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「カノンの子守唄」第八話

第七章

ゆらゆらと、そしてまたゆらゆらと。

 忘却の都ノアの眠る巨大な森に、朝日が差しこんでいる。
 この森はまるで海のよう――ひとたび飲みこまれたなら、海の中でおぼれる人のように、前も後ろも右も左もわからなくなってしまうほど、樹海という言葉がよく似合う。
 タテガミは慎重に神経を研ぎすまし、耳から入りこんでくる情報に気を配りながら歩いた。森の景色をながめる余裕もなければ、仲良くおしゃべりを楽しむ余裕もない。いつまたカニバルが襲ってくるかわからない。
 ネジ式の話では、忘却の都までは約一日歩いた距離。しかしカニバルたちに見つからぬように気配を殺し、辺りに気を配りながら進むとすれば、おそらく予定通り到着するのは無理だろう。
 険しい森の中を、一歩ずつ踏み出すように進む。茂みの中に動物を見つけるたびに息を飲み、木の上でさえずる鳥の鳴き声にまでびくっとした。鳥たちが、まるでカニバルたちに自分たちの居場所を教えているように感じたからだ。
 みんなもくもくと歩いた。どのくらい進んで、どのくらいの時間がたったのか? 深い森の中にはうっすらとしか光は差しこんでこない。
 カニバルの叫び声は、昨日の夜に聞こえたきりだ。しかしこの森のどこかには必ずひそんでいるのはわかりきっている。果たして何人いるのか? どこにひそんでいるのか――やはりわからないままだった。
 ノアは疲れていた。おなかも空いたし、もうどれだけ歩き続けたのか、それでもとても腰をおろして休めるような状態ではなかった。
 みんなは休むことなく森の中を歩き続けた。
 湧水を見つけ、冷たい水で顔を洗う。地面に顔をつけるようにして水を飲んだ。
 体がかわいている。軽く木の実を口に運んだノアは、これから登らなくてはならないのであろう山を見あげ、ため息をついた。
「ネジ式……、今、どのくらい進んだのかしら?」
 ネジ式は、朝一番で出れば夕刻には着くと言っていたけれど、今日中にたどり着けるとは思えない。
「そうですね、今日進む予定だった距離の、まだ三分の一ほどでしょうか? しかしそろそろ日も沈みます。いっそう警戒しなくてはならないでしょう」
 昨晩からモヒは一言もしゃべらなかった。きつく木刀をにぎりしめたまま、どこからでも来い! と言わんばかりに辺りを警戒し続けていた。タテガミも言葉少なくなっていた。
 山を登りはじめてすぐに、森はどっぷりと暗く染まっていった。視界のきかないノアにとって、ましてや暗闇の山登りなど困難なほかなかった。
「どうする? 今日はここで休むか?」
 タテガミが言ったが、本当はもう少し進みたいのだろうとノアにはわかった。
「そうですね、このまま無理をして進んでも、ミスをして見つかってしまう可能性が大きくなってしまいます。今日はここでおとなしくしましょう」
「じゃあ……ふたりずつ交代で休もうか」
「私は休息は必要ありません。みなさんで交代で休んでください。どなたかおひとり、私と見張りをしましょう」
「ノアは休んでていいよ。おいらとモヒで交代で見張るからさ」
「でも……」タテガミは高い聴力や嗅覚を持ち、モヒは強い腕力を持っている。ネジ式のように休まず動き続ける体も持っていないノアは、申し訳なさそうな表情でみんなを見た。
「適材適所だろ?」
 一日ぶりに口を開いたモヒが、冗談めいて笑った。みんな同じように、一日中神経をすり減らして歩き続けている。それでも疲労の色をかくすようにノアを気づかい笑ってくれる。それがわかり、ノアはとてもうれしかった。
「ごめんね、みんな。甘えさせてもらうね」
 ノアはひとり木の根元に腰をおろし横になった。まぶたを閉じたノアは、瞬く間に眠りの世界へと落ちていった。
 真っ暗な闇が支配する森の中で、静かに息づく鳥や虫の鳴き声、風にゆれる葉がザワザワと、何かよくないことを予告するようにさわぎ立てている。
 生い茂った葉の隙間から一筋の月明かりが差しこむと、真っ白な悪魔は燃えるような赤い眼差しで、まっすぐにこちらの様子をうかがっていた。気配を殺し、闇夜にギラギラと殺気だけをちらつかせながら、赤い目の数が次第に増えていく。
 タテガミもモヒもネジ式も、みんなカニバルの存在に気づいていないのか?
