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こんばんはー😋


今日は前回投稿した記事
続きだよ🙌🏻



今日はね〜
文章で書いていくのちょっと
というか、かなり!難しいんだけど
私なりにがんばってみる🍒


どうぞお付き合いよろしくお願いします🐶


さて、突然ですが


家を出る!

ということは


私にとっては縁を切る
という考えしかありませんでした。


だって、何度も何度も家を出たい話をしても
その度に母が

ぎゃぁーーーーー!!!!ってなる。


どんなにうまく説明しようとしてもね
その母の状況を一番的確に簡潔に表現できるのは


ぎゃぁーーーーー!!!!


もうこの言葉に尽きます。笑


毒親って
まずまともな会話が成り立たないんですよ。


成り立ってたら私のような人たち
誰も苦労してない🤧


それでも会話を続けようもんなら

「お前なんか産まなきゃよかった」

「私の人生返せ!」

「今まで私がしてきたことは何だったんだ!」


わりと心をグリグリとえぐられる言葉を
どんどん浴びせられるので、

歳をとるにつれ
私も自分が傷付かないように極度の言い争いはなるべく避けていました。


(とわいえ、こっちがいくら避けようと思っても
一度向こうのスイッチが入ってしまったら
あちらさんの気が済むまで暴言のオンパレード爆弾が始まってしまうので
私には対処のしようがないのですが😱)

話を戻して 
家を出る計画について💡


私は東京のど真ん中(母親の地元)で
育ったのですが、家を出る前の1年ちょっとは
東京から少し離れたところに住んでました。


毎日のように都心へ通勤するのは
かなり体力的にも金銭的にもキテル頃だったな。。。


はじめにも書いた通り
家を出たいという話をすると全く会話にならないものの

もう一度最後に話してみよう
と思って

家から出て一人暮らしをしたい
その交渉しても結局会話にならず



「お前男ができたんだろ?」
「お前なんて男と暮らしてもすぐに子供ができて
人生終わるだけだ!!」

と言われ


”お母さん、私たちもうお互い傷つけ合うのはやめよう?
もうお互い自由になろう?”


そう言っても彼女の胸に私の想いが届くことはなく



このまま生きていても
私は死んでいるも同然
もう、真当な手段なんて私には選べない
誰に何を言われようと必ずここから逃げる


その一心で母には黙って家を出る計画を立てた。



私は家を探すならやっぱり友達がいて、仕事もしやすい
地元に戻りたいと思っていたから


地元周辺でお部屋探しを始めた❣️


私ったら決めてしまえば行動だけは早いんです😎笑


母と2人で生活するようになってから
引っ越しは何度もしていたし、そこは慣れたものって感じだったのですが


自分名義でのお部屋の契約は初めてなわけです!


彼も心配して、一緒にお部屋探しをしてくれることになりました❣️


貯金はほぼないし、都心で1人で住むとなると
結構金銭的にキツイですよね💧


なんとか、予算内のお部屋を見つけ
ここはもう勢いで行くしかない
という感じで、内見後、すぐに契約の手続きへ…



と、ここでちょっとみなさん!!


毒親と離れるのには勢いが絶対必要なんです!!

なんでかわかりますか??


これまでの自分を思い返してみてください。


小さい頃から

自分の親は他と違う
うちの親はなんか変だ
他の親より厳しすぎじゃないか

とかそんな想いが何度か過ってたはずです。


でもそう思って
毒親の意見と違うことをしてみたり、反論してみたり…
その度に、毒親と喧嘩したり、暴言を吐かれたり、暴力を振るわれたりして


逆らえなかったり
やっぱりうちはおかしくない
親が正しい、私が間違ってたんだ


そんな風にいつも自分自身の思考から
毒親が自分たちに与える思考(毒親の思考)へ
戻ってしまっていたはずです。

私は先ほど、"決めてしまえば行動は早い"と
そう自分のことを書きましたけど


この決断(母に黙って家を出て絶縁)をするまでに
正直、何重往復、いや、小さい頃から計算すれば何百何千往復としたことか。


(以下、私の心の中....)


👼自分はもういい加減自分の人生を歩んでもいいよね、だって私の人生は私のものだもの


😈いやいや私が居なくなったらお母さんは一人ぼっちになっちゃうじゃん


👼でも、私はこれまであらゆる方法を試して
どうしたらお母さんが幸せになってくれるか、怒らないか、たくさん努力してきたけど、何をしたってお母さんはいつも変わらないじゃない!


😈とは言っても、ここまでお母さんだって一生懸命苦労しながら1人で私を育ててきてくれたんだよ…やっぱり私はお母さんを見放しちゃダメでしょ


👼けれど、もしこのままだったら今の彼氏とのお付き合いも続けられないし
結婚もできない。
(母は死ぬほど私の彼氏を嫌っていた)
永遠にお母さんの面倒を見て、そのうち介護することになって
その頃私はもういいおばさんになっていて、自分のやりたいことも結婚も子供何もかも諦めることになって死ぬんだ


😈言いたいことはわかるけど、じゃあお母さんはどうするのさ!
彼氏もいないし、ここから先1人で孤独死でもしたらどうするの!


👼そんなんまだ若いんだから孤独死なんて先の話だよ!
そんなことより私の華の20代はどうなるのよ?
20代も30代も全部お母さんに捧ぐの?
私、何のために生きてるのかわからないよ

😈でも、お母さんだって自分の夢は諦めて私を育ててきたわけで
ここで見放したらただの親不孝者だよ


👼夢を諦めたっていうけどそんなの産むって決めたのはお母さんなんだし
離婚するって決めたのもお母さんなんだから私が気にすることじゃないよ!


・・・・・・


とまぁこんな感じで永遠と小学生の頃から
自問自答が続いていたわけです。


そして結局は、お母さんと縁を切ったりするのは
お母さんに申し訳ない、可哀想。
というかそもそも、家を出るとか許されてないんだから無理じゃん。


ていうところに落ち着いていたわけです。


だから
決心して 今だ!

と思った時に最後まで駆け抜けるしかないんです。


いくら自分の中で覚悟決めても決意しても
これまで親が私たちにかけてきた呪縛って
そう簡単に取れるものじゃありません。

縁を切ってからもその呪縛を解くまでに何年かかかるくらいだからね。


もう心の底まで染み付いてるから。


それと、毒親に育てられてきた人や
毒親について勉強してきた心理カウンセラーの先生でもなければ
世間一般の人には

親と縁切るだの、そういうことは
非道だ、親不孝だ、やり方が幼い、と言われる。


そこに負けない!ブレない!

何が何でも私は私の力で自分の人生を勝ち取る

その心意気がないと絶対途中で失敗する⚡️⚡️


大事なことは

突っ走ること!!!


ちょっと話が脱線しちゃった??😂


続きはまた次回に書きます✏️


またね🍓😋