏は表、夢の中の夢は…むしろ現実!?
現実の出来事を夢で思い出しているという線で考えたのが以下の2パターンです。

パターンA:妄想世界に入る導入シーン説>
妄想世界から現実に戻ることを示唆するシーンがあるので、それと対になる、現実から妄想世界に入るシーンがあってもよいかと思いました。
あの部屋に現れた加奈子っぽい人は教授の差し金で、死の疑似体験をすることで妄想世界に入っていく儀式なのでは…!?と思いました。

パターンB:かつて映画サークルで撮っていた映画のシーン説>
「禍田一耕助の推理」では、史織さんが抜けたサークルは映画サークルであると語られています。啓太と真帆がロケハンに行っているぐらいなので、実際に映画を撮るタイプの映画サークルだと思います。

夢の中のシーンは、かつて史織さんが映画サークルにいた時に撮っていた映画のシーンだと思いました。
これが何を意味しているかというと、史織さんがタナトフォビアになる要因の一つを示しているのだと思います。
死ぬ役をガチで演じすぎてしまったため、タナトフォビアに囚われてしまったのだと…。

翌朝(ここから妄想世界に戻る)椅子が夢と同じように倒れていたのは、史織さんが現実で見た光景の妄想への投影だと考えると辻褄が合います。

また、史織さんがサークルを辞めたのもこれが原因だと思います。
史織さんは「サークルとかめんどくさい」と言っていて、あたかも人間関係が面倒で辞めた風にも見えますが、史織さんは強がる方向に嘘をつく性格なので、これも強がって言っているだけだと思います。

どちらなのか決定打はないのですが、パターンBの方が有力かなと思っています。

▼団地二日目昼のダンスシーンについて~夢と同様のトラウマアタック説 ☆

団地二日目の昼、住民が謎のダンスを踊るシーンがあります。
そして、ダンスに囲まれた史織さんは悲鳴を上げてしゃがみこんでしまいます。

禍田一耕助の推理&公式考察会では、あのダンスが「かごめかごめ」を意味しているのでは...と語られています。
私はあまり詳しくないのですが、「かごめかごめ」の歌詞が何を意味しているかには諸説あり、中には流産を示しているという説もあるようです。

では、それがこのストーリーの中で何を意味しているのかというと、夢のシーンと同様で、史織さんがタナトフォビアになる要因の一つを示しているのだと思います。
すなわち、あのダンスは、史織さんのタナトフォビアの要因となったトラウマの一つ「流産」(望まない形で堕ろしたもあり得る)を刺激しフラッシュバックを誘発させるような…ある種のトラウマアタックだったと思います。

そして、これが後のトラウマが克服されるシーン(後述の「団地終盤、みんなで叫ぶシーンの意味」)に繋がっていきます。

▼団地二日目昼の食事シーンについて~史織さん料理下手説

本考察のネタ枠です…。
団地二日目の昼に、史織さんが中庭でカレーっぽいものを食べて吐き出すシーンがあります。

ここでまずは、このカレーっぽいものはヨモツヘグイという解釈はできると思います。
(死の世界に片足突っ込んでいる団地の住民は食べられるけど、生きている史織さんは食べられない)

さらに、禍田一耕助の推理&公式考察会では、つわりを表しているという話もありました。
(ヨモツヘグイという分かりやすい考察ネタがあって、それで満足してしまいそうな所なのに、そこにもう一ネタ重ねてくるのは凄いなと思いました…!)

