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時間というシェフに救われて。

「時間は一流のシェフ」
そう言ったのは誰だったか。

「おいしい」にはさまざまな「たのしさ」が付随する。

気の置けない仲間と食卓を囲むときの賑やかなたのしさ、外国で馴染みのない料理に出会ったときの好奇心が沸き立つたのしさ、美しい器やスイーツを目でも味わうときの恍惚とするたのしさ…

おいしいものにまつわる「たのしさ」を挙げればキリがないけれど、感染症の拡大によって、そのいくつかはしばらくオアズケとなってしまった。

そんな中、私は新たな「たのしさ」と出会った。

それは「待つ」こと。

コロナが無かったころの私は、平日は夜9時だか10時だか、とにかく遅めの時間にクタクタで帰宅する毎日を送っていた。

料理は「パッ」と作って「サッ」と食べられるものばかり。土日は外食が多く、手間や時間のかかる料理を作るのはクリスマスくらいだった。

そんな当時の食生活は、2019年10月に投稿した「自炊はハードルを下げるべし」というnoteに表れている。

自炊のハードルを下げるための自分なりのアイデアやハックを紹介しているのだけれど、その大半が「調理にかける時間を節約する」ものだ。たとえば、パックごはんを常備するとか、コンビニのカット野菜を活用するとか。

ようするに、私は「待つ」という行為から対極のところにいた。

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転機は2020年春の外出自粛期間。

自宅でぼんやりTwitterを眺めていると、あるシェフの「フレンチトーストのレシピ」が流れてきた。一晩しっかり寝かせて、卵液をたっぷり浸みこませるタイプのフレンチトースト。

普段は「スイーツは外で食べるに限る!」主義の私も、なにせ店が開いていないものだから、そしてそのレシピがあまりにおいしそうだったものだから、数年ぶりのフレンチトースト作りに挑戦した。

結果は大成功!

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ふわふわで甘いフレンチトーストを食べている時間も至福だったけれど、卵液に浸したトーストを冷蔵庫に入れてからの待つ時間…うきうきして、そわそわして、明日の朝を待ち遠しく思いながら眠りについたあの晩の、満ち足りた感覚が忘れがたい。

数年前に私が作ったフレンチトーストは「バニラアイスを使えば一晩漬けこまなくても濃厚に仕上がる」というレシピだった。

短時間で作れる料理やすぐに食べられる料理は素晴らしい。何度も助けられたし、これからも一生お世話になる。

けれど、一晩寝かせるフレンチトーストは「待つことでのみ得られるおいしさとたのしさ」を教えてくれた。

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それから私は「待つ料理」をよく作るようになった。

たとえば、塩豚。
レシピ本で見つけたその日に豚ロースを買ってきて、塩を塗り込んで、ラップにぴっちり包んで丸5日間寝かせた。

5日間も寝かせずとも、3日目にフライパンでそのまま焼くレシピや、4日目にパスタの具にするレシピも紹介されていた。

けれど私は、なんとしても「5日間寝かせた塩豚のせいろ蒸し」が食べたかった!

冷蔵庫を開けるたび、つつましく鎮座する塩豚を眺めて一人悦に入る毎日。朝・昼・晩の1日3回×5日間と6日目の朝・昼の合計17回見つめられた塩豚は、さぞ「美味しくならなければ」というプレッシャーを感じていたことだろう。申し訳ないことをした。

待ちに待った6日目の晩。いよいよ開封の儀である。

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うやうやしくラップを外し、身のしまった塩豚の3分の2をカットして、酒をふって、葱の青い部分と生姜と一緒にせいろで蒸すこと45分。

ほぼ6日間も待つことができたのに、この45分は途方もなく長く感じた。途中でせいろの蓋を開けたくなるのをグッとこらえて、読みかけの推理小説を開いてみるけれど、どうにも集中できない。目が滑って同じページを何度も読んでいる。結局推理小説は諦めた。出来上がったらすぐに食べられるよう、卓を拭いて、ごま油と塩、酢とコチュジャンの2種類のタレを用意した。

