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「時間泥棒」第十五話

第十一章

ミチルのフラッシュ


 紅葉とジョージの意識が戻ったのは、それからすぐ後のことだった。気がつけば、状況がガラリと変わった様子を見て、ジョージも紅葉も目を丸くしている。
「おぃ⁉」白地の黒ぶち猫を見たジョージが突然叫んだ。「うし?」
 どう見たって猫だよ、ジョージ。
「これは、一体どうなってるのよ?」
 時間をかすめ取られて状況がつかめていない紅葉たちに、その間に起きたことを説明すると、二人ともやり切れない表情で空を見上げた。
「バカ野郎が、これじゃどっちが悪者なんだか、わからないじゃねえか……」
「本当ね、ただ純粋にシロとブッチと過ごしたかったっていう強い気持ちが、こんなふうにすれ違って悲しい結末を迎えるなんて……」紅葉は服の袖で涙をぬぐう。
「マシュマロ……」マルコがそっと抱え上げる。「ごめんね。ボクたち君の力になれなくて」
 体を震わせて声も出せないでいるマシュマロに代わって、ブッチが話しかける。
「弟たちが世話になったな。兄弟を代表してお礼を言うよ。……クロのことは、おれたちではどうすることもできなかった。あんたたちは本当に良くやってくれた。ありがとう」
「ねえブッチ、わたしたちをもう一度時間の狭間に連れていってくれない?」
 ミチルがそう言うと、しばらく黙っていたお爺さんの声が通信機から届いた。
『もちろんだよ。私も君たちにちゃんと顔を見てお礼を言いたいからね。ブッチはそのためにも行かせたんだ』
 お爺さんは、マシュマロが禁術を使ってしまったこともわかってるんだろう。こっちの世界に来られない自分のかわりにせめて状況がわかるようにと腕時計を渡したんだ。かわいい子どもを心配する親の気持ちに似てるなと僕は思った。
 澄み渡る青空と、新緑の芽吹きが顔をのぞかせる散りかけの桜並木のなか、僕たちはみんな、一言も口を利くことなく歩いた。口を開けば、この不釣り合いな青い空と暖かい気温に、きっと気持ちが押し潰されてしまうとわかっていたから。
 日曜日のシーサイド商店街は大盛況で、賑わうお客さんたちの流れが天川の激しい流れのように僕たちを飲み込む。体の自由も利かないまま、ただ所在なげに商店街の奥へと押し流されていく気分だった。天川で行方不明になったあの男の子はどうなったんだろう。今朝見た天川での光景が、べったりとこびりついて離れない。
 アーケードを進み、時間の狭間に通じる薬局と本屋の間にたどり着いても、みんな黙っていた。隙間にブッチが入り込んでいくと、僕たちも続いた。体が裏返されるような気配がして、気づくと目の前に黒野時計堂が佇んでいた。
「やあ、よく来てくれたね。店の中へ入りなさい」
 お爺さんの声は、相変わらず優しかったけど、目は赤く充血していてさびしそうだった。中へと入ると、変わらず時計の音がチクタクとこだまし、床はギィギィと鳴るけれど、初めて来た時とは違って、とても期待に満ちた気持ちにはなれなかった。
「巻き込んでしまって本当にすまないと思っている」お爺さんは深々と頭を下げた。
「しかし、君たちが引き受けてくれたからこそ、こうしてクロを止めることができたんだ。ありがとう、本当に感謝しているよ」
「あたしたちの方こそごめんなさい。だって、スカーフェイスを止めることができても、ここへ連れてくることはできなかったんだから」紅葉がいった。
 僕たちの任務はスカーフェイスを捕まえてここへ連れてくることだった。でもあいつを止めるだけで精一杯で、助けることができなかった。
「誰にもどうすることもできなかったんだ。君たちは十分にやってくれた。クロのことは、誰にも責任はないんだよ」
 カチコチ、チクタク――。部屋に灯る明かりを浴びて、部屋いっぱいに並べられた時計が、規則正しい音を立てて静かに見守っている。
「おれがいけなかったんだ! 早くクロのやつを一人前にしたくて、じいさんに余計なことを言わなきゃ、今頃こんなことには!」
 ブッチがヒゲを震わせる。マシュマロもブッチも俯いたままで、マルコも目線を逸らし、ジョージは宙を見ていた。
「どうしてスカーフェイスとブッチを、引き離すようなことをしたんですか?」