もう一ネタ重ねてみます。
団地パートは史織さんの妄想世界なので、実際に団地に行ったか、それとも行っていないか(例えば、教授の部屋で催眠暗示を受けているとか)どちらでも解釈できるとは思います。
ですが、史織さんはラストで団地に住んでいますが、ラストで初めて団地に行くよりは、なんだかんだで結局団地に戻っていくという流れの方がしっくりくる気もするので、団地には行った解釈をとりたいです。
団地へ行った理由は、おそらく妄想にリアリティを出すためです。

団地で史織さんはソロキャンプを張っていたと思います。
団地の管理人さん(諏訪太郎)がテントを張って傍で鍋を煮込んでいますが、これは現実のソロキャンプが妄想に投影されたものだと思います。
やばい感じに鍋が煮立ってきて恐る恐る鍋フタを開けようとするのと、いざ食べたらまずい!というのも、現実の体験が妄想に投影されたものだと思います。
(ちなみに台本では、ト書きで「異様な味」と書いてありました)
すなわち史織さんは料理が下手…。

一方、団地初日夜の歓迎会の鍋は普通に美味かったですが、あれは「みんなを誘ってうちでやろうとしていた鍋パーティ」が妄想に投影されたものだから美味いのだと思いました。

▼心霊現象はトリックか本物が

「生者と死者の見え方の法則」に従うなら、団地初日夜の最初の心霊現象は、史織さんの肉眼で人間が見えていたので心霊現象ではなくトリックだと思います。
団地二日目の昼の三谷の部屋と、夜の加奈子の部屋の心霊現象は、本物だと思います。それぞれ心霊現象の前にミイラ化した家族が映っており、それが引き起こしているのでは?と考えられます。

※ちなみに、この心霊現象は、霊が見える人からすると実際に見たものとほとんど一緒だそうですね。ド派手ではないけど超リアル志向のホラーシーンだと思うと怖さが増しますね…。

▼史織さん無双、大の男を倒せた理由~史織さんは既に死んで霊体化していたのではないか

史織さんは監禁部屋に連れていかれロープで縛られますが、次に出てくるシーン(スマホ男が食事を持ってくるとき)にはいつの間にかロープを抜け出しており、スマホ男を倒してしまいます。
いつの間に!?という感じですが、実はこの間で史織さんは死んでいるのだと思います。
(しかし、史織さん自身は死んだことに気付いていないようです)

スマホ男を倒した後のシーンでは、少し見づらいですが手前に全裸の男が倒れています。このとき史織さんはズボンのチャックが下がっており、ズボンのベルトを締めなおしています。
おそらく、この全裸男にレ○プされかかり、抵抗するうちに死んだのだと思いました。
スマホ男がロープで首を絞められる前、懐中電灯を照らした先の床に血しぶきらしきものがあります。おそらくここで死んだのだと思います。
(スマホ男からしてみれば、あ、死んでる!と思ったらその霊体が背後から襲ってくるので、たまったものではありません…)

その後のシーンで、ホステル男(ミイラ化作業をしていたホステルっぽい人)みたいな大柄な男と戦って制圧したりしているのですが、あれは映像が史織視点だからああ見えているのだと思います。
実は史織はすでに死んで霊体化しており、ホステル男からは【生者と死者の見え方の法則】の「謎の飲み物を飲んでない人→死者」で心霊現象として見えていたのではと…。
(例えば、中盤に出てきた三谷の霊みたいな感じで史織さんの顔をした霊が、ポルターガイスト現象を駆使して襲ってくる感じですかね)

だから小柄な女性に取り押さえられた程度で怯え倒して、まともな会話もできない状態になったのではと思いました。「やらされていたんだ!」と言っていたので、好んで住んでいる住人よりは心霊耐性も低そうですし。

全裸男もホステル男同様に倒したのだと思います。
(レ○プするからって全裸にならなくてもいいだろうに…と思いましたが、全裸に理屈があるというよりは、史織さんの好きなホラー映画の投影でそうなったということですかね。具体的に何かは思いつきませんが…)

そして、スマホ男を倒したところにもからくりがあると思います。
(明確な根拠となるネタはないので、想像レベルですが…)
団地の住人のほとんどは謎の飲み物を飲んでいる(死者を生者の様に見ることができる状態)と思いますが、スマホ男は飲んでいない可能性があります(あるいは、体質的に効かないなど)。
謎の飲み物を飲んでいないスマホ男には、他の住人のようには死者が見えないので、代わりにスマホ越しに(心霊現象として)見ているのではないかと思います。
史織さんが襲い掛かってきたとき、謎の飲み物を飲んでいた他の住人ならば抵抗のしようもあったかもしれませんが、謎の飲み物を飲んでいないスマホ男には心霊現象に見えて、抵抗できなかったのではないかと思います。