待ちに待ったiPhoneのアラームが鳴った!せいろの蓋をあけてから立ち昇る湯気すらも愛おしい。しっとりと仕上がった塩豚はいかにもおいしそうだ。火傷しそうになりながら塩豚を一枚一枚切り分ける。

行儀が悪いと思いつつ、台所で一切れだけつまみ上げてそのまま味見する。「フフフハ…」と変な笑いがこみあげてきた。たまらない。私はあまりにおいしいものを食べたとき、つい笑ってしまう。人類が皆そうなのか分からないけれど。

皿に盛って、卓へ運ぶ。一人なのに「いただきます」という声のボリュームがいつも以上に大きいのが分かる。

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タレをつけて一切れ一切れ堪能する。
「豚の甘味が凝縮されて…」とか、「蒸すことで余分な脂が落ちてさっぱりと…」とか、そんな言葉すら野暮に感じるようなおいしさだった。

いつもならこういうお肉料理には絶対に白米が欲しいのだけれど、今回は違う。これはビールだ。下戸だから、オールフリーだけど。ビールの味は好きで常備しているのだ。豚の味とほどよい脂身をダイレクトに味わい、ビールで喉をさっぱりさせて、また豚へ…のエンドレス。

なんでもない平日の夜が、塩豚を食べるイベントがあるだけでこれほど満ち足りるものか。

食べ終えてからもしばらく愉悦に浸っていたが、なんとこの塩豚はまだ3分の1も残っている!

この塩豚はどうやってもおいしいから、シンプルな料理が良い。

翌日はチャーハンを作った。フライパンに油を熱して、短冊切りにした塩豚を入れて脂がじゅくじゅくと出てくるのを待つ。そこに刻んだ葱とごはん、最後に溶き卵を加えて一気に炒めた。私って天才かもしれない、と思った。

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結局この塩豚は、仕込みの5日間+食べる2日間の合計1週間もの間、私を楽しませてくれたのだった。

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そういえば、「白米」も「待つスタイル」に変化した。

2019年の10月にはパックごはんをおすすめしていた私が、今では土鍋でごはんを炊いている。電子レンジでチンしてものの1分~2分で食べられるパックごはんも便利で有り難いけれど、土鍋ごはんのおいしさと待つ時間の心地よさを知ってしまうとなかなか戻れない。

土鍋ごはんは食べられるまでにだいたい1時間30分を要する。お米の浸水に約1時間、火にかけてから約15分、さらに蒸らしに10分。

時間はかかるけれど、炊き上がりを待つ間に漂ってくるごはんの香りも、はやる気持ちを抑えて蓋をそっと開けるときの高揚感も、土鍋炊きならではのふっくらとしたごはんも、香ばしいおこげも、すべて1時間30分待ったものだけが味わえる特権だ。

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(炊きたての土鍋ごはんに、ちりめんじゃこと実山椒を混ぜて食べるのがマイブーム)

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人間にとって、待ち遠しく思うものの存在は、きっと想像以上に大事なのだ。

お花見も、夏祭りも、宴会も、旅行も、いつになれば楽しめるか分からない世界になってしまった。「待つ料理」は、このメリハリのないぬるりとした日々に、小さな起伏と活力をもたらしてくれた。

時間というシェフが生み出すおいしさと、それを待ち遠しく思うひとときに、私はこの1年きっと随分救われてきたのだ。

これを書いている今は、白菜を漬け込んでいる。先週「酸っぱい白菜と豚肉の鍋」を食べたいと思いスーパーで白菜の漬物を探したけれど、見つからなかった。

落ち込んだのは一瞬で、「無いなら自分で漬ければいいじゃない」と気を取り直した。以前の私では考えられないほど、大らかな発想だ。

食べごろは来週。鍋に白菜の漬物とゆで豚に春雨、それから凍り豆腐を入れて、薬味をどっさり入れてワシワシと食べよう。来週も今日みたいに寒い日だともっといい。

そう考えている時間もまた、おいしくて、たのしい。

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