医者が病院を辞めた後②


まるで何者かが、わたしたちすべてを働かせつづけるためだけに、無意味な仕事を世の中にでっちあげているかのようなのだ。

ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論 デヴィッド・グレーバー


僕は今、医業としてはわずかに仕事を趣味として行っているにすぎません。
ほとんどは、物思いに耽ったり、運動や読書や勉強や散歩をしながら、人生のパートナーである鳥と過ごしています。

病院を辞めた後、どんなことに気づいたのか、お話ししていこうと思います。

今回語る内容は、気づいたこととは、みんな余計なことをし過ぎている、ということです。

医療現場では、余計なことなんてないんじゃないか?そう思うかもしれません。

ここに大体3つのステップのシナリオがあります。


まず、どうでもいいことを思いついて実行することによって、もっとどうでもいいことが起こります。

例えば、病院での医療従事者同士のミーティングをカンファレンス、略してカンファと言います。
みんなで方針を決めたり、方針決定が難しい例で責任をシェアしたり、責任者が部内の仕事を把握するために行われています。

仮に、これを無闇に立ち上げて、関係者でないのに参加させたりするとします。
夜遅くに長時間で平気で続けたりすると、参加者は聞かなくなるでしょう。

カンファでは、準備も必要になります。綺麗なパワポを作成する必要があります。デフォルトのフォントなんてもってのほかです。
カンファの時間は仕事ができませんので、寝るか、週末のゴルフのことを考えます。
結果的に、帰るのが遅くなったりして、睡眠時間が削られていくかもしれませんよね。

その結果、パフォーマンスが下がって、次の日ミスが起こったり、考え違いをしてしまうことが起こり得ます。
この類のミスは、起こってほしくないもっとどうでもいいことだと思います。仕事の後、軽くランニングして、朝さっぱり起きて、颯爽と仕事場にいれば、起きないかもしれませんからね。


次に、どうでもいいことが起こると、新たなどうでもいいことが増えたりして、時間がなくなります。

改めて言われると、ちょっとギョッとするかもしれませんが、よく目にします。

例えば、睡眠時間を削って仕事をしたことによって、患者に不必要な検査をするミスが起こって喚き散らすとします。
ここで、ミスが増えたから二重チェックすればいいじゃんと考えて、すべての手順にチェック機構を導入すると、どうなるでしょう?看護師や技師の責任者などは、この発想が好きな人が多いです。

少し考えてみるとわかりますが、チェックしたってミスするときはミスします。なのに、手間は二倍になります。

(本当にミスを起こしたくないのであれば、フェイルセーフ(車の衝突安全システムのように目の前に人がいたら止まる)やフールプルーフ(廃車のようにそもそも運転できないようにする)といった方策をまず検討する必要があります。より有効だからです。)

ミスはなくならないのに、かかる手間と時間だけが増えていきます。かければかけるほどミスはなくなるかと言わんばかりです。


最後に、検討する時間がなくなった結果、すべてが大切に見えてきて、どうでもいいことをもっと起こし始め、最初に戻ってループします。

例えば、管理業務が増えたおかげで残業が増えると、今度は、部内のカンファ(患者の治療方針の相談ではなく、運営などを議論する会議だと思ってください)が勤務時間終了後に立ち上がり、
残業が多すぎる現状の問題点、残業や36協定の定義について順番に詳しく説明する、背景が美しいパワポでのプレゼンが始まります。
残業代が増えたことによる、売り上げアップのアイデアもブレインストーミングしなければなりません。

これら三つのステップは、一つの鎖として繋がっていなくても、分岐し、どんどん並列的に増幅しながら、波及していきます。さながら生き物のようです。

そのループの挙句には、奥さんがある日突然、「あなたの仕事だから、言いたくはないんだけど…」と物申してくるかもしれません。

問題の多くは直上にはありません。元々は判断能力がなくなった人間たちが、どんどん物事を追加して身動きが取れなくなっています。

ちなみに今回のシナリオは、一例であって、もちろん、余計な投薬、どうでもいい手術、儀式的な検査、訳のわからんフォロー、いやいややる学会発表、新規性のない研究などを見ても、いかなる時空間でも繰り広げられていることは想像に難くないでしょう。

前々から薄々気づいていましたが、
余計なことの連鎖が起こらない生活になってから、ほぼ実証されたと思っています。

そもそも、いくらでも時間があるので、逆にどうでもいいことで埋め尽くされたくないと願うようになります。
一つ一つの物事の意義について目が行くようになるんですよね。

そうなると、やらなくてもいいことはやらないという判断になってくるので、
忙しいからといって断ることもなくなります。僕は何らかのオファーやお願い、命令を断るとき、もうこの数年間一回も、忙しいを理由にしたことはないですね。

医療現場ではすべてが大切と思われがちですが、そんなことはありません。
「患者に関わることはすべてが大切、無駄なことはしていない」というその思い込みこそが、どうでもいい余計なことを発想し、実行し、そして時間を浪費しつし、判断能力を失ったゾンビとなり、さらにループを回し始めます。どこまで耐えられるでしょうか。

続く