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「鳥かごのハイディ」第十三話

Smoke
(4)

「君たちが毎週末ピクニックに出掛けたグランダッド・ブラフと呼ばれる場所は、この時期どんな様子だったんだい?」

 スタイルズ先生の問い掛けに、わたしは目を開けることなくそのときの様子を話し出す。
「ただ、綺麗だとか、紅葉が美しいだとかって言葉を並べるだけでは、とても陳腐になってしまう」
 ラクロスの街並みは平坦で、極端に背の高い建物などない。そのラクロスで最も高台のグランド・ブラフから見るパノラマの風景は、この時期でしか見られない紅葉の美しさと、横たわる壮大なミシシッピ河。その燃えるような大地に隣り合わせになって広がる青空の、赤と青のコントラストが、言葉にならないほど美しい。
 野生の鷲が大きな翼を広げて、その赤と青の境界線を自由に行き来して、青空の中に浮かぶ真っ白な雲が流れていく様子を見ているだけで、この空が果てしなくどこまでも続いているんだって、改めて再認識させてくれるのよ。
 わたしたちにとってグランド・ブラフ・パークは庭のようなもの。天気の良い週末は必ずエレノアと二人でクタクタになるまで遊ぶの。花冠を作ったり、四つ葉のクローバーを探し回ったり、ママに作ってもらったあの魔法のシャボン玉も飛ばしたわ。
 強い風に流されて飛んでいくシャボン玉が、グランド・ブラフから見る紅葉の赤と、その真上に広がる青空の青の境界線を潜り抜けるとき、一瞬シャボン玉を見失ってしまう。まるで、境界線を越えた瞬間に、シャボン玉がすべて弾けてしまったみたいに。
 でも、実際には空の青が透過して消えてしまったように見えるだけだった。もちろん、その中の幾つかは本当に弾けてしまっているんだけど、目を凝らして青空を見つめると、チラチラと輝く魔法のシャボン玉が見えてくるのよ。
 風に舞うシャボン玉を追いかけるようにしてエレノアが走り出せば、わたしも真似をして走り出す。彼女が四つ葉のクローバーを探し当てたなら、わたしも欲しくなる。
 この世で一番好きな女性がママなら、この世で一番憧れる女性はエレノア。とにかくわたしは、いつだってエレノアの真似をした。
 ママが言った言葉、あなたたちはオレンジの片割れだって。どんなに似通ったオレンジだって、ひとつとして同じものはない。だから半分にカットされたオレンジが、お互いにピッタリとくっつくことができるのは元のオレンジ以外には絶対にないの。
 ママはこう言いたかったのよ、わたしたちは二人で一人だって。わたしがエレノアを追いかけて、そして憧れ続けたのは、きっとママの言葉があったからだと思うわ。

「二人は一人だってことかい?」

「えぇ、わたしはそう思う」
 先生の言葉に、ソファーから身を起こして答えると、スタイルズ先生は少し姿勢を変えて向き直り、わたしに言った。
「前にも一度、お母さんの話を聞かせてもらったときにこの言葉が出てきたね。『ハイディー』そして『オレンジの片割れ』――もし、お母さんが言ったこれらの言葉の意味が、君たち双子が二人で一人だってことなら、それは君たち二人がそれぞれ完全ではないってことにならないかい?」
 先生はいつものように淡々と話す。
「そう思うわ。ママはわたしたちに、早く一人前になってほしかったのよ」
 すると、なぜか先生が意図的に話題を変えた。
「週末に雨が降っていたら、その日は家で過ごすのかい?」
 そんな先生の態度が腑に落ちない。
「わたしの答えが間違ってると思う?」
 そう突っ掛かるように訊ねると、やっぱり彼は眉一つ動かさずに、いつものドクター・スタイルズを演じている。
「そうじゃないさ。私は色々と、君の持つ哲学や思想なんかを知りたいんだ。私が思うに、君はとても頭の良い人だからね」
 彼のような態度を取る人間とは、絶対に喧嘩になりようがない。こっちがどれだけ目くじらたてても、相手は常に冷静で沈着。いつも肩透かしを喰らってしまう。
 まるで教会のシスターのよう。
「雨が降った日は、家族でラクロスのローズ教会に出掛けたわ」
 わたしは再びソファーに体を委ねると、目を閉じて部屋に響く秒針の音だけに意識を傾けた。