史織無双に「萩原みのりさんならそのぐらいやるだろう」以外の理屈をつけようとしたらこんな感じかと思いました。

その後の加奈子(謎の飲み物は既に飲んでいるはず)との会話は、自分が死んでいることに気付いていない史織に加奈子が死を受け入れるよう諭しているという風に見れば辻褄も合うのでは?と思います。
史織さんがナイフで自分を刺したのが、死を受け入れた印だと思います。妄想内で自分の属性を転嫁した登場人物たち(真帆と啓太)を刺したのも同様に受け入れた印だと思います。

▼団地終盤、みんなで叫ぶシーンの意味 ★

団地終盤で、祀られた三谷と倫太郎の死体に向かって、史織さんと団地の住民たちが叫んでいるシーンです。
団地パートは全体として史織がタナトフォビアを克服するためのセラピーだと思うので、これもセラピー効果のある行動だと思います。

禍田一耕助の推理&公式考察会で、三谷は史織の母を妄想内で具現化した存在、倫太郎は子を具現化した存在みたいな話はあったと思います。
それぞれ意識不明になっている母、堕ろすか流産するかして生まれてこなかった子供という、現実では話のできない相手です。
それぞれに対し史織さんの中にため込んでいた思いがあり、それを思いきりぶちまけて、すっきり楽になるというシーンだと思いました。

<倫太郎君を堕ろすか流産するかした子に見立てていることの補足>
中盤に倫太郎君が飛び降りた後、真帆が史織さんに「人殺し!」と言うシーンがあります。なんだか唐突なセリフだなと思っていましたが、倫太郎君を堕ろすか流産するかした子に見立てていると考えるとしっくりきます。
史織さんは子供を堕ろすか流産するかしたことについて実際にそういうことを言われたか、あるいは自分の中で後悔の念があり、それが妄想世界に投影されてあのセリフになったのだと思います。

※「人殺し!」のセリフのニュアンスから言えば、流産よりは堕ろした方が可能性は高いかもしれません。

▼団地の後に教授の部屋に寄ったのは、妄想から現実へ戻るためではないか ★

まず、史織さんの妄想内での教授の役割です。
史織さんの妄想内には、啓太、真帆のように現実の人物が出てくることがあり、教授も出てきていると思います。
正直、決定打となる考察ネタはないのですが、2パターンあるかなと想像しています。

パターンA:三谷旦那役になった説>
顔の映らなかった三谷旦那が実は教授だったのではないかという説です。
教授の部屋にあった死のマーク(細かい「死」の字で円を作っているようなマーク)を子供が真似たような絵?が三谷の部屋にあり、お父さんが持っていたものを倫太郎君が真似て描いたのだと思います。

パターンB:教授は妄想内で女体化して加奈子になった説>
終盤に加奈子が史織さんに死を受け入れなさいと語るシーンは、まさに教授が行う講義のようです。
序盤に現実でも史織さんの父親は登場せず、医者に他に家族はいないのかと問われても言葉を濁しています。妄想でも三谷旦那の顔が消されているなど、父親的なものは排除されています。父親的なものへの嫌悪のあらわれと推測できると思います。
父親的なものは嫌悪しているものの教授の役割は重要なので、妄想内ではいっそ女体化させて加奈子になったのではと思いました。
そして、講義を聞いて単位を取った(?)史織さんはタナトフォビアを克服したのであった…(伏線回収?)という風に見ることもできます。
(最後に「上出来よ…」と言ってくれたので、A評価を貰えたでしょう)

終盤に団地から帰った後、史織さんが教授の部屋に行ったときに教授はいないのですが、これは史織さんの脳内で、「ヤバイ、教授は他の場面で使っちゃった!脳内物語とはいえ同一人物がいるのは話が破綻して嫌だなあ。もういっそ失踪させるか…」みたいな葛藤の結果ではと思いました。

