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ロシア・ウクライナ・ベラルーシの宗教史

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ロシア、ウクライナ、ベラルーシの歴史を、宗教という観点からまとめていきます。ローマ・カトリックやプロテスタントとはひと味違う、東方正教会の世界へようこそ。
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#キリスト教

ロシア・ウクライナ・ベラルーシの宗教史15 20世紀ウクライナの正教会と合同教会

1.はじめに現在のウクライナには、ウクライナ正教会を名乗る組織が2つ存在しています。1つは2…

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ロシア・ウクライナ・ベラルーシの宗教史14 ソ連体制下のロシア正教会

1.はじめにロシア革命以降、ロシア正教会は無神論を標榜するソヴィエト政権の支配下に置かれ…

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ロシア・ウクライナ・ベラルーシの宗教史13 ロシア革命と無神論国家の誕生

1.はじめに1917年の帝政ロシア崩壊によって、ロシア正教会は国家の支配から解放されました。…

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ロシア・ウクライナ・ベラルーシの宗教史12 帝政末期の正教会

1.はじめにロシア正教会はロシア帝国の国教であり、その歴史と深く結びついています。しかし…

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ロシア・ウクライナ・ベラルーシの宗教史11 宣教師ニコライと日本正教会

1.はじめに19世紀のロシア正教会では、異教世界に対する伝道活動が活発化しました。それは、…

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ロシア・ウクライナ・ベラルーシの宗教史10 大国支配下の合同教会

1.はじめに1596年のブレスト教会合同により誕生した合同教会は、その後、ポーランド・リトア…

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ロシア・ウクライナ・ベラルーシの宗教史9 ロシア帝国の教会支配

1.はじめにロシアにおける教会と世俗権力の関係は、時代によって様々に変化していました。あるときは、教会が政治に積極的に介入し、またあるときは、世俗権力によって教会が虐げられることもありました。ロマノフ朝初期においては、ミハイル・ロマノフの父フィラレートは、「大君主」を名乗り息子とともに政治を行い、儀式改革を行ったニコンは総主教の地位はツァーリよりも上であると考え、独裁的に権力を握りました。 しかし、教会はやがて国家へと従属していくこととなりました。それは、ロシアの近代化が開

ロシア・ウクライナ・ベラルーシの宗教史8 ブレスト教会合同

1.はじめに合同教会(ユニエイト教会、ウニアート教会)とは、東方典礼カトリック教会、ギリ…

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ロシア・ウクライナ・ベラルーシの宗教史7 ルーシ第二府主教座の興亡

1.はじめに1240年、モンゴルの侵攻によってキエフは陥落しました。当時、ルーシの教会を統一…

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ロシア・ウクライナ・ベラルーシの宗教史6 ニコンの改革と古儀式派の成立

1.はじめに16世紀の西ヨーロッパでは、ドイツのマルティン・ルターらによって始められた「宗…

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ロシア・ウクライナ・ベラルーシの宗教史5 モスクワ=第三ローマ論

1.はじめに1240年からモンゴルの支配下におかれたルーシの地では、モンゴルの宗教的寛容政策…

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ロシア・ウクライナ・ベラルーシの宗教史4 荒野修道院運動の展開

1.はじめに修道制とは、もともとはエジプトの砂漠地帯で発生した、祈りの環境を整えるために…

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ロシア・ウクライナ・ベラルーシの宗教史3 キエフからモスクワへの遷座

1.はじめにキエフ・ルーシの首都キエフは、988年にキリスト教が受容されてからは府主教座が置…

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コンスタンティノープルの象徴 ハギア・ソフィア大聖堂

1.はじめにハギア・ソフィア大聖堂(ハギアは「聖」、ソフィアは「叡智」を意味する古代ギリシャ語。現代ギリシャ語ではアギア・ソフィア、トルコ語ではアヤ・ソフィアとなる。聖ソフィアとも訳される)は、ビザンツ帝国時代に建築された聖堂で、かつてはコンスタンティノープル総主教座が位置し、さらに皇帝の戴冠式などの様々な行事が執り行われるなど、まさに帝国を象徴する宗教建築でした。今回は、ハギア・ソフィアがたどってきた歴史を見ていきたいと思います。 2.ハギア・ソフィア誕生の経緯ハギア・ソ