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居心地の良い生き方

 一人がいいと言ってみんなと行動を同じくすることをためらう人がいるかと思うと、どこでもいつでも誰かがいないと決断できない、不安で仕方がないという人もいます。

人間は生まれてくるのも逝くのもひとりといいますが、その間の人生、いろんな人と巡り合います。
無駄な出会いは一つもないと…。

独りぼっちを孤独と捉えるか自立と捉えるかは人それぞれです。
大勢の中にいてもなんだかしっくりこなくて一歩 外からその様子を見ている自分がいたり、人に気を使ってばかりいて結局人に振り回されて疲れてしまう人は、自分を殺して集団に交わることで安心を得ようとしているのかもしれません。

意味のない群れより孤独を選ぶ。
少し前なら孤独=独りぼっち=寂しい人でしたが、今は地に足着いた自分を持っている人のことでもあるらしいです。
ソロキャンプ、ソロ飯がカッコイイとなってそんな動画も人気だそうですが、それをあこがれる気持ちは本当はひとりになりたいのに、自分で決めたいのに、孤立するのが怖い自分がいるからかもしれません。

ひとりを愛せる人は、もちろんみんなと行動することができるし、協調性もあります。ひとりしか愛せない人は何人集まってもその人だけに気持ちが向いて他の人は置いてけぼり。それに気が付いていないこともあります。

人に頼ることで、うまく世間を渡ろうとする人は自分がないので結局は孤立ということになります。もちろん勝手なひとり歩きも同じこと。

私は小さな時は祖父母、両親、近くには叔母、叔父夫婦と大勢の中で育ちました。

ひとりになることはほとんどなく、それが当たり前だと思っていましたが、だんだんそれぞれの家庭を別の場所で持つことになり、7歳になるころから両親とだけの暮らしが始まり、就職してからは友達との共同生活。段階的に人数の少ない暮らしをしてきました。

結婚して、また家族が増え、また散らばって今に至ります。が、一度も寂しさを感じたことはありません。人 恋しい!があまりないのです。性格的に依存を好まず自分で決めたい方で、ひとりでいるのが苦にならないのです。
神様はよくわかっていてそんな私は大丈夫と思われたのでしょうか⁈

よくひとりで寂しいでしょうとか、病気になったらどうするの?と同情してくれる人もいますが、倒れる時は仮に夫婦が揃っていてももう一人が外出中ってこともあります。

たまたま訪ねてきた人に見つけられて助かったという独居老人もいます。
助かったということは運があったこと、寿命があったということで、ひとりか そうでないかはあまり関係のないことだと思っています。

強がりと捉えられるかもしれませんが、やはり小さな時から厳しい中にも愛情をたっぷり注いでもらったおかげで独り立ちできているように思います。

それぞれの生き方は自分の意思で決めることでもありますがその他に何か運命的なものもあるようにも思えます。

人とのつながりは大切です。しかしそれにとらわれすぎていると孤独をマイナスにとらえがちです。

 家族のつながりは血という揺るぎないもので、意識しなくてもどこにいてもほどけることはありません。また信頼できる友達も同じ…。

私は「中庸」と言う言葉が好きですが人とのかかわり方もそうでありたいと思っています。

連休は外出を控えるようにと言われるくらいの猛暑でしたが、
ニケは今朝の散歩を無事に終えて、涼しい階段の踊り場でへそ天で寝ています。

今日もいい日にしましょう。



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