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イラスト名建築ぶらり旅 with 宮沢洋&ヘリテージビジネスラボ⑮

夢の街を彩るショートケーキ

今回の行き先
宝塚ホテル

宝塚ホテルの取材の後、自腹でこのホテルに一泊した筆者は、翌日の午前中、1階のラウンジでイチゴのショートケーキを食べていた。ここで食べるのは初めてなのに、何だか懐かしい……。そうか、昨日、阪急阪神不動産の荒堀省一さん(開発事業本部技術統括部建築グループ)が言っていた「歴史の続き」というのは、このショートケーキみたいなものか。そんなことを思った。

いきなり話が結論に飛んでしまったので、いったん前日の取材に戻る。場所はやはり宝塚ホテル1階のラウンジ「ルネサンス」だ。
 
宝塚ホテルは実業家平塚嘉右衛門と阪急電鉄の共同出資により1926年に開業した。以前の本館は、開業当時からの建物。当時、阪神間で活躍していた建築家・古塚正治(ふるづかまさはる、1892〜1976年)が設計を担当し、大林組が施工を担当した。阪急電鉄の創業者は宝塚文化の象徴である宝塚歌劇をつくった小林一三(いちぞう、1873~1957年)だ。本当なら小林についてあれこれ書きたいのだが、話が脱線し過ぎるので先に行く。

宝塚ホテルの本館は、鉄筋コンクリート造、地下1階・地上5階建て。竣工から90年以上がたち、老朽化と耐震性の問題などから2020年3月をもって営業を終了。2020年6月21日に新生「宝塚ホテル」がオープンした。

新ホテルの設計を担当したのは、当連載ガイド役の西澤崇雄さんが所属する日建設計だ。筆者の古い知り合いである大谷弘明さん(日建設計CDO常務執行役員)と、部下の山野睦代さん(日建設計 設計部門アソシエイトアーキテクト)が現地で話を聞かせてくれた。大谷さんは、いつ会っても三揃えのスーツをビシッと着こなしているオシャレさんで、宝塚という場所が実に似合う。

そんな大谷さんが設計の中心になった新しい宝塚ホテルは、クラシカルな旧宝塚ホテルのデザインを継承して建てられた。

あれ、この連載は古い建物に手を入れて使い続けている例をリポートするんじゃなかったの? そんな声が聞こえてきそうだ。もちろんそれがメインだが、例外もある。いや、「積極的な例外」と言うべきか。この宝塚ホテルは取材候補のリストの中にあって、私が「こういうのもぜひ取り上げましょう」と言ったのだ。

武庫川の対岸、宝塚大劇場の隣地に引っ越し

旧ホテルの本館は兵庫県の景観形成重要建造物にも指定されるヘリテージ建築だった。ただ、私も一度だけ行ったことがあるが、90年の間に複雑に増築され、当初の外観がよく分からない立ち方になっていた。

写真1:旧ホテルの全景

そもそも旧ホテルと新ホテルは場所が違う。旧宝塚ホテルは武庫川の南岸で、阪急電鉄宝塚南口駅の目の前。新ホテルは、武庫川の北岸で、宝塚大劇場の西側だ。最寄駅は阪急宝塚駅。かつては遊園地があり、近年は広い駐車場となっていた場所だ。

元の建物を現地でホテルとして使い続けることはできなかった。かといって、鉄筋コンクリート造なので、「分割して移築」というのも現実ではない。そこで、宝塚歌劇と一体となって、宝塚をより一層魅力あるまちにすることを願って、この場所への移転が決まった。

移転新築するならば全く別のデザインでもいいわけだが、阪急阪神不動産の荒堀さんらは、旧ホテルの外観・内観のイメージをできるだけ引き継ぐ大方針を立てた。

「旧宝塚ホテルでお客様が重ねられてきた様々なシーンには、建物のディテールの一つひとつが映り込んでいるのではないかと考えました。計画では『次の100年、お客様にご愛顧いただける新しい宝塚ホテル』という事業者の思いを掲げて、旧ホテルのデザイン的要素を積極的に継承した歴史の続きをお客様にお届けするホテルとしました」(荒堀さん)

“歴史の続き“って、すごくいい言葉だ。

具体的には、特徴的な中央の切妻屋根や、その下の壁面に描かれている植物のレリーフ、建物の外壁を特徴づけるドーマー窓や半円形屋根、アーチ天井を持つ回廊、階段の手すりに施された装飾などを、細部にわたって復元した。緞帳(小磯良平原画)やシャンデリアなど、使えるものは修繕して使った。

写真2:緞帳
写真3:シャンデリア

街並みを重視し、低層に抑えた日建設計案

民間事業なので詳細は公表されていないが、設計者は数社を指名したコンペで決まったという。コンペ段階で旧ホテルの意匠を引き継ぐことは決まっていた。日建設計の案が当選した決め手は、“街に対する在り方”だった。他の案には、川側に板状の宿泊棟を建てるものもあったが、日建設計の案は、旧本館とほぼ同規模の建物を前面道路(花のみち)から少し奥まったところに置き、両脇にそれと直交する形で宿泊棟を配置。全体でH形を描くようにした。

こうすることで、前面道路側から見たときに、視界が空に抜けやすくなり、また宿泊者を迎え入れるような華やかさも生まれる。
「街の人にとって大切なのは街並み。阪急グループはそういうことを重視する会社なのだということを街の人に認識してもらうことが何よりも重要」と大谷さんは言う。その思いが事業主側と一致した。