 みんなは枝を集め火を起こすと、それを囲み座りこんでいるようだった。
 一番後からやってきたとても体の大きなカニバルは牙をむき出し、後はいっせいに襲いかかるだけとなる。差しこんだ月明かりが厚い雲の中へとその身をひそめたとき、闇を切り裂くような雄叫びがあがった。
 いっせいに襲いかかるカニバルたちの叫び声と地ひびきで、三人はやっとカニバルたちの存在に気づき、態勢を整えようとするがそれはまったくむだなことだった。
 カニバルたちの存在に気がつくのが遅すぎたのだ。初めに襲いかかってきたカニバルがネジ式の頭を弾くと、いとも簡単に彼の頭は胴体からはなれていった。
 続いて押し寄せたカニバルたちの爪の餌食になったタテガミとモヒも、無情にも四肢はバラバラにされていく。 
 タテガミたちの返り血を浴びたカニバルの真っ白な体毛は、瞳と同じ燃えるような赤い色だった。恐怖と絶望と、そしてカニバルたちの叫び声がその場に渦を巻き絡まっていく。
 カニバルたちは、そのするどい爪でタテガミやモヒの肉をさらに切り刻み、喜びの奇声とともにその肉を分け与えていくが、ノアには決して触れようとはしなかった。
 放心状態のままノアは立ちつくした。ノアの体にも、血がべっとりとついている。
 燃えるように赤い、仲間の血……。
 あの子どものグースーの心臓に、ナイフをつきさしたあのとき浴びた血よりも大量に、赤く自分を染める、タテガミとモヒの……。
 ノアは自分の体に浴びた血のあとを見て体をふるわせていた。こすっても、こすっても落ちない赤い血は、まるでノアの内側からわき出ているようだ。
 群れの中のひときわ大きなカニバルがノアに近づいてくる……。
 ゆっくりと、そしてまっすぐに……。
 真っ白な悪魔の目は燃えるような炎の赤い色……。
 ゆらゆらと……そしてまたゆらゆらと……。
「起きろ! 起きろ、ノア!」
 耳元の叫び声でノアは目を覚ました。タテガミが血相を変えノアをゆすり起こしている。
「タテガミ? 夢?」
 寝起きで状況の飲みこめていないノアに、タテガミが真剣な表情で言った。
「カニバルたちがこっちに向かって来てる! 早くここからはなれよう!」
 ノアが辺りを見回すと、そばには頭のはなれていないネジ式と、バラバラになっていないモヒがいたが、ふたりとも森の一方向をじっとにらんだまま構えている。夜明け真近なのか空はうっすらと明るかったが、森の中はまだ暗い。
 森の奥から複数のカニバルたちの叫び声が聞こえてきた。
「ノアさん、行きますよ!」
 ネジ式はまだ暗い足元を目から放つライトで照らして、ノアたちに先に進むように指示した。タテガミに続いてノアが山をかけ登り、後ろからネジ式がノアの足元を照らし、最後にモヒが続いていく。
 頂上に着くころには、三人とも息を切らしふらふらになっていた。東の空は明るくなっている。ライトを消したネジ式は「ここから一気に山をかけぬけましょう」と飛び出した。
 後方からは、カニバルがみんなの居所をつき止めたのか、その場所を仲間たちに示すかのように雄叫びをあげた。あまりにも早く追いついてきたカニバルの早さにノアたちはおどろかされた。ノアたちに比べれば、この森を縄張りとする彼らにとって、森の移動などずっとたやすいのだ。
「迷ってるひまはなさそうね!」
 ノアたちはネジ式のたどった下り坂を、転げ落ちるように走った。落とすことのできないスピードに、枝葉が体に当たりミミズばれになっていく。するどい枝が獣の爪のように体に切り傷をつける。
 一気に山をおりたみんなは、休む間もなくネジ式を先頭に走り続けた。誰ひとり、ふり返る余裕などなかった。カニバルの叫び声が自分たちのすぐ後ろに迫っている。慣れない森の中をみんなは必死に逃げたが、カニバルとの距離はみるみるうちに詰められていった。このままでは追いつかれると思ったネジ式は、この先に崖があったことを思い出した。