で、なぜあの時に教授の部屋に行ったかというと、死のマークです。史織さんはあのマークのメモを手に取っていました。
あれは現実と脳内物語世界を行き来するためのゲートの役割をしているのだと思います。
史織さんは現実に戻るために教授の部屋に行ったのだと…。

ちなみに既に結構言われていますが、このとき史織さんは既に死んでいて霊体なので、助手の人からは見えておらず会話になっていないですね(助手はイヤホンをして通話しているので史織さんとは話していない)。
霊体の史織さんが来たことで周囲でラップ現象とかが起こっている可能性もありますが、助手はかなり怒っていたので、心霊現象があっても気付かなかったでしょうね…。

ちなみに、脳内物語世界からの帰りはいいとして、行きはどうだったかというと、明確には描かれていないですがやはり教授の部屋に鍵があったと思います。
(妄想で教授の部屋にあったということは、それは現実の投影で、現実でも教授の部屋に死のマークがあったはず)
教授は「どうやったら死の恐怖から逃れられるか聞きたいですか?ー僕の講義で単位を取ること」と言っていますが、このときに、単位のためにもうひとつ課題をやりなさいなどと言って、この妄想セラピーを史織さんに伝授して、死のマークも見せるか渡すかしたのだと思います。

教授の失踪理由は合っているか正直怪しいですが、死のマークの意味はいい線いっているのではと思っています…。

<死のマークがゲートであることについての少し飛躍した考察>
そういえば、三谷の部屋に死のマークを子供が真似たような絵がありましたが、あれを見ても史織さんは現実に戻りませんでした。子供の模写だったので精度が低く効果がなかったのかもしれません。
しかし、あれはなぜあそこにあったのか。上記パターンAなら分かりますが、パターンBだとしっくりきません。
少し飛躍しますが、私はあれが、N号棟の怪異が現実に侵食しようとした形跡ではないかと考えました。

N号棟は史織さんの脳内世界ですが、同時に色々な意味が込められていると思います。
例えば、ヨモツヘグイを活かすならこの世とあの世の中間点みたいな見方ができますし、現実の人々の集合的無意識の一区画みたいな見方もできるのではと思います。
いずれにせよ、そこには怪異があります。
そして、死のマークはゲート。あちら側の怪異がこちら側に侵食してくる、ちょっと『回路』っぽいですね。
団地に行く前の教授の部屋のシーンでは、ホワイトボードに『回路』っぽい四角のマークが貼られていました。あれは、教授があちら側とこちら側の行き来について研究していたことを示す印かもしれません。
(やはり、つくづく教授はヤバイ…)

▼病院でお母さんの管を抜くシーンと、ラストの団地にいるシーンについて ★

史織さんは妄想の中では死にましたが、教授の部屋の死のマークをゲートにして現実に戻ってきます。このとき、史織さんは死んでいるのか生きているのか――はたして脳内世界での死ぬと現実でも死ぬのか、それとも脳内世界で死んでも現実では生きているのか…。
これはどちらの解釈もできると思います。

現実に戻った後、学校の入口辺りで、人が行き交うのを見ている史織の姿があります。一見すると、あれだけ社交的な人だったのだから話したり話しかけられたりするはずですが、そうはならず史織さんは達観したような表情をしています。

史織さんが死んでいるならば、霊体だから他の人からは見えていないと解釈できます。
史織さんが生きているならば、脳内世界(団地)の経験からタナトフォビアによる強迫観念を克服して、もう無理して社交的に振舞う必要はないと悟ったのだと解釈できます。

その後病院に行ってお母さんの管を抜きますが、これは脳内世界で「死は苦痛ではない、恐れる必要はない」を学んだ結果だと思います。
そして死者となったお母さんと会うのですが、生者ー死者で会っているのか、死者ー死者で会っているのかは、どちらでも解釈できる気はします。ですが「生と死の境目は曖昧」「死を正しく畏れる」を体現するとしたら生者ー死者の方がしっくりくるかなと思いました。
生者の史織さんから死者のお母さんが見えたのは、脳内世界の経験で死後の世界を信じられるようになり、死後の世界も生者の世界のすぐ傍らにあることを感じられたからだと思います。それで「史織さんの中では」お母さんが見えているのだと思います。
(史織さんがそう思っているだけで、史織さんの中でしか見えていない)
妄想セラピーをやったことで、脳内で人を動かすスキルが上達したのも効いているのかもしれません。