写真4:前面道路から見る
写真5:川の対岸から見る

希少な黄竜石(きたついし)へのこだわり

ディテールへのこだわりは、大谷さんよりも荒堀さんの方がむしろ熱く語ってくれた。外まわりはほぼ新しい材料でつくり直したものだが、荒堀さんが特に執着したのは、アーチ窓の周辺などに使われている黄色っぽい石。調べてみると、旧ホテルに使われていたのは兵庫県産の黄竜石(きたついし)だった。大谷石に似ているが、石質はそれよりも硬い。
 
荒堀さんは、新ホテルでもなんとか黄龍石を使いたいと考えた。だが、原石の採掘量が減っていた。「現場が始まっても調達の見込みが立たず、何度も石切り場の社長さんに面会いただき、こちらの思いを伝えて、竣工間際になってようやく必要数量を確保することができました」(荒堀さん)
 
これには設計の大谷さんも「最後の最後に外壁の石が貼られた現場は初めて(笑)。黄龍石で統一できたのは、荒堀さんの熱意の賜物」と舌を巻く。

内部でもさまざまな意匠が継承されている。実際にホテルに泊まった筆者のツボに一番ハマったのは、客室のこれ。

か、かわいいっ! 客室の窓のレバーである。旧客室と同じ形状を真鍮(しんちゅう)で再現したという。初めて泊まる筆者ですらそう思うのだから、旧ホテルの窓を覚えている人はテンション爆上がりだろう。
建築ではないけれど、客室や廊下に飾られた旧ホテルの写真も、建築愛が伝わってきてキュンと来る。

写真6:ホテル内に飾られた旧ホテルの写真

最新のアフタヌーンティーセットと定番のショートケーキ

再びラウンジ「ルネサンス」に戻る。筆者は一連のプロセスを、このラウンジでアフタヌーンティーセットを食べながら取材した。「リポートの中に食べ物の絵を入れたい」と事前に伝えておいたら、一番人気の「ミュージカルアフタヌーンティーセット」を用意しておいてくれたのだ。さすが今どきの人気メニューなので、これは映(ば)える!


写真7:アフタヌーンティーセット


エビフライを挟んだクロワッサン・サンドイッチの意外さにびっくりしたが、これは期間限定(2022年9月1日から11月30日まで)のメニューで、季節によってテーマや食材が変わるのだという。
 
アフタヌーンティーセットは見た目だけでなく、一品一品がおいしい。ただ、冒頭にも書いたように、新生・宝塚ホテルにおける「歴史の続き」という姿勢は、翌日に筆者が1人で食べた「イチゴのショートケーキ」なのだと思う。
 
こういうことだ。新ホテルで新たに加えられた華やかさは、アフタヌーンティーセットに例えられる。それには新しいファンを開拓し、オールドファンに新たな発見を与える斬新さがなければならない。
 
一方で、荒堀さんらがこだわった「歴史の続き」は、イチゴのショートケーキなのだ。旧ホテルのラウンジにもそれはあった。華美ではないが、素材の重なりが口の中で確かに感じられるおいしさ。それは、ファンだけでなく、一般の人も懐かしさを覚える。どちらが欠けても夢の街は続かない──。生クリームのついたイチゴをほおばりながら、甘党の筆者はそんなことを考えたのであった。


■宝塚ホテル
所在地:兵庫県宝塚市栄町1-1-33
敷地面積:約1万2300m²
構造:鉄筋コンクリート造 一部鉄骨造
階数:地下1階・地上5階
延べ面積:約2万3000m²
施工期間 2018年4月~2020年3月
開業:2020年6月
事業主:阪急電鉄株式会社
開発マネジメント・ホテル運営:阪急阪神不動産、阪急阪神ホテルズ
設計者:日建設計
施工者:大林組

TOP写真:ナカサアンドパートナーズ(Nacasa&Partners Inc.)
写真1:雑誌「建築と社会」大正14年第九輯第五号より引用
写真5:ナカサアンドパートナーズ(Nacasa&Partners Inc.)


取材・イラスト・文:宮沢洋(みやざわひろし)
画文家、編集者、BUNGA NET編集長
1967年東京生まれ。1990年早稲田大学政治経済学部卒業、日経BP社入社。建築専門誌「日経アーキテクチュア」編集部に配属。2016~19年、日経アーキテクチュア編集長。2020年4月から磯達雄とOffice Bungaを共同主宰。著書に「隈研吾建築図鑑」、「誰も知らない日建設計」、「昭和モダン建築巡礼」※、「プレモダン建築巡礼」※、「絶品・日本の歴史建築」※(※は磯達雄との共著)など


西澤 崇雄
日建設計エンジニアリング部門 サスティナブルデザイングループ ヘリテージビジネスラボ
ダイレクター ファシリティコンサルタント/博士(工学)
1992年、名古屋大学修士課程を経て、日建設計入社。専門は構造設計、耐震工学。
担当した構造設計建物に、愛知県庁本庁舎の免震レトロフィット、愛知県警本部の免震レトロフィットなどがあり、現在工事中の京都市本庁舎整備では、新築と免震レトロフィットが一体的に整備される複雑な建物の設計を担当している。歴史的価値の高い建物の免震レトロフィットに多く携わった経験を活かし、構造設計の実務を担当しながら、2016年よりヘリテージビジネスのチームを率いて活動を行っている。



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