「この先に崖があるはずです! その崖にカニバルを落としましょう!」
「崖?」ノアは、走りながらも落ち着きを取り戻すと、すぐさま作戦を考えはじめた。
「タテガミ! カニバルは今どのくらいまで来てる!?」
「すぐだ! すぐそこにひとり迫ってきてる!」
「ネジ式! 警告音を出してカニバルをおびき寄せて時間をかせいで! 私たちはその隙に崖まで行って準備をしておくわ。引きつけたら静かにしてかくれていて!」
「わかりました!」
 ノアはタテガミとモヒを連れ、そのまままっすぐネジ式の言う崖へと向かった。ネジ式はさっそく警告音を出しながら、ノアたちから少し左にそれた薮の中へ走りこんでいった。
 カニバルはすぐさま追いついた。ネジ式の逃げる音を聞きつけると、仲間たちにその場所を教えるように雄叫びをあげながらネジ式を追った。
 崖までたどり着いたノアは、腰にさげた袋から、先のとがったグースーのあばら骨を何本か取り出してタテガミとモヒに渡した。
「これを岩壁のすき間になんとか打ちこんで!」
 タテガミとモヒが、ノアが何をしようとしているのか理解して、だまって力強くうなずくと、すぐさま崖に体を乗り出すようにして、背ひとつ分ほど下方に、骨を打ちつけはじめた。タテガミがその体の身軽さを使って崖につかまったまま、岩壁のすき間に骨を当て、崖の上からモヒが持っている弓なりの幅広い木刀をふりおろして打ちつけていく。すぐに何本かの骨が岩壁からつき出した。準備をするとタテガミとモヒは近くへ隠れた。
 ネジ式の警告音が鳴りやんだ。
 ノアは崖ぎりぎりに立ったまま、カニバルのやってくるであろう方角をにらんで、骨笛を取り出すとそれを誘うようにふり回しながらゆらぐ音を鳴らした。
 すぐ近くでネジ式を見失ったカニバルが、新たに鳴りひびく骨笛の音に反応し、ノアへ視線を定めると、うめき声をあげながら一直線にノアへ向かってかけ出してくる。
 カニバルの燃えるような赤い眼差しににらまれたノアは、恐怖で足はふるえ、体の自由を奪われていく。ギリギリまで引きつけなければならない。真っ白な悪魔がそのするどい爪をふりかざして飛びかかると、ノア目がけてその爪をふりおろした。カニバルの爪の先端がノアの左の鎖骨をかすめた。すかさずノアは後ろ足にかわすと崖へと落ちていった。
「ノアさん!」ネジ式は飛びこむような勢いで崖へ向かった。すぐそこにカニバルが立っている。その姿の向こうにノアが消えた崖があった。ネジ式はカニバルの存在を忘れて、ノアを助けようと無謀にも崖へと飛びおりようとしていた。
 ネジ式が飛びおりるよりも早く、すぐそばでひそんでいたタテガミとモヒが飛び出すと、カニバルの大きな白い背中へと激しく体当たりした。
 カニバルは高い悲鳴をあげながらそのまま崖を転落していった。
 悲鳴は辺りにひびき渡りしだいに小さくなって消えていく。その悲鳴の長さから、その崖がいかに高いかがわかった。 
 崖からノアの声がした。状況が飲みこめず呆然としていたネジ式は、はっとして崖を見おろすと、岸壁の隙間に打ちこまれた何本かのグースーの骨を足場にして、その上に立ったノアがこちらを見あげている。
「あぁ! あぁ!」
 ネジ式は言葉にならない声をあげていた。事前に作戦を知らされていなかったネジ式は、本当にノアが落ちてしまったのだと思ったのだ。
 タテガミとモヒが手を伸ばし、ノアを引きあげる。ノアは上気した顔でやっと崖からはいあがると、にっこりと「ごめんごめん」とネジ式にむかってあやまった。
 辺りには別のカニバルの叫び声が小さくこだましている。喜びあっているひまはない。
「また次のカニバルが現れる前に、この場をはなれましょ」
「はい!」
 ネジ式を先頭に崖沿いの下り坂を進む。しばらくすると、さっきまでいた崖上にカニバルたちが集まってきたのか、不安げな雄叫びが聞こえてきた。崖底に転落する叫び声を聞いて集まったカニバルたちは完全に獲物を見失い、路頭に迷って悲しげな声をあげていた。
