医者が病院を辞めた後⑧

弟子たちの間に、自分たちの中で、だれが一番偉いかという議論が持ち上がった。(中略) ひとりの子どもの手を取り、自分のそばに立たせ、
彼らに言われた。「(中略) あなたがたすべての中で一番小さい者が一番偉いのです。」

新約聖書 ルカによる福音書

僕は今、医業としてはわずかに仕事を趣味として行っているにすぎません。
ほとんどは、物思いに耽ったり、運動や読書や勉強や散歩をしながら、人生のパートナーである鳥と過ごしています。

今回お話しする病院を辞めた後、たどりついた結論とは、

全てのプライドは有害

です。

職人さんなど、誇りを持って仕事をしている方は、何を言っているのか!と思われるかもしれません。

ある病気の研究にずっとやる気を持って、誇りを持って取り組んでいる人たちは、ドラマにはなりますが、現実にはあんまりうまくいかないんです。
医療においては、持たない方がいいと考えています。

以下、2つのポイントから説明していきます。
このポイントは、私が見てきた他者の失敗を踏まえてまとめました。

まず、人間の体という不確実な対象を扱っているにもかかわらず、結果を決めてかかった上で仕事を取り組むことになります。

医療の場では、結果がいつも確実で予測可能とは限りません。
高い地位、豊富な経験を持っているからといっても、間違う時は間違いますし、予想を外す時はあります。

自分の中で、「僕は○○を専門の医師として、△△あるべきだ」などと思い込んでいると、
目の前の状況と、自分で思っている理想像とどんどんずれてきてしまっても、
自分の思い込みを優先してしまいます。

人体は、統計的にわかっているパターンとは違う例外的なことが起こりまくります。
僕たちの経験や知識の量や範囲は、いつも乏しい状態です。
しかし、自分の中にないケースが現れた時、誇りがあると自分はなんでも知っている感覚になりやすくなるのか、
明後日の方向に読み間違えたりする例を幾度となく見てきました。

例えば、
「僕は循環器内科だから、心臓のことは誰より詳しいはずだし、もうキャリアも十分ある。だから間違えるはずはない」と思っている人間は、危なっかしく見えるでしょう。
つまりバイアスが強烈にかかっている状態です。
人の体を扱う上で、バイアスが強くなると、よろしくないです。。

さらに、プライドに経験の量が付け加わると、間違えた結果が多くなります。

例えば、胸痛発作が一定に起こる狭心症(心臓を栄養する血管が狭くなって起こる症状)において、バンバンやりまくっているPCI(カテーテルで血管を広げる手術)をするのは、むしろ結果はちょっと悪くなったという研究結果が出ました。 (ISCHEMIA試験)しかし、日本の循環器内科医の古参は、新しい事実に反論・反対運動してしまっていて、事実を受け入れることが難しいようです。

自分の経験を丸ごと否定されるのが、受け入れられなくなります。
無駄ではないにしろ、何十年間もの経験の価値が消えてしまうように思えるからだと思います。

結果として、全体の進歩の遅れを作ってしまいます。

つまり、プライドがあると、自分に不都合な間違えが修正できない、学習できない人間になってしまう恐れがあるのです。

これをいうと怒られますが、
やる気があって、プライドを持っている人は、自分に酔っているようです。

医療現場を一歩でると、世の中には、プライドをほとんど感じさせない人間が、より目につきます。

そういう人たちは、そもそも問題が発生しづらいし、発生した時には、簡単に自分の認識を変更し、起きた状況を学習して、ピンチや難題を速やかに乗り越えられます。

僕は、何が起るかわからない、何も確かなことがない医療において、むしろこのような姿勢の方が、自然と戦っていくには有利ではと考えています。

続く