 僕はずっとこの事件の真相が気になっていた。少し問題はあったかもしれないけど、もともと三匹仲良く時間を刻んでいたんだ。ブッチを時計から外したりしなければ、スカーフェイスが町に出て、ブッチを探すためにいたずらを繰り返すなんてこともなかった。
 それに、たとえ一時的にブッチを外したとしても、ブッチがちゃんと時計堂の中にいるとわかってれば、スカーフェイスだって頑張れたかもしれない。
 お爺さんは、どうしてすべてをひた隠しにしていたんだろう。
「そうだね。巻き込んでしまった責任もある。君たちにはすべてを知ってもらおうか」
 お爺さんがゆっくりと話し始めると、僕たちはそれを耳を澄ませて聞いた。
「まずここは、君たちの世界でいう学校のようなところなんだよ。ここへ来た者たちは、この大きな柱時計の中で、自分の役割である時間と、その役割の重要性を学ぶんだ」
 スカーフェイスが分を報せる《長針》で、マシュマロが時を報せる《短針》だとお爺さんは言った。実際に、マシュマロが短針になったところもはっきり見ている。
「この柱時計で自分の役割を理解し一人前になった者は、ここで私が作る時計の中に入り、時間を報せる者、つまり時間の管理人として、君たちの町や他の町、いろいろな場所へと旅立って行くんだよ」
 お爺さんはこの部屋いっぱいに並べられた時計たちを、優しい目で眺め渡した。
「え⁉ それじゃあ?」
「そうとも、君たちの家にある時計。学校、町の中、この町にある時計はすべて私がここで作り、そしてここで学んだ者たちが、時計の中で時を報せているんだ」
「じゃあ、ブッチやマシュマロやスカーフェイスも? ……」
「そうとも、時計とは三匹一組で時を報せる。それがいつまでも続く仕事なんだ。だから、仲が良いってのは絶対条件でね」
 そう言いながら、お爺さんはブッチとマシュマロに目をやり微笑む。
「ブッチはシロとクロよりも一年先輩でね。覚えも早く面倒見も良くて、もういつでもここを卒業して管理人としてやっていく力を持っている。シロもマイペースだが、ここで一生懸命学び、すぐに一人前になるところだった……」
 お爺さんは、そこで少しだけ沈黙すると、再び話し始めた。
「クロはとにかく甘えん坊でね。特に面倒見の良いブッチにベッタリで、なかなか一人前になれずにいつも時間を狂わせていた。私も、できればこの三匹を一組で時計に入れてやりたかったから、少し厳しくなっていたのかもしれないな」
 お爺さんの目からは涙が一筋流れ、そして言うべき言葉を探すように黙り込んでしまった。そんな様子を見たブッチが、話の続きを僕たちに聞かせた。
「だから、おれがじいさんに相談したんだ。このままべったり一緒にいたんじゃ、あいつはおれに甘えていつまでも一人前なんかになれやしないって。だから、一緒の時計からおれを外して別の時計に入れてくれって」
 驚いた顔で見上げるマシュマロを、ブッチが撫でる。
「おまえにも話せなくてごめんな。でもおれがどこにいるか知ってたら、クロ想いのおまえのことだ、きっと居場所をバラしてあいつを安心させるだろ? それじゃクロのやつはまたずっと甘えたままで、一人前になんて到底なれなくなっちまう」
 つまりこれは、本当にクロを一人前にするための試練だったんだ。お爺さんとブッチの説明に、僕たちは今回の事件の真相を知り、そして納得していた。気持ちのすれ違いが起こしたこの事件の悲しい結末を。
「本当に世話になったね、ありがとう。それじゃあ外まで送ろうか」
 涙を拭いてお爺さんが立ち上がろうとすると、ミチルが口を開いた。
「待って、わたしはまだ納得がいってないわ。お爺さんは初めに言いましたよね? マシュマロを使って、わたしたちを導いたって……」
 ライオン公園で五人が写った写真を見つけ、そこでなにかを訴えるようなマシュマロに導かれて僕たちはここまで来た。みんながミチルに注目する。
「わたしずっと考えてたの。町には沢山人がいるのに、どうしてわたしたちだったんだろうって。――撮った覚えのない写真や、何回も起こるデジャブ。わたしたち、本当はこの事件を何度も繰り返し体験してますよね?」
「ミチル?」
 前から不思議系女子だとは思っていたけど、突拍子もない話に僕らは全員固まった。だってこんな体験を過去に何度も繰り返してるなんて普通に考えればありえないし、繰り返す意味だってない。
「おい、ミチル? おまえとうとうそういう領域に頭が達しちゃったのか?」
