医療業界の祭りに対して冷めた患者

この認識論で酔っ払った乱痴気騒ぎは終わりにしなければなりません。

アルバート・アインシュタインからエルヴィン・シュレティンガーへの手紙より

馬鹿騒ぎをやめろ。

映画 紅の豚より

この頃都にはやるもの 夜討(ようち) 強盗(ごうとう) 謀綸旨(にせりんじ)
召人(めしうど) 早馬(はやうま) 虚騒動(そらさわぎ)

二条河原の落書より

医療の世界では、画期的な技術や研究が発表されることがあります。
途端に熱狂が起き、脚光を浴びた人が出世したりします。
その代償と"それほど"患者にとってすごく見えないわけについて、あるがんの治療を例に解説します。

がんの治療法は多々ありますが、どれが優れているかの指標とそのランクは決まっています。
5年後生存割合(5年後生きている人の割合)が最上位ランクです。その次に○年無再発生存割合(○年後無再発だった人の割合)などが続きます。

つまり5年後生存割合が一番優れている治療が一番優れているとされ、その治療を開発した研究は、トップの医学雑誌(医学雑誌にもランクがあります)にのり、携わった人の出世もしやすくなっています。つまり、すごい、ってことです。

がんを専門とする医者が議論するには、「OS (5 year overall survival5年後生存割合の略称)が優れている/いない」というセリフになります。

数年前、PACIFIC試験という肺癌の新しい治療の研究が行われました。
手術ができない肺がんでは、放射線を当てながら抗がん剤を投与するという治療が行われてきましたが、
これに、免疫チェックポイント阻害薬という新しい薬剤を組み合わせた治療の効果を調べた研究です。

患者の5年生存割合の推定値は、新しい治療で42.9%、今までの治療で33.4%でした。これは統計的に有意な(偶然ではない、意味のある)差であり、端的に言えば効果のある治療として認められました。

「5年生存は、臨床的に意義があるだけでなく、がん患者さんとそのご家族にとっては感情の面においても重要な節目となります。また、治療を完了してから4年という長期間において、生存している患者さんの大半が病勢進行していないことも驚くべき結果です。」https://www.astrazeneca.co.jp/media/press-releases1/2021/2021061101.html#

僕も確かに寿命が延びることに関してはいい治療だと思います。
でもそこまで熱狂する気になれません。
なぜなら、5年生存割合すら、彼らが「重要」「素晴らしい」と考える”ほど”、現実の地球上に暮らしている人類の皆さんは、すごいと思っていないからです。これを医者に話すと、きょとんとした表情を浮かべます。

この治療に該当する患者が、新しい治療と、今の治療を提示された時に何を思うのでしょうか、「自分は、いずれにしろ5年後生きてはいないだろう」ということではないでしょうか。

こうなると、7%余りの生存割合の向上が、両手をあげて喜ぶ内容かと言われると疑問です。

開発した側の熱意とは裏腹に、受ける側は冷めているようです。

僕の意見ですが、その温度差の背景は次のようなものです。

治療を5年生存割合や無再発生存割合などといった指標でランキングづけし、
さらに指標すらもランキングづけすることによって、
がんの治療法が、一種の野球チームのペナントレースと化しているからです。
もちろん、プロ野球同様、レースの一位は恩恵にあずかれます。

これらの指標でがんの治療を論じることが得意な医者が多いです。様々な治療がどれがいいか、限られた指標で比較すればいいですから簡単で、アホにはわかりやすいんです。
※この現象は科学の他の領域でも共通して見られるパターンです

我々は100%死にます。
地球に生きる患者たちの多くは、それをわかっているようです。
現実世界では、他のあらゆるものより、絶対的に優れているオプション(選択肢)など存在しないんではないでしょうか。

ここは僕の考えですが、治療方法は、それぞれが同等じゃないのかなと思います。

5年生存割合の向上を目指す大勢の医者とは裏腹に、
寿命の長さが大事ではないと考える人の存在を忘れてはいけません。

自分には人生まだやることがあると思っている人には、5年生存割合が優れた治療を選ぶことになるだろうし、

人生にもうやることがないと思っている人は、成績は劣っているが苦しくない治療を選ぶかもしれません。

つまり、特にがんを治療する側の人たちから見た治療法の序列は、人為的な定義からきているということです。多種多様な人生観を持つ患者の人生観など反映されていないようです。控えめ言ってガイドライン化してやっている、乱暴にいうと、彼らがしたいようにやっているだけです。

これらの例を考えると、どれが優れているとかの話にはならないと思います。

むしろ、それぞれの人生に応じたオプションを取れるようにするには、多数の治療法があってもいいかもしれません。(波動とかいって、金を巻き上げた挙句に本人を悲しませるような治療法は別)

また、5年生存割合自体を上位の評価にランクづけすることは、代償もあると思います。

いろんな治療があり、それぞれの意義があるなら、他の治療にだって長所があり、必要としている人がいるかもしれませんよね。

新しい治療法においてこの成績の向上を目標にすることで、他のものが重要に見えなくなってしまうバイアスがかかることはないでしょうか。それらが取るに足らないものにみえてこないでしょうか。となると、
研究や改良を追求する力にブレーキがかかったりしないと言い切れるでしょうか。

まとめると、
新しい画期的な研究や治療は、オプションとしては重要だが、それほど重要ではないです。

研究や治療を画期的と判定する評価指標そのものが人為的にランキング化され、バイアスを産んでいる可能性があります。

みんな(医者)が考える優れたものを追い求めるのではなく、いろんな考えを持つ人類のために、いろんな選択肢を作るのが大事なのではないでしょうか。

世界の複雑さをもっと感じないといけないかもしれません。