 わたしたちが住む家から、歩いて三十分ほどの場所にあるローズ教会はとても静かで、ひんやりした空気と、暖かく優しい光りが灯るママのお気に入りの場所だった。
 小さくて古い教会だったけれど、石畳の敷き詰められた大聖堂には、朱い厚手のカーペットが一本、広間の真ん中を通り、大きく吹き抜けた天井と壁には、小さな窓のステンドグラスが幾つも並んでいて、上を見上げればいつだってジェリービーンズみたいにカラフルな気持ちになれた。
 ただパパはと言うと、あまりこの手の場所は得意ではないみたいで、雨が降る週末はいつもソワソワと落ち着かない様子を見せた。
 一度だけ、一緒に教会へ行くのをパパが断ったことがある。
「なあナオミ? ハンナさんの家の屋根が雨漏りしているらしいんだ。すまないが、なんというかその……」
 ハンナおばさんは老犬と暮らす、足の不自由な人だった。ママはそれを聞くと、教会へ出かける時間を一時間遅らせて、前日に焼いた感謝祭用のターキーでサンドイッチを作ってパパに持たせると、こう言った。
「まあなんて素敵なことね。屋根からすばらしい収穫をもたらす祝福の雨が漏れているなんて、すぐにでも行ってあげなくちゃ。それにそんな光栄な役目にあなたを選んでくれたなんて、ハンナさんに感謝しなくてはね」
 その日ママは、いつもよりも長く教会で座っていた。
「ナオミ」という名前はキリスト教に関係があるらしいんだけど、ママは自分の信仰を押し付けるような人ではなかった。
 もちろんママは教会が大好きで、大聖堂に流れる賛美歌を聴きながら、何時間でも椅子に座っていられる人だったから、小さなわたしたちはじっとしていられなくて、すぐに出歩いてしまっていたけれど。
 パパが一緒に行かなかったのは記憶にある限りあの日だけ。あとは必ず四人揃って雨の教会へ通った。本当はパパだってお尻が痛くなって居心地が悪いはずなのに、ママが満足するまでは、絶対に椅子から立ち上がろうとはしない。それくらい、パパはママのことが大好きなのよ。
 そして、それはわたしも同じで、わたしはいつだってエレノアと一緒でなければ気が済まないの。エレノアが動き出すときは、わたしも動き出すとき。
 グランド・ブラフに行けないそんな雨の週末には、わたしたちにはやらなくてはならないことがあった。