 みんなが不安そうにするなか、お爺さんだけは真剣な表情で次の言葉を待っている。
「と、言うと?」
「つまり、お爺さんがわたしたちを選んだのは、わたしたちが、お爺さんたちにとってのハッピーエンドをつかみ取る可能性を持っていたから。わたしたちが過去何度この任務を失敗したかはわからないけど、たぶん今回は成功よ」
 ミチルはそう言うと、手さげカバンからカメラを取り出してテーブルの上に置いた。
「これが、お爺さんたちがわたしたちに託した結果でしょ?」
「おお、おお……」
 正面に座るお爺さんの目から大粒の涙が留まることなく溢れ出していた。ブッチとマシュマロが駆け寄る。僕は堪らず尋ねた。
「ミチル、どういうことなの?」
「このカメラの中にスカーフェイスがいるのよ。彼が散り散りになる前にわたしがこのカメラで撮ったから」
 ミチルがマルコとマシュマロの写真を撮ろうとして、お爺さんに止められていたのを思い出した。初めてここに来たときだ。
 ミチルは笑った。
「お爺さん言ってたでしょ? 写真を撮ると魂を抜かれるって」
「じゃあ! スカーフェイスが消えかけたときに一瞬光り輝いたように見えたのは⁉ ミチルちゃん! ねえ教えてよ!」
 ミチルが、カメラをトントンと指差して笑う。
「フラッシュよ」
「やはり君たちを選んで正解だった……」
 お爺さんはカメラを手に取るとスカーフェイスの写る画像を開いて口もとを震わせた。
「クロを失った未来で君たちと出会ったとき、私にはもう一つの未来が見えたんだ」
「なんだよじいさん、俺らにもわかるように教えてくれよ」
「パラレルワールドってのを知ってるかい?」
 それを聞いて、マルコがミチルを見る。ミチルはみんなを代表するように説明した。
「同じ時系列のある世界から分岐し、それに並行して存在する別の世界のことね」
 僕たちがまるでわからないって顔をすると、ミチルは続けた。
「赤信号で止まった千斗君と、青信号で進んだ千斗君のふたりが存在するってことよ」
 お爺さんはそれを聞きうなずく。
「なんだよそれ⁉ クレイジーだな!」
「ミチルちゃん、ボクもわかんないよ」
 テレビかなにかで見たことがある。たとえばお昼ご飯にラーメンを食べるかバーガーを食べるか迷ったとき、ラーメンを選んだ僕の世界と、バーガーを選んた僕の世界が両方存在するっていうような話だったはずだ。
「ミチル君は難しい言葉を知っているね。そうだよ、いくつもの結末を持つ人たちの中で、君たちだけが唯一、私たちの望む結末を導き出せる可能性を持っていたんだ」
 つまりお爺さんは、この事件の結末を予め知っていた。そして自分たちにとって一番嬉しい結末を持っている僕たちを選んだってことなのか? 
「でもそれって、僕たちの世界に干渉してるってことなんじゃ」
「申し訳ない。君の言うとおりだ、私は管理人失格だよ」
 少しバツの悪い顔をしてお爺さんが答えると、それを見た紅葉が僕につっかかった。
「細かいこと言ってんじゃないわよ? 別にいいじゃない」
「そうだよ千斗君! ボクだってみんなが喜ぶ結末なら、ズルしたって選びたいもの!」
 マルコまでが僕を責める。二人に責められた僕の肩を、ジョージがポンと叩いた。
「おまえはもうちょっと、クレイジーに生きた方が人生楽しくなると思うぜ!」
「ほら千斗君」ミチルが指差した先を見ると、カメラの画像から黒い霧のようなものが湧き上がっている。お爺さんがそれをかき集めるとしだいに形をとり始めた。やがてしっかりとした塊になったスカーフェイスが目を覚ますと、ブッチとマシュマロが泣きながら駆け寄った。
「クロ! クロ!」
 マシュマロが、涙と鼻水を撒き散らしながら飛びつく。
「バカ野郎! 心配させやがって」ブッチも涙でぐしゃぐしゃだ。スカーフェイスとブッチ、そしてマシュマロは、お互いに大泣きしながら喜び合った。
 僕はこの結末をすごく嬉しく思った。心の中で考える。確かにルールは守るためにある。だけど人として大切ななにかを失ってまで守ることにこだわるルールなら、いっそない方がいい。お爺さんが一体何者なのかはわからないけど、こんなに深い愛情を持ったこの人がそこまでして得たかった結果なら、僕は大賛成だ。
「この世界はね、私たちにとって最良の結末を、君たちが持ち帰ってくれるまで、無限に事件を追い続けるパラレルワールドなんだよ。ジェットコースターでいうところの、着脱自由なループのようなものだ」
