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「&So Are You」第四十八話

親友の声



『…… …… …』

『……… … ん………… …………』

『… …… ら……… ……  ……か……』

 バタバタと音の鳴る暗闇で、誰かが囁いている。

『ベン、ドランクモアに行かないか』

 この声はグレッグだ。

『ベン、親父さんが呼んでるぜ?』

 次第に意識が呼び起こされる。

 ――僕は生きている!? 

『ベン、お前ハンナに惚れたんだろ? この退屈な町にはいないタイプの女だもんな』

『ベン、ベン……』

     ♰

 動かない体と開かない目に戸惑いながら、僕は完全に意識を取り戻した。

「グレッグ!? 無事かグレッグ!! どこにいるんだ? 目が開かないんだ!」

 自分が今、どんな状況に置かれているのか、どこにいるのかもまったくわからない中、僕は彼の囁き声だけを頼りに顔を動かした。

「そんなに大きな声出さなくても聞こえるよ……お前のすぐ傍にいるさ」

 彼の元気そうな声に安心した僕は、安堵の息を漏らした。

「そうか! 良かった! 僕たち二人共助かったんだな」
「右目もやられちまったな……俺がついていながら、本当に悪かったな」

 そんなことよりも、僕はあの絶望的な地獄のような状況の中、共に生き延びることができた喜びだけが、僕の体を震わせている。

「この穴は俺が待ち伏せ作戦で配置された穴なんだぜ。クロフォードと軍曹と一緒にな……どうやらあの二人は、俺を許してはくれなかったみたいだ……」

「なんの話だよ。それにクロフォードは僕を探しに行って途中でやられたって、おまえ言ってたろ」

 バタバタと音が鳴り続けている。体が動かない。僕は顔だけを声のする方に向けて訊ねた。

「違うんだ、ベン。全部俺の嘘なんだよ……。俺はお前を探しにも行ってないし、クロフォードもその途中で見つけた訳じゃないんだ」

「どういうことだ」

「俺たちは三人一組で配置されてここに潜伏してたんだ。俺は、あまりの戦況の悪さに尻込んでとっととこんな穴から出ようと軍曹に掛け合った。だけど、奴は首を縦に振らないどころか、俺に銃を向けて言ったんだよ。『同じ死ぬなら戦って死ね』と……だから、俺は……」

 グレッグが声を震わせる。

「やめろよ! もう良いんだよ、仕方なかったんだ! それにハンナだって手紙で言ってたじゃないか! とにかく無事に戻って、残りの時間でゆっくりと考えれば良いって!」

 バタバタと音は鳴りやまない。すぐ隣にいるはずの親友との距離もつかめない。僕の声はどんどん張り上がる。

「いいんだよ! グレッグ! 良いんだ! 仕方なかったんだ!!」

「俺は! 自分が変わって行くのが本当に怖かったんだ。恐ろしかったんだ。俺が俺じゃなくなったら、もう二度とお前たちと笑って過ごせる日なんて来ないって知ってたから!」

 グレッグの叫び声が掠れ掠れにしか聞こえない。親友の叫びが、囁くようにやさしく泣いている。

「落ち着けよ、グレッグ! 大丈夫だ! 全部元通りになるさ!」

 僕は自由にならない体を必死に揺らした。

 バタバタ、バタバタ、喧しく鳴り響く音と振動が体を揺らす。――それを跳ね除けたくてさらに声を高める。

 ――うるさい! 邪魔だ!

「それにグレッグ! お前が変わってない決定的なものがひとつあるじゃないか! もしお前が本当に変わってしまってたなら、とっくに軍曹たちと一緒にこの穴で死んでるはずだ! 今お前がこうしてここにいることこそが、お前が変わらずに踏み留まった証拠だよ!」

 グレッグ……!

「………………」

 バタバタ、バタバタ、いつまでしつこく鳴り響くんだ。やかましすぎて、肝心のグレッグの声が聞こえない。

 バタバタ、バタバタと酷い揺れが体を揺らす。――まるで……救助に来たヘリコプターにでも乗っている気分だ。

「おぃ! 意識が回復したぞ!!」

 誰かが僕の手を握っている。聞き覚えのない男の声が叫ぶ。

「もう大丈夫だ! 直に病院に着くぞ! それにしてもあんた、あの地獄からよくも生きて帰ってこられたな! 第二中隊はほぼ壊滅だってよ!」

 男の言葉が僕の夢を覚ます。酷い気分だ。

 あの悪夢の日から二週間、怪我の痛みと高熱の中、意識は朦朧としたままだ。正確には、意識ははっきりしてるのに、まるで晴れない霧がずっと僕を覆っているような気分だった。

 看護婦に、この病院に運ばれた兵士の中に「グレッグ」という名前の男がいないか何度も調べてもらったが、彼の痕跡は見つけられなかった。

 あの戦場に戻ることも、二度と目を開くことも叶わない僕は、このまま永遠にグレッグを探し出すことはできないだろう。

 この二週間、ずっと心に引っかかっていることがある。それはあのヘリコプターで見た夢のことだ。妙に現実味を帯びていて、そして生々しいあの夢。

 ――あれは本当に夢だったのか? 

 もし夢なら、なぜあんな夢を見たのか? そして彼の最後の言葉。バタバタと鳴るプロペラの轟音に掻き消されるように聞こえた最後の言葉。

 僕には、彼が「ありがとう」と言った気がしてならないんだ。

「ありがとう」

 確かにそう聞こえた気がするんだ。

 集合病室の中は腐敗臭や、強烈な薬品臭と兵士たちのうめき声で充満していた。誰かが持ち込んだラジオが、四六時中ドランクモアで聴いていたような古臭いカントリーミュージックを響かせていた。

 今では、その古臭い音色をたどるのが病院での唯一の楽しみになっている。聴こえ難くなった耳を必死に傾けながら、僕は故郷と君を思い描く。

 早朝五時には決まって合わせる番組がある。皆、その番組のラジオDJがお気に入りで、数少ない毎日の楽しみになっていた。

 五時ジャスト――そいつはラジオの向こうから力強く、そして軽快に叫ぶ。

「G・o・o・o・o・d! Morning!! Vietnam!!」

 さよならベトナム。お別れの時間だ。僕は愛する人の待つ故郷へ帰る。

#創作大賞2024 #恋愛小説部門


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