「それは宗教関係のことかい?」

 わたしは横たわったまま首を降る。

「違うわ。でも、まったく関係がないとは言い切れないわね……

 わたしたちが通った聖ローズ教会の建物の裏手には、ちょっとした庭があった。本当は、教会の関係者しか立ち入れない場所だったんだけど、わたしたち双子は特別に出入りを許されていた。
 きっかけは教会で何時間でも座っていられるママの隣で、早くもモジモジし始めたわたしをエレノアが連れ出してくれたのが始まり。
「チャーリー。ちょっと教会の中を探検しよう?」
 見兼ねたエレノアが手を引いて、わたしを大聖堂の外へと連れ出す。
「この教会は好きだけど、ママみたいに何時間も座ってたらお尻がいくつあっても足りないわ!」
 そんな風に笑うエレノアのお陰で、わたしはいつも、ママに付き合ってあげられなかったっていう後ろめたさを軽くすることができた。
「あら? あなたたち、ご両親は?」
 子供たちだけで出歩いているのを心配したシスターが声を掛ける。
「ママは熱心に賛美歌を聞いてるわ。パパはお尻が痛いのに我慢してママの傍にいる。わたしたちはあまりの痛さに脱落よ。そんなわたしたちを、神様は罰したりするかしら?」
 明らかな喧嘩腰のエレノアの後ろに隠れてシスターの顔色を伺うと、シスターは姿勢を正したまま眉一つ動かさずに言った。
「ついてきなさい」
 そして黒い修道服の裾をひらつかせるように踵を返すと、シスターは大聖堂脇の細い廊下を歩き出す。
「エレノア? シスター怒ってるかな?」
 少し不安になってそう訊くと、エレノアも緊張した表情で答えた。きっとエレノアも怖かったんだ。
「わからないわ。でも大丈夫よ! チャーリーは必ずわたしが守るから!」
 少し青い顔をしながら、わたしを庇うように前を歩くエレノアの背中に張りついてシスターについて行くと、細い廊下の先には古びた木製の扉があった。
 ギィギィと音をたてて開かれていく扉の音を聞いたとき、わたしもエレノアもそこが拷問部屋だと思って震えあがった。
「シスター! ごめんなさい! わたしたち、おとなしくママの隣で座って待つわ!」
 エレノアが堪らずに扉の前で大声を出すと、わたしも揃って隣に立ち、ごめんなさい! と謝る。
 そんな様子を見て、シスターは不思議そうにした。
「あら? 残念ね、せっかくお客様のあなたたちを特別な場所に招待しようと思ったのに」
 扉が大きく開かれると、小さな炊事部屋の奥にもう一つ扉が見える。シスターは炊事室を横切って奥の扉まで行き、同じように大きく扉を開くと、その先にビニールハウスが見えた。
「特別な、場所?」
 わたしとエレノアは顔を見合わせて、シスターの後を追うと、ビニールハウスの中には小さな箱庭が広がっていた。
「素敵なお庭でしょう?」
 やがて炊事室でお茶を淹れたシスターがカチャカチャとトレイを持って現れ、わたしたちを中へと招き入れる。
 ハウスの中には、このラクロスにも、グランド・ブラフでも見たことのないような可愛らしい花が咲き、綺麗にレンガで整えられた花壇に並んでいた。外は雨が降っているはずなのに、真ん中に置かれた小さなテーブルと、椅子に見立てた切り株は明るい日差しに照らされて浮かび上がっているような錯覚さえ覚えた。街では見ることのない大きな椰子の木まで立っている。
 わたしとエレノアが目を瞬いてすっかり惚けていると、シスターはテーブルにお茶を置いて言った。
「あなたたちの両親には、私から言っておくわ。そうすれば、あなたたちがいないことに気づいても、慌てなくても良いでしょう?」
 神様をバカにしたような態度をとって、てっきり叱られると思っていたわたしたちは、申し訳なくなって訊ねたわ。「どうして?」って

「シスターは何て?」

 スタイルズ先生の言葉に、わたしはあのときのシスターの言葉をそのまま返す。

「『あなたたちのお尻が痛くなって出歩いたのも、それを私が見つけてこの箱庭へ導いたのも、すべて神様がそうさせてくれたからよ』

 シスターはそう言い残すと、そのまま箱庭を出ていった。ポツポツとビニールハウスに当たる雨音と、暖かい箱庭の中、ママとパパがシスターに連れられて迎えにきてくれるまで、わたしたちはその箱庭で過ごしたのよ。
 箱庭を出るときシスターは言った。「この場所はもう覚えたでしょ? 次に出歩くときは、ちゃんと両親に行き先を告げてから行くのよ?」って。こうして、わたしたちは雨の週末の教会が大好きになったんだ。
 わたしとエレノアは教会の箱庭のことを、「秘密の花園」と呼びあった。もちろんそれには理由がある。
 雨の週末にローズ教会の箱庭へ行くと、椅子に見立てた切り株をずらした場所にわたしたちは穴を掘り、そしてその中へ自分たちの宝物を埋めた。
 小さなオルゴールボックスの中に入れて。

「なぜ、その場所に埋めようと思ったんだい? 自分の家の庭の方が、いつでも取り出せるじゃないか」

 わたしは彼の言葉にゆっくりと身を起こし、閉じたままの瞼の内で響く秒針の音を感じながら話す。

「神様に預かってもらうの。わたしたちの大切な宝物をね。あそこ以上に安心できる場所なんて他にないわ」

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