「これから僕たちはどうなるんですか?」
「君たちは、もう一度あの日の公園に戻るんだ。私たちのために、少しだけ出来事は変わってしまうが、君たちの人生そのものが大きく変わってしまうことはない。ただ……」
 そこまで言うと、お爺さんは言葉を止めて言い淀んだ。僕たちが次の言葉を待っていると、ミチルがさもすべてわかるように言った。
「ここであなたたちと関わった記憶、それと、この事件そのものが起こらなかったっていう世界になるのね」
「ああ! もう俺の頭じゃ理解不能だぜ!」
「とにかく『めでたしめでたし』なんだし、あとは本来いるべき場所へ帰るだけよ」
「ボク、おなか空いちゃったよ! 帰ったらシーサイドバーガーを食べに行こうよ」
「ねえ、お爺さん? これで、ブッチたちはまた管理人としてやっていけるんですか?」
 ミチルが尋ねると、お爺さんはマシュマロたちを優しい眼差しで見つめながら答えた。
「君は本当に鋭い子だね。だが、未来は変わりやすく誰にもわからないよ。しかし私は、なにがあっても必ずこの三匹を一組の時計として世に出すことを約束するよ。これを成し遂げることが私の罪の償いだ。しかし、不法の器を使用したペナルティーは払わねばならない。もちろん、これも彼らの修業の一環だよ」
 ルールを破ったからには支払わなければならない代償がある。不法の器とは、お爺さんの力を持ってしても帳消しにできないほどの禁術だった――ってことなんだろう。
「いっぱい迷惑かけてごめんね。でもみんなのおかげで、ぼくはもう一度チャンスをもらえるんだ! 本当にありがとう!」
「千斗君、ジョージ君、マルコ、紅葉ちゃん、ミチルちゃん、本当に、本当にありがとう!」
 顔をぐしゃぐしゃにして、スカーフェイスとマシュマロが泣きながら駆け寄ると、マルコはそんなふたりを抱きしめながら心配そうに尋ねた。
「ところで、君たちのペナルティーって一体どんなの? 一週間ご飯抜きとか?」
「違うよ。ぼくたちもう一度生まれ変わって人生をやり直すんだ。これがおじいさんがぼくたち双子に与えた罰だよ」
「え? でもそれじゃあ、ブッチは?」
「おれは気長にここで待つよ。そいつらと一緒じゃなきゃ、おれだっていやだからさ」 
 ブッチはとても晴れ晴れとした笑顔で、満足そうにしていた。
「名残惜しいが、君たちとはここでお別れだ。本当に世話になったね、ありがとう」
「でも残念よね? こんなすごい体験なかなかできないのに、全部忘れちゃうなんて」
 紅葉はさびしそうだ。
「俺は絶対忘れない自信しかないけどな」とジョージが自信満々に答えると、
「君はきっと、いの一番で忘れるわよ」ミチルがさりげなくつっこんだ。
「また偶然どこかで会ったら記憶がよみがえったりしないかな?」
 マルコはいつまでも鼻をすすって、マシュマロとスカーフェイスを抱きしめている。
「たとえ記憶を消したとしても、君たちが頭や体で体験した記憶は必ずどこかに残っていくんだ。そんなとき、人はデジャブを感じるのかもしれないね」
 意味深に優しく笑うと、お爺さんは店の扉を開いた。扉の向こう側には、まるでシャボン玉の薄い膜みたいな玉虫色の光がゆらゆらと揺れている。そしてそのゆらめく光の先にどこか見覚えのある景色が広がっていた。
 ライオン公園だ! そうか、あの時間に戻るんだ! あの日、みんなで集まって調理実習用のメニューを考えていたあの時間に――僕はそう理解した。
「みんな、元気でね」
「マシュマロ……っ。うう、ボク、さみしいよ」
 僕たちはお爺さんたちに優しく見送られ、ジョージ、紅葉、ミチル、マルコの順に光の中へと進んでいった。目の前でみんなの姿が泡のように消えていく。
 続いて足を踏み出し、扉をくぐろうとしたとき、僕の頭の中に一つだけ疑問が浮かんだ。どうでも良い疑問かもしれないけど、理由があるなら聞いておきたかった。
「どうしてこの黒野時計堂にはマシュマロたちみたいな猫がやって来るの?」
 お爺さんは優しくうなずくと、質問を返すようにしてこう言った。
「猫ってのは、人に死に目を見せないって言うだろう? じゃあ、彼らは一体どこへ行くんだろうね」
 ――僕は大きくうなずき返すと、光の中へと飛び込んでいった。

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