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泡盛「残波」と辺野古の夫婦

泡盛の銘柄「残波」を見かけるたびに思い出すことがある。沖縄県名護市辺野古に住む一組の初老夫婦だ。

私は2009年12月沖縄県那覇市でスクーバーダイビングのライセンスを取得した。無事に取得した夜、ここは奮発して美味しいものを食べようと事前に目を付けていた那覇市内の泊埠頭近くで大東島の料理を売りにしている「喜作」という割烹小料理屋のカウンターに1人座った。
カウンターには他に初老の夫婦らしき1組、座敷には数組のグループがいて、まだ18時時を少し過ぎた頃だったが、賑やかな音で溢れかえっていた。
祝い酒といきたいところだったが私は下戸だ。しかもライセンスを無事に取得できた安心感と2日間の海洋講習の疲れで悪酔いしてしまいそうな予感がしたこともあり迷わずさんぴん茶を選んだ。
さんぴん茶を飲みながら「喜作」の代名詞である大東寿司に舌鼓を打っていた時、カウンターに座っていた初老夫婦から「1人で来たの?旅行?」と声をかけられた。夫婦は名護市辺野古に住んでいて、1泊2日で那覇市内観光に来たという。
私の事情を説明し、一段落つくと「お祝いしないとね、泡盛のボトル入れようね」と想定外の反応が帰ってきた。
私は慌てて断ったが、ご主人は楽しい那覇の夜を満喫し、既に出来上がっている様子で、注文した泡盛「残波」の封をカリカリと乾いた音を鳴らして開けてしまっていた。下戸だと言うことを伝えてもご主人は「お酒飲まないと本音で話せないんだから、人から信用されないよぉ」という勝手な持論を唱え、私にボトルを傾け続ける。頑として譲らないのでしぶしぶグラスを傾け、チビりと泡盛をなめ始めたタイミングで私の祝賀会は華々しく幕をあけた。

夫婦は那覇がすっかり大都会になってしまっていてビックリしたというような内容の話や今回の旅行を決めるいきさつを、私はにわかに目撃した海中がどんな世界だったかを力説した。おしゃべりをする中で奥さまはこんな仰天エピソードを話し始めた。

奥さまは横須賀の出身で結婚をきっかけに沖縄に移り住んだ。新婚当初からご主人は徘徊ぐせがあり、仕事に出掛けると2、3日帰らないことが日常茶飯事だったそうだ。ご主人の言い訳としては飲みに誘われると朝まで飲んでそのまま仕事に行く、そして夕方にまた違う飲み友達に誘われるので再び朝まで飲んでしまうから家に帰る時間がなかったという。奥さんは慣れない土地で友達も相談する相手もおらず、毎日夫を待ち続けたが、いよいよ我慢の限界が近づき、横須賀の実家に家出してしまった。家出をしたはいいものの、一向に夫が探している様子はない。
結局、1ヶ月後に「最近、見かけないんです。どうしたのかなぁ?ぼくの奥さん知りませんか?いたら迎えに行きますけどぉ」と奥さまの実家にご主人からの連絡が入ったそうだ。

こんな話を夫婦はゲラゲラ笑いながら話し、当時を蒸し返すかのようにお互いの言い分を押し付けあっては、「お互い若かったなぁ」と豪快にゲラゲラ笑った。「ご主人、ちょっとは反省しないとね」と思いながら私もゲラゲラ笑った。
チビり、チビりのグラスの中はやどんどん濃いめの水割りに変わり、お互いの笑い声が大きくなる度に私の喉はグビりグビりと鳴っていた。
一部始終話を聞いていたカウンター越しの板前さんは私が潜った座間味島産のタコの刺身を「お祝いだから」と出してくれた。お返しはもちろん「残波」だ。
あとからカウンターに座った20代半ばのカップルも巻き添えにして気づくと大宴会会場になっていた。途中参加のカップルは私と初老夫婦が初対面と聞いて分かりやすく残波の中身を吹き出していたが、30分も酒を酌み交わせばカップルもゲラゲラ笑い、端から見たら親戚か何かの集まりと勘違いするはずだ。

2時間後、私は見事に酔っぱらい、別れの挨拶もきちんとできぬまま命からがらホテルに戻った。
ひどいめまいと吐き気で朝方まで、何度ベッドとトイレを往復したかわからない。
「喜作」には数年後時期をずらして2回足を運んだ。
訪れる度に祝賀会の興奮を思い出してカウンターに座る客を観察してしまう。もしかしたら辺野古の夫婦が座っているかもしれないと妄想が走るのだ。
そしてあの夜、夫婦の連絡先を聞かぬまま解散してしまったなと少し反省するのだ。

私は、米軍基地移設の問題で話題となっていた辺野古に住んでいる人は、たいそうナーバスになっているのではないかと思い込んでいた。しかし、ご主人はその事にも触れ「どっちでもいいんだよぉ、どっちって言われてもみんな違うからねぇ、ハハハハハ」と残波で赤くなった顔をくしゃくしゃにして笑う。

「みんな違うからねぇ」

酔っ払った真っ赤な顔は説得力に欠けたが、まとまりのある文章のようにさっぱりとしてかっこよく聞こえた。

沖縄に住んでいる人とまともに話をしたのはこの「喜作」での祝賀会が初めてだった。
昨今はこのような交流会は不要不急と言わてしまうのだろうが、私の人生にとって、この祝賀会は世界をカメラのワイドレンズで見る感覚を養えた。





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