見出し画像

フツウって何ですか?

みなさん、こんばんは。【話を聞く人】をしているおかぴと申します。
記事を開いていただきありがとうございます。

このnoteでは私が毎日学んだことを発信しています。
今日のテーマは「フツウってなに?」です。

最近はあまり気にすることがなくなったのですが、お昼ご飯を食べながらふとフツウについて考えてしまいました。

そもそも辞書で普通を調べると

特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。

このように出てきます。日常会話でも「フツウだったらこうするよね」「これってフツウじゃないの?」などと使います。

なんとなくニュアンスは伝わりますし、いちいち会話で「ねえ、今のフツウってどんな意味で言ったの?」なんて聞きはしません。

でもフツウっていったい何なのでしょうか?

みんながやっていること、当たり前なこと、というなら何が当てはまるのでしょうか。
周りに迷惑をかけないこと、仕事をすること、挨拶をすること…これらはフツウの行動なのでしょうか。

お昼ご飯をもぐもぐしながら少し考えて、ふと気がつきました。
「あれ、フツウなんてものはないじゃないか」と。

例えば私が街中に出て歩くとします。
キョロキョロ周りを見ながら歩けば、フツウじゃないやつ認定を受けるかもしれません。
スキップしながら歩けば、フツウじゃないやつ認定を受けるかもしれません。

では、”フツウの歩き方”というのは何なのでしょうか。
速くもなく遅くもなく、周りをキョロキョロ見ずにスキップもせず、表情はあまり豊かでなく、無言で歩く。これはフツウでしょうか。

そう。誰も答えられないのです。”フツウの歩き方”なんて正解はないのだから。

歩き方で例えましたが、食べ方・話し方・考え方など、何においてもそうです。フツウなんてないんです。

そしてもう1つ気がついたのは、「世の人はフツウなんてものは存在しないのに、存在していると思い込んで、演技をしているだけ」ということです。

私だって、今日、赤信号で止まるのはフツウと思って、車が来ていないのに2mくらいの横断歩道を待っていました。
「赤信号で止まるのはフツウだと思い込んで、フツウ人の演技をしていた」のです。フツウとは恐ろしいものですな。

・そもそもフツウが存在しないこと
・それなのに存在していると思い込んで演技していること

この2つが分かってうえで、どうすべきか。
フツウがないというのは、フツウ=○○の定義がないだけで、自分なりの答えはあっていいものです。
それこそ、”私にとってのフツウ”はあってよいものだと思います。

なので私としては、「よく考えること」と「フツウ以外を探してみること」が大切かと思います。

世の中の”フツウ”なんていい加減でふわふわしたものに流されずに、自分の頭で考えてみること。考えるときは、”異常なこと””おかしいこと”を探す方がわかりやすいでしょう。

あなたが「もしこれをやったら異常なんじゃないか…」と感じることが、”フツウと思い込んでいる”ことの可能性は十分あります。

自分の日常を振り返ってみて、おや?と感じる点があれば、そこをきっかけにして「フツウ以外を探してみる」と良いでしょう。何か発見が生まれるかもしれません。自分の行動が無意識で誰かに合わせていると気づく人もいるかもしれませんね。

そもそもフツウなんてものはない。これを知るだけでも自分の枠が広がる気がします。考えるのが苦痛だという人は、「フツウがない」ということだけでも知ってみると良いかもです。

考えることは楽しいですね。それではこのあたりで失礼します。
また明日も前向きに生きてみます。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?