「そのまま迷っててくれよ!」
 少しほっとしながら崖をおり、さらに奥へ進む。ネジ式の速度がどんどん早くなる。
「もうすぐです! もうすぐそこに〝ノア〟が見えてくるはずです!」
 そのネジ式の言葉にみんなの期待も高まっていた。
 しかしこんな深い森の奥に本当に都などあるのだろうか……。
 そうノアが思った瞬間、辺りをつんざくような咆哮がノアたちを襲った。辺りの木々は細かくふるえ、その振動までもが、体にビリビリと伝わってくる。
 その場にあるすべてのものがふるえあがった。ノア、タテガミ、モヒはもちろん、空気までもがふるえあがっているようだった。忘却の都を目前にして、警戒心のゆるんだ隙をねらったかのように、森の木々の上で気配を殺して、待ち受けていたカニバルが飛びかかってきたのだった。
 突然の襲撃だった。わけもわからずその場に飛びふせると、すぐ後ろでドシンと地ひびきが鳴った。倒れたノアがふり向くと、ふせたすぐ後ろには、するどい爪を地面につき立て、真っ白な毛を逆立てた悪魔が、とらえられなかった獲物を悔やむかのように叫び声をあげていた。
「ノア! 大丈夫か!?」
 タテガミが、ノアにかけ寄り起きあがらせる。あまりの恐怖でノアの腰はぬけていた。ガクガクする足でタテガミの肩に手を回し、引きずられるようにその場をはなれようとして、ふたりともその場に倒れこんだ。燃えるような赤い目はその好機を逃さなかった。血に渇いた牙をむき出し、するどい爪をふたたびふりかざす。ノアとタテガミは、自分たちを死へと導くふりあげられた爪と、真っ白な悪魔の赤い目をはいつくばって見あげた。
 やられる! そのときだった。死を覚悟したふたりの目に信じられないものが映った。自分たちにとどめをさそうとするカニバルの胸元に見覚えのある骨の首飾りがあったのだ。
 ふたりは死をも忘れて言葉を失った。
 それはノアの首飾りと、まったく同じ首飾りだった。
 ネジ式が警告音を大音量で発した。突然の音におどろいたカニバルは身の危険を感じて、後ろへと飛びのいた。近くにいたモヒはその隙を逃さなかった。木刀をにぎりしめるとカニバルへ飛びかかっていき、左目を突いた。左目をつぶされたカニバルは強烈な悲鳴をあげた。苦痛と怒りにゆがむ雄叫びが辺りの木々をゆらす。
「立て! 早く身をかくすんだ!」
 モヒの叫び声で我に返ったふたりは、森の木々の中に体をかくし気配を消した。苦痛に体をよじるカニバルのすぐ脇の木に、モヒはすばやく登り身をかくした。警告音を止めて、ネジ式も身をひそめている。
「あれは……あれはっ……お父さんの首飾り……」
 ノアは体のふるえを止められなかった。次々と涙があふれてくる。
 どうしてお父さんが? もうじき村へ帰ってくるはずだったのに……。
 どうして……どうして……どうして……!?
 ノアとともにかくれたタテガミも信じられない表情のまま固まっていた。
 どうしてお父さんがカニバルなんかに!
 ノアの表情が、怒りにゆがんでいく。その目は涙にあふれ、出会ったときのモヒとまったく同じ色をしていた。理不尽な身内の死に復讐心を抱くモヒそのものだった。
 どうして! どうしてやさしかったお父さんがこんな目に合わなきゃならないのよ!
 ノアはあのとき、復讐に燃えるモヒの気持ちなど少しも理解できていなかった。皮肉にもこんな形で知ることになろうとは……。
 許さない……
 カニバルは目をつぶされた痛みと獲物を仕留めることができなかった屈辱に、怒りで身をふるわせていた。
 許さない……
 ネジ式は、どうすればこの最悪な状況をぬけ出せるか冷静に考えていた。
 許さない……
 タテガミは、ふるえながらただ息を殺し、気配を消していた。
 許さない……
 モヒは木の上にひそみ、武器をカニバルの脳天にふりおろすことだけを考えていた。
 私は、絶対に許さない!
