恩納ナビの世界
「氏より育ち」
いつか母が教えてくれた言葉だ。
人間にとって家柄よりも育ちや環境が大事だという意味である。
琉球古典音楽「恩納節」の琉歌を詠んだ女流歌人、恩納ナビの生家跡を訪れた時にこの言葉を思い出した。
琉歌とは琉球文化の歌である。
ナビは沖縄県恩納村の農家の家に生まれた。
彼女がいつ頃に生まれたのかは定かではないが、ナビが残した歌の背景から、江戸時代中期だと言われている。
生家の建物自体はすでに無く、生家跡と分かる石碑が彼女の歴史の始まりを教えてくれていた。
周囲は背の高い林に囲まれたくぼ地で、あっという間に空気が滞りそうな閉塞感を覚える。現在は畑に姿を変え、ひっそりセミの声が響き流れるような静けさが続く場所であった。
ナビについては三線の師匠である山内昌也先生が「恩納節」と共に教えてくださった。言葉選びが優雅で教育環境が十分整った家で育ったのだろうと勝手に想像した。紅型の着物に身を包み、沖縄の美しい海や山を眺めながら小筆をサラサラと滑らす姿だ。
だから私は、くぼ地の生家跡を目の前に少々パニックになり、「えっ、そうなの?」と目ん玉を落とした。
「恩納松下に 禁止(ちじ)の碑の立ちゅす 恋しのぶまでの 禁止(ちじ)やないさめ」
ナビが詠んだ恩納節の歌詞である。
「恩納村にある番所の松の下に禁止令の立て札が立てられたが、恋をすることまで禁止してはいないですよね」と彼女は投げかける。
ナビがこの琉歌を詠んだ背景には、当時の役人が農民たちの楽しみにしていた子孫繁栄などを祈願する踊り(シグヌ)を禁止した札を番所に立てたという出来事がきっかけであった。ナビは役人、そして国王に対する率直な意見を恐れることなく琉歌に表現したのだ。
ナビの類いまれなる感性は彼女を取り囲む恩納村の環境、取り巻く人々との交流をナビが敏感に感じ取った賜物だったのではないだろうか。
想像の域を越えないことは分かっている。
しかし、彼女がその環境と人々の感性や人間性を吸収する能力に長けていた事がうらやましかった。
生家跡を訪れた時も、生家跡の石碑を前に目を閉じて意識を向ければ蝶が舞い、塩気を感じる生暖かな風、木の葉を通して届く太陽の光が余すことなく感じる事ができる。そしてすぐ側には、青く輝く海に堂々と君臨する万座毛がいつでも向き合ってくれる。
周囲の民家からは優しくナビの成長を見守る大人達の笑い声さえ聞こえてきそうだ。
家柄が立派だからといって、人を引き付ける琉歌がうたえる訳ではない。私は、環境による刺激が人間に及ぼす美しさを知り、母が言っていた「氏より育ち」と言う言葉を改めて実感した。
ナビの生家跡から程近い恩納村の番所跡の隣に恩納節の歌碑がある。「恩納節」の歌詞通り、そびえ立つ1本の松と共にその歌碑はたたずんでいた。石の塊に刻まれた文字はナビーの気持ちを詰め込んだような、力強いのびやかな字であった。
盛夏の空に松が良く映える。
まるでナビが思いっきり両手を広げて自由な未来を手繰り寄せようとしている姿に見えた。