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【読書記録】シッダルタ (ヘルマン・ヘッセ)

おすすめ度 ★★★★☆

先日仏教の話を読んで、仏教おもしろいなーと思っていたら、ヘルマンヘッセの「シッダルタ」をお勧めされた。

勧めてくれた人が、すごく生き方が自由で深くて素敵な人なのだけど、その人を彷彿とさせる、自由で深くて、面白い作品だった。


ヘッセ、推しの二次創作

最初に言っておくと、これはまったく仏典の事実と関係ない100%フィクションである。
ブッダを敬愛したヘッセの、いわゆる「推しの二次創作」だ。

シッダルタはあのブッダではないし、むしろ作中に本物(?)のブッダがでてきて最初混乱する。これがブッダならこのシッダルタは何者やねんと。

おいおいシッダルタ

第一部は比較的それらしい修行から始まる。悟りの道を求めて、父の元をさり、友と一緒に厳しい修行をする。

手塚治虫のブッダを読んでいたので、なんとなくあの辺のシーンかな、と想像しながら読む。なんやかんやあって、友や修行仲間、果てはブッダであるゴータマの教えも「なんか違う」とおもい、離れていく。

ここからである。

第二部では、シッダルタがいきなり女にデレまくる。
カマラというめちゃ美しい高級遊女(?)に「あなたを師として学びたい」と言い出し、なんか語り合いながらイッチャイチャする。

ん?悟りは?修行は?
なんかの文学的喩えかと思って読んでたけど、「愛を学ぶ」という名目でまあまあアレコレしている。

そして二人は愛の嬉戯を演じた、カマラの知っている三十ないし四十の嬉戯法の一つを。彼女の体は、虎のように、また猟師の弓のようにしなやかであった。(略)長い間、彼女はシッダルタと嬉戯した、彼を誘い、退け、強い、からめ、彼の熟達を楽しんだ。ついに彼は征服され、疲れ果てて彼女のそばに横たわるのであった。

おいおいシッダルタである。

さらにカマラの勧めで、カマラに貢ぐために商人の元ではたらき、めちゃ儲ける。贅沢や賭博に目覚め、ギャンブル依存症になる。

湯水のように金を使い、女に溺れ、ザ・放蕩生活。
それでも心は虚しい…とかでもなく、心もガンガン堕落していく。

どういうことやねん、という描写だが、文学的描写の格式高さで楽しく、かつ教養ぶった気持ちで読み進めることができる。なぜだ。

ヘッセ、おもろい。

仏教を詩的に描く

堕落しきったところで、カマラの元を離れ、自虐的になり死を選ぼうとしたり、色々するのだが、この辺りの描写も素晴らしい。
「だから仏教は面白い!」で読んだ、自我や輪廻の考え方、現在過去未来の捉え方などが、詩的な表現でがっつりどっぷり描かれている。

彼は見た、この水は流れ流れ、耐えず流れている。しかも常にそこにある。常に、いかなる時にも同じ存在であり、しかも刻々に新しいのだ。おお、このことをしっかりと掴み、しっかりと理解できたら!

こういう表現ばかりだと、教養胃もたれして投げ出しちゃいそうだが、さっきまで超自堕落ダメ人間シッダルタを見てたから、大丈夫。
マイナスが大きいと、プラスが重くなってもバランス取れる、みたいな。

雑な言い方をしてしまうと、エリートシッダルタは「快楽や煩悩は悪いことですよ」と上澄の知識はあったが、体感はしていなかった。
彼が目覚めるには「荒涼たる堕落の生活の教訓と無意義を耐え忍ばねばならなかった」らしい。そこまで堕ちて絶望を体感することによって、シッダルタは一度死に、新しく生まれる、的な感じで目覚める。

なるほどねー。

親離れ子離れの輪廻

その後、年老いてからカマラは再び登場し、さらにシッダルタにもう一段深い悩みを与えることになるのだけど、それも一つの山場なので見てほしい。

愛することは執着であり罪悪である、という仏教感と、葛藤するシッダルタの苦悩が存分に描かれていて読み応えがある。
読めばわかるけど、反抗期の子を持つ親としても刺さるものがある。

子に捨てられた親になって初めて、子として親を捨てた自分を思い出す。これも輪廻…!

何度も読める名作

河への信仰とか、この人結局何者だったんだ、とか「オーム」ってなんなんとか、ところどころ、よくわからないところはあった。
詩的な表現の美しさで、わかったような気分になっちゃうけど、数年後に読んだらまた違う学びがあるように思う。

名作ってそういうところあるよね。


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