最後に史織は団地(廃墟)に住んでいますが、これはお母さんの管を抜いて警察に追われ隠れ住んでいるのだと思います。
(いきなり地味な考察…)
これまでの団地パートは妄想でしたが、今は現実なので、団地にいるのは史織さんひとりです。
赤い服なのは、脳内世界での設定を引き継いで、死者と共に暮らす印だと思います。あの廃墟で、史織さんにはお母さんが見えているのでしょう。
タナトフォビアも解消されて爽やか?ですね。


【6】結局どういう話だったのか(まとめ)

この映画の大まかな流れは以下のようになると思います。

  1. 史織さんは、映画サークルで死ぬ役をガチで演じすぎてトラウマを抱える。これがタナトフォビアの一因になる。
    (劇中では団地初日の夢で描かれる)

  2. 現実で史織さんは、タナトフォビア、意識のないお母さんの処遇、人間関係などの悩みを抱えている。
    ※なお、史織さんが一見社交的に見えるのも見た目通りではなく、タナトフォビアによって一日を充実させなければならないという強迫観念に囚われて無理をしている。

  3. 教授から妄想セラピーを伝授される(劇中示唆のみ)。

  4. 史織さん幽霊団地に行きソロキャンプ(推測)。

  5. 史織さんは脳内世界に入る。

  6. 史織さんは、教授から伝授されたセラピーの一環として、史織の現実、幽霊団地事件、史織の好きなホラー映画等をミックスして、脳内世界で団地の物語を妄想する。
    ※なお、妄想だからといって何でもありではなく、【生者と死者の見え方の法則】など史織さんが設定した妄想世界の法則に従っている。

  7. 脳内世界で史織さんは心霊現象にあう。
    (タナトフォビア解消に向けて死を理解するためのステップ)

  8. 史織さんは監禁部屋で死ぬが、本人は気付いていない。
    史織さんは大の男と格闘し倒したりもする。(ホラー的盛り上げパート)
    (映像は史織主観なので普通に見えるが、死者の史織さんは普通の人からは霊として見えており、超怖いので大の男にも勝てる)

  9. 加奈子(筒井さん)は史織さんに対し、死を正しく畏れることを教え諭す。

  10. 祀られた三谷と倫太郎の死体を、史織の母、生まれてこなかった子供に見立て、心のうちに抱え込んでいた思いのたけをぶちまけて楽になる。

  11. 教授の部屋の死のマークで現実に戻る。
    (妄想では死んだが現実では生きている)

  12. 脳内世界(団地)の経験からタナトフォビアによる強迫観念が解消され、無理して社交的に振舞わなくなる。
    (史織さんが行き交う学生を眺めているシーン)

  13. 脳内世界(団地)の経験から「死は苦痛ではない、恐れる必要はない」を学んだ史織さんは、病院でお母さんの管を抜く。

  14. 脳内世界(団地)の経験から、死後の世界はあり、死後の世界も生者の世界のすぐ傍らにあると信じられるようになった史織さんは、死者となったお母さんと会う(史織さんの中ではそう思っている)。

  15. セラピー効果でタナトフォビアが解消された史織さんは、団地で健やかに暮らす。
    (脳内世界で死者と暮らしている印だった赤い服を着ており、史織さんはお母さんとともに暮らしていると思っている)

こんな感じで、『N号棟』全体像としては、タナトフォビアに囚われ無理して生きている史織さんが、脳内世界(団地)での経験を経てタナトフォビアを克服し、自然体で暮らせるようになるという癒しの話だと思います。
心の平穏と引き換えに、まともな社会生活は送れなくなっているかもしれませんが、史織さん的には幸せでしょう…。

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