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2020年4月〜10月 振り返ってみた

 写真は、昨日の二子玉川公園から撮った空です。最近、空が綺麗ですね。😂

私は今年4月から兵庫県から就職のために東京にやってきて、病院で働いています。コロナ真っ只中ですね。他人から見れば、わざわざ嵐の中に足を入れにきたかと映るかもしれません。活動が制限、外出を自粛し、自宅と病院、スーパーの行き来の数ヶ月を過ごしました。あれ、ここ東京だよな?と頬をつねることもしばしばありました。でも、そんな中でも、初めての地で、たくさんの心動かされる、または、物事の対極に気づいて、それを楽しむ時間を過ごしたんですね。例えば、コロナによる世間の喧騒の姿、落ち着いて情に余裕を持ち公園で日光浴や読書をする姿。マスクを煩しそうに付ける姿とお洒落アイテムとして楽しむ姿。青空の広がる休日とシャッターが閉じたお店と誰も歩いていない静かな街。在宅ワークをする友人と毎日病院へ出勤する自分。

 このような時間は、多くの方にとって、我を見つめ直し、物事の価値に焦点を当て、哲学に至るまで掘り下げる。そんな時間だったのではないでしょうか。
 現在は、自分が罹患するかもしれないリスクと隣り合わせでも、社会が感染対策を徹底し、徐々に元の様になりつつある印象です。外出する人も増えましたし、マスクをせずに談笑する様な人も街に出てきましたね。。



 皆さん、部屋から一歩も出なかったあの時に、思い描いていたストーリーを手繰り寄せていますでしょうか。私は、過去ー現在ー未来の3世代の自分自身を繋ぎ合わせていました。

過去 

 私は、昔からスポーツが好きで、将来の夢は、「ウルトラマン!」の次の夢には、スポーツ選手のケアをするトレーナーがあがっていました。当時はトレーナーというと、オリンピックや世界選手権のイメージしかなかったので、その大舞台に立つことを何となく夢描いていました。
 月日が経ち、大学に入ると、キリスト教系の学校だったので、スポーツの学問に加えて、キリスト教の講義もあり、宗教にも触れました。
スポーツ×宗教観の視点に立ち、科学的なものと、非科学的なもので構成される「ヒト」「人」「ひと」を詳しく知りたいと考えるきっかけになりました。
 キリスト教会にも通ったこともありました。世界で一番信じられている価値観に興味があったからです。死生学という講義は大変おもしろく、「死を意識して初めて、生を考える事ができる」という言葉が印象に残ってます。全人的視点・ホリスティックに人を捉えるということを学びました。
 また適切な運動は、脳の器質的変化、疾患を克服することに益に働くということを知り、運動はアスリートのためだけにあるのではなく、障害を持った方や、高齢の方のためにもあり、生活を豊かにする1要素だということを学びました。運動による人への影響に興味を持ちました。「運動、ホルモン、認知機能、脳、海馬、etc」で論文を検索しまくりました。日本でトップレベルの大学院の研究室訪問に幾度か行きました。
 これまで、「ヒト」「人」「ひと」を学ぶ為に、「身体的・精神的・社会的・スピリチュアル」な視点に立ち、定義を作り上げたいと足を動かしました。この経験は、心の底からやって良かったと思うし、各視点で新しい扉が開く経験の連続でした。しかし、幾ら点と点が繋がり一つの線ができたとしても、その線が他の線と繋がるには、いつも邪魔する最強の概念があります。 それは「個人差」です。

 たくさんの「個人」を経験したい。

 何かを失った人に運動がどう作用するのか、人の死と生に寄り添いたいと思いました。そして、たくさんの個人を経験したいと考えました。それが出来るのは病院。病院で運動を患者様へ届けたいと思い、卒業後、理学療法の専門学校へ3年間通いました。またその3年は大学時代から続けていたフィットネスクラブでトレーナーとして働き、トレーニングに関しての勉強もしました。NSCAとNASMという団体の資格を取得しました。そして、理学療法士の資格を取得し、病院勤務が始まりました。



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