代替医療の議論のタブーについて

現在科学的に証明された最も効果の高い治療法を、標準治療といい、
それ以外のものを代替治療(総称して代替医療)と呼びます。

代替医療の中では、科学的に効果がないことがわかっているものが多く(ホメオパシーなど)、
その論拠のほとんどは、中学や高校の理科を習ってないんじゃないかと思えるくらい、非科学的、非論理的なものが多いです。(”波動”とか)

なので、標準治療など、効果を科学的に証明する側の人たちは、代替医療に良くて否定的、悪くて敵対的です。
「そんな効果もない医療を高額で提供するなんて、金儲けだ、患者を騙している」というわけです。
ちなみに東洋医学は、アメリカでは代替医療だそうです。

僕の印象ですが、科学的な人間(医者とか)は、科学の基礎からの知識を持っており、
代替医療を提唱する人は、ろくすっぽ理科の知識もないくせに、「科学にはまだわからないものがある」などと、ふわふわした妄想を抱いていると、軽蔑している節もあるようです。

では、そもそも、なぜ代替医療は存在しているのでしょう?

科学的な人間からは、これを問うこと自体がタブーかもしれませんが、
あえて、突っ込んでみます。

もちろん金儲けの人はいるでしょう、
かかる費用に対して明らかに高額の費用を請求するケースがあります。

ただ、ネットができて、pubmedで誰でも論文が読める時代になっても、まだこれだけの種類がある。効果が怪しいなんて判断は専門家でなくても、比較的容易にできるようになりました。

医学的にはないものが多くても、なんらかの社会的、心理的なメリットがあるからではないでしょうか?

同じような例として、科学の時代になっても宗教がまだ存在している、新しい宗教や宗派が生まれたりもしています。
宗教自体が、直接人間の寿命を伸ばすわけでない、と思いますが、
それでも、存在しているのは、なんらかの意味があるからではないでしょうか。

例えば、医学の力で自殺を止めることはできません。自殺を思いとどまらせやすくする薬やシステムはありますが、やろうと思えばいつでもできてしまいます。
でも、宗教では自殺を禁じているところがあります。教えがあるからこそ、辛くてもしようとすら思わなかったというケースは多いのではないでしょうか。

代替医療で置き換えてみると、
標準治療は限られた選択肢がなく、
標準治療がなくなると、もはや人生に対して努力することが全くなくなく、絶望的になってしまう。

代替医療を実践していることで、自分の人生は自分の力で進んでいる感覚を持ち続けることができる、といったことは思いつきますね。

あと、純粋に、治療法がなくなったけどなんとかしてあげたいという、善意の人も居なくはないと思います。

代替医療を勧めているわけではないですが、なんらかのメリットや意味について考えるのは別に悪いことではないと思います。