【近現代ギリシャの歴史7】首相ヴェニゼロスと国家大分裂
こんにちは、ニコライです。今回は【近現代ギリシャの歴史】第7回目です。
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1909年、近現代ギリシャの歴史の中で、最も傑出した政治家が登場します。それが、エレフセオス・ヴェニゼロスです。卓越した手腕を持っていたヴェニゼロスは、立ち遅れていたギリシャの政治、経済、軍事を改革し、近代化を成し遂げます。しかし、その一方で、その政治的方針をめぐって、国家はヴェニゼロス支持派と反対派に分裂してしまいます。今回は、戦う政治家ヴェニゼロスと、彼によって引き起こされた国家大分裂について見ていきたいと思います。
1.ヴェニゼロスの登場
エレフセオス・ヴェニゼロスは、1864年、オスマン帝国支配下のクレタ島の雑貨商の家に生まれました。家業を手伝いながらアテネ大学法学部で学び、卒業後は弁護士をしながら、オスマン帝国によるクレタ支配を批判し、ギリシャへの統合を目指す活動を始めました。1889年には24歳でクレタ議会の議員となり、1896年のクレタ蜂起の際は、反徒代表としてオスマン側と交渉を行います。
蜂起後、クレタが自治領となると、ヴェニゼロスは法務大臣に就任します。しかし、高等弁務官となったゲオルギオス公が、クレタ住民の声に耳を傾けず、列強のご機嫌伺いばかりしていることに不満を抱き、対立を深めていきます。1905年、ヴェニゼロスは蜂起を起こし、ゲオルギオスを辞任させることに成功します。新しく派遣された高等弁務官ザイミスは、ヴェニゼロスに行政全般を一任したため、ヴェニゼロスのもとで政治体制の整備と軍隊の創設が進められました。
この頃には、ヴェニゼロスの名はクレタ統合を目指す英雄として、ギリシャ本土でも広く知れ渡るようになっていました。当時のギリシャ本土では政治が混迷しており、1909年には若い将校を中心とした「軍事同盟」によるクーデターが起きました。軍事同盟は、クーデター以前に議会を牛耳っていた政治家を信用せず、彼らに代ってギリシャを導く新しい政治家を求めていました。そこで白羽の矢が立ったのが、ヴェニゼロスでした。同年12月、ヴェニゼロスはアテネに到着し、翌年には首相に就任します。
2.ヴェニゼロスの黄金時代
ヴェニゼロス率いる自由党は、首相就任後の選挙で362議席中307議席を獲得する大躍進を果たします。ここから1916年までの6年間、ヴェニゼロスがギリシャの近代化に邁進する黄金時代に突入します。
まず着手したのが、議会と行政の効率化・安定化です。ヴェニゼロスは憲法改正によって議会の定足数を引き下げ、軍人や公務員などが議員となることを禁止し、公務員が終身雇用とすることを定め、それまで派閥争いが酷く、能率の悪かった議会と行政を改革しました。また、徴税システムの改革や、滞納・密輸の取り締まりを強化して歳入が増加を図り、産業の新興と社会保障の拡充によって、当時増加傾向にあった移民の流出を食い止めようとしました。この時代、建国以来赤字続きだったギリシャの財政は初めて黒字に転じました。
ヴェニゼロスは、ギリシャがヨーロッパ諸国に認められるには、近代的な軍事力が不可欠であると考えていました。軍隊の近代化のため、フランスとイギリスから専門家が招聘され、それぞれ陸軍と海軍を指導しました。徴兵の義務化で常備軍は6万人から10万人に増強、艦隊の拡充も図られました。改革の成果は1913年のバルカン戦争で大いに発揮され、ギリシャはクレタ島を含む当時の国土面積とほぼ同じ面積の領土を獲得しました。
建国以来、財政赤字、不安定な経済、非正規軍だよりの軍隊を抱えていたギリシャは、ここでようやく近代化を成し遂げ、安定した成長に向かい始めました。内外政で成功を収めたヴェニゼロスは、カリスマ的指導者として時代の寵児となりました。
3.第一次世界大戦と国家大分裂
1914年6月のサラエヴォ事件をきっかけに、第一次世界大戦が勃発すると、ヴェニゼロスは建国以来の保護国であり、経済的関係も深い協商国(イギリス、フランス、ロシア)側に立って参戦することを主張しました。ところが、国王コンスタンディノス1世は、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が義兄にあたることから、中立を保つことを望みました。両者の亀裂は次第に深まっていき、1915年10月、国王はヴェニゼロスを首相から解任します。
しかし1916年10月、ヴェニゼロスと彼の支持派はテッサロニキに臨時政府を樹立します。ギリシャは、二つの政府が併存する「国家大分裂」という状態に陥ったのです。ヴェニゼロスを支援する協商国はアテネの外港であるピレウスに軍隊を上陸させ、さらにギリシャに対する経済封鎖を行いました。1917年6月、協商国からの圧力に屈した国王は亡命し、ヴェニゼロスがアテネに復帰しました。