「ぅぁああああああ!」
 その場にいた全員の耳に、ノアの叫び声がひびいた。その声は、うめきともがなりともとれない、体中から命をしぼりだすかのように吐きあげる声だった。
 ノアは、ふるえるタテガミの腰から牙のナイフを引きぬくと、怒りの奇声をあげカニバルへと突進していた。ノアの目にはもはや目の前のカニバルしか映っていない。
「ノア!」
 怒りに我を忘れてノアは突進する。そんなノアにみんな何もできずに立ちすくんだ。
 ただひとり、真っ白な悪魔をのぞいては。
 真っ白な悪魔の心は歓喜で満ちていた。取り逃がした獲物がふたたび自分の前にその肉をさらけ出したのだから。こちらへ向かってやってくる柔らかい塊へと恍惚の眼差しを向ける。おまえの血を、この体いっぱいに浴び、おまえの肉で、この胃袋を満たそう。彼の右目の瞳孔が開かれる。その牙をむき出した瞬間、その頭上からモヒの叫び声があがった。
「ノアー!」
 注意をそらすため、モヒは叫び声をあげてカニバルへ飛びかかった。ノアがカニバルへとたどり着くよりも早く、ノアの走る道筋をふさぐように、モヒがカニバルへとおおいかぶさったのだ。
 真っ白い悪魔を殺すためではなく、ノアを守るために……。
 目の前に現れた新しい獲物に、真っ白い悪魔の色めいた眼差しが移り、一段とその色をかがやかせた。こいつはおれに苦痛を与えた獲物! おれはおまえを許さない! カニバルは飛びかかったモヒをかわすと、そのするどい爪でモヒの肩をえぐるようにつかみあげ、やすやすと高くかかげたかと思うと、その喉元に食らいついた。
「ぐはぁっ……!」
 視界一帯に、モヒの真っ赤な血が吹き出した。カニバルはモヒの喉元を食いちぎると、武勇を知らしめるごとく、もう一度モヒを空高くかかげた。高くあげた右腕の先で、折れ曲がったモヒの首元から、血しぶきがとめどなくあふれ出していく。
 カニバルは致命的な傷を相手に与えたことを確信していた。右腕をふり払い、モヒを投げ落とすと、モヒに向けて恍惚の視線を戻し、しゃがみこんでもう一度喉元へと食らいついた。ネジ式が警告音を鳴らしたが、もはやカニバルの反応はなかった。
 倒れ落ちたモヒのまわりが真っ赤に染まっていく。ふき出す血は、どくんどくんと円を描くように森へと吸いこまれていった。
「タ……テガ…ミ……、ノアを……連れて…逃げ…ろっ……」
 モヒの目から命の光が消えていくのをその場にいたすべての者が見た。目の前でモヒが死んでいく。その現実に我に返ったノアはすでに放心状態のまま立ちつくしていた。
 そのとき、この混沌とした悪夢の現実の中で異質な音が、美しい旋律を奏でた。
「ミュージック、カノン、再生」
 張り詰めた空気をいやすように、カノンの旋律が混沌を包みこんだ。
 その音色が耳の中に飛びこんだ瞬間、カニバルは食らいついたモヒの喉元をはなし、夢中でカノンの旋律をむさぼっていた。
 ネジ式は飛び出し、血だらけで解き放たれたモヒを引きずった。カノンの再生は続けたままだ。旋律がまるでらせんを描くようにいつまでもその場にただよった。うつろなカニバルのまわりをらせんの音色が包む。
「急いでノアに行きましょう! すぐに処置すれば助かるかも知れません!」
 タテガミは放心状態のノアを抱きかかえ、ネジ式はぐったりとしたモヒを背負ってその場を走り去った。音楽が鳴り止んでも、しばらくカニバルはその余韻を楽しんでいた。
 タテガミとネジ式は必死で森をぬけた。やがて彼らの目の前に、古ぼけ、蔦が全体をおおい、まるで森と一体化したような巨大な宇宙船のようなものが姿を現していた。

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