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大正生まれ

見通しのつかない未来を心配するより、今日を精一杯生きよう!明日は明日の風が吹く。 

今日いいことが無くっても明日はまた新しい一日が必ずやってくる。「くよくよしないで!取りこし苦労をしてもはじまらないよ。」母の言葉です。彼女は大正生まれで青春時代を戦争という過酷な境遇下で過ごしました。

でも両親からその当時の話を聞いたことがありません。あえて話さなかったのか、私が聞いておくべきだったのか今や知るすべもありません。

両親はやっと世間が戦後の光を見つけて落ち着いたころにお見合い結婚して、私が生まれました。

 結婚しても大家族の中でいつも何かしていて座っている姿を見たことがありませんでした。

母は7人兄弟の長女でした。母親代わりに一番下の妹の面倒をみたとも言っていました。年齢差は18歳!よく親子に間違われてそれが嫌でしょうがなかったと言いますが、晩年何かと母の世話をしてくれたのはその叔母でした。

趣味と言えば絵画の鑑賞ぐらいです。よく大丸百貨店や博物館。家にはそこで買ってきた分厚い本がたくさんありました。小さなころからモネ、フェルメール、レンブラント、ミレーの作品を見ていました。あの小さなモナリザを見た時一緒に来れなかったことを残念に思いましたが、代わりに子供たちにはたくさんの本物を見せることが出来ました。

母が幸せであったのかどうかをたずねる機会はありませんでした。典型的な昭和の専業主婦でした。

私はそんな平凡な?毎日に憧れはありませんでした。なんだかつまらなさそうと子供ごごろに思っていました。

望み通り⁈となって刺激的過ぎる毎日が待っていたのですが…。

何もない一日でも悩み事があったり、嬉しかったり 悲しかったり、一日として同じ日はありません。

朝から体の調子が悪ければそればかりが気になって、仕事に身が入らなかったりすることもあるかもしれません。

同じ一日。大切に過ごそうと思っていてもあれもこれも忘れていたと。

「シャンプーが無かったんだ!ポストに投函もうっかりと。 あー今日も終わってしまった」その繰り返しです。

最近はだんだん好きなことが優先になって家事もおろそかになってきました。

母の仕事ぶりには到底かないませんが、この自由な時間は母が使い切れなかった分をプレゼントしてくれたのだと勝手に理解しています。

今日を生き抜く。命があったことを感謝するのは平凡な一日であっても同じです。

両親の笑い声はやっと戦争も終わって安心できる日々が来たのを心底喜んでいた証です。幸せとは!が分かった笑顔だったと思います。

戦争から生き残って、大切に育ててもらった。このことは忘れないように心にとどめなければと思います。

寒い朝はミルクに紅茶葉を入れる飲み物をホーローのミルクパンで作ってくれました。それがロイヤルミルクティーというのをおとなになって知りました。そんなときは決まってホットケーキの朝食でした。

そんな何でもない一日の始まりに家族のために朝食を作ることは母にとって大切な時間だったように思います。

私も少しは見習って一日を過ごそうと思いましたが、
すでに家族は巣立って小さなフライパンで朝食を作る毎日です。

今日もいい日にしましょう!


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