ヴェニゼロスは議会を再招集して政権基盤を固めるとともに、国王を支持した人々に「親独派」というレッテルを貼り、大々的な粛清を行いました。国王支持派の裁判官や国家公務員は解雇され、アテネに留まっていた将校たちには昇進の道が閉ざされました。また、反ヴェニゼロス派の政治家の中には、報復を恐れ亡命した者さえいました。ギリシャの政府はひとつになっても、これらの粛清によって両派の対立は和解不可能なまでに硬直化してしまいました。
4.小アジアへの侵攻
協商国側で参戦したギリシャは、大戦が終結すると戦勝国としてパリ講和会議に参加することとなり、ギリシャ代表を務めたヴェニゼロスは、小アジア西部、東トラキア、北イピロスの割譲を要求しました。ところが、交渉を有利に進めようとしたイタリアが独断で小アジアに軍隊を上陸させてしまいます。イギリス、フランス、アメリカは対抗措置としてギリシャ軍の出動を要請し、これに応えたヴェニゼロスは、1919年5月に小アジア西部の港湾都市スミルナに軍隊を派遣し、これを占領しました。
ギリシャ軍が上陸してすぐに、ギリシャ人とトルコ人の間で小競り合いが発生し、数百人の死傷者が出ました。ギリシャから派遣された行政長官はギリシャ人もトルコ人も平等に扱う原則を掲げはしましたが、実際にはトルコ人は公職から追放され、ギリシャ軍による暴力行為を止めることもできませんでした。ギリシャ軍は当初与えられていた支配領域を超えて占領地を拡大していき、周辺の村を襲撃してはトルコ人を虐殺していきました。
その後、1920年に締結されたセーヴル条約で、ロードス島やドデカネス諸島を除く全てのエーゲ海の島々及びトラキア全体を獲得しました。さらに占領したスミルナを中心とする小アジア西部もその後もギリシャが管理し、5年後の住民投票で、ギリシャへの統合かオスマン領に留まるのかが決定されることになりました。こうして地図上では、ギリシャの壮大な失地回復運動である「メガリ・イデア」が実現されることになりました。
5.スミルナ炎上
1920年4月、アンカラで大国民議会を招集したムスタファ・ケマルが、「国民闘争」と呼ばれる抵抗運動を開始しました。協商国はケマルによってオスマン政府が打倒されれば、セーヴル条約が無効となってしまうことから、ギリシャ軍がこれを討伐することを期待しました。しかし、長年にわたる戦争で厭戦気分が蔓延していたギリシャでは、同年11月の選挙で戦争を推進するヴェニゼロス派が敗北し、翌月には亡命していたコンスタンディノスが国王に復帰しました。第一次大戦の際、中立を押し通そうとした王党派を協商国が認めるはずもなく、ギリシャへの支援を止めて小アジアから撤退したため、ギリシャは国際的に孤立していきました。
「小さくとも名誉あるギリシャ」というスローガンを掲げ、反戦を主張していた王党派でしたが、いざ政権につくと小アジアへの侵略を続行することを決定しました。しかし、協商国の支援がない中では武器や戦費の調達が困難となり、さらに、軍隊内部でヴェニゼロス派と王党派との派閥争いが起き、混乱が広がっていました。アンカラまであと65キロまで迫ったギリシャ軍でしたが、1921年8月のサカリア川の戦いで大敗を喫して、以降は西へと退却していかざるを得ませんでした。
1922年3月、協商国はギリシャとアンカラ政府との停戦案が作られますが、勝利を確信していたケマルはこの提案を拒否し、ギリシャ軍への攻撃を継続しました。同年9月9日、残された最後の占領地となったスミルナにトルコ軍が入城し、略奪と虐殺の限りを尽くしました。9月13日の午後には火災が発生し、ギリシャ人居住区、ヨーロッパ人居住区に燃え広がりました。スミルナでは3万人のギリシャ人とアルメニア人が虐殺されたとされています。
スミルナの陥落によって、ギリシャ軍は小アジアから駆逐され、ギリシャは西トラキアを除くセーヴル条約で獲得した全ての領土を失うことになりました。
6.まとめ
有能な政治家ヴェニゼロスの登場により、ギリシャは近代化と領土拡張を成し遂げました。ヴェニゼロスの功績は現在でも称えられており、彼の名はアテネ国際空港の正式名称に採用され、さらに空港内にはその業績を説明するコーナーが用意されているほどです。また、パリ講和会議でヴェニゼロスを目の当たりにしたイギリスの外交官ハロルド・ニコルソンは、「ヨーロッパの最も偉大な政治家は、レーニンとヴェニゼロスだけである」と評しています。しかし、そのヴェニゼロス自身が国家の分裂を招き、そしてそれが小アジアでの敗北につながっていきました。ヴェニゼロスがもたらした対立は根深いものであり、両派の対立はその後も戦間期を通して続くことになります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
主な参考
スミルナ陥落の際、ギリシャ人難民の脱出を助けた日本人船長の話が伝えられています。詳しくはこちらから
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