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「ホテルエデン」第九話

 でき上がった料理を三人で食堂まで運ぶ。
「チクワ!」
 アケルが切り株の椅子の上で飛び跳ねる。待ちきれないのだろう。
「それじゃあ食べようか?」
「食べる!」
 サラダに煮物、焼き物に炒め物。まさに竹輪祭り。こんなに素敵で幻想的な大広間の中央テーブルでアケルと竹輪料理を食べ始めていることがとてもおかしくて、内心くすりと笑ってしまう。
「ではわたくし、せめてものお詫びとして音楽を奏でさせていただきます」
 ケルビムは丁寧にお辞儀をすると、広間の中央奥にあるパイプオルガンに向かって歩いて行った椅子に腰を下ろすと、するりと音色を響かせ始める。
 食堂はひとつの大きなフロアだが、天井は四つの部位に分かれており、それぞれに大きな柱がいくつか設置されている。その柱に備えつけられるような形で大きなパイプオルガンが設置されていた。ーーパイプは長く伸びて、天井へと通じ、すずらんが頭を垂れるようにあちらこちらから突き出している。這わせられたパイプの音色はこの食堂の全域を渡って音響を醸すように設計されているようだ。本当にどうなっているのだろう。一音一音がエコーが掛かるように幻想的につむがれていく。溜め息が出そうな美しさだ。
 いつしかその音色に引き寄せられるように、多くの鳥たちが木々に留まっていたが、鳥たちでさえが囀りを忘れ、パイプオルガンの奏でに聴き入っている。音色が食事に花を咲かせるように、咲いている花々の色合いが映えて感じられる。
 鳥をも魅入らせる音色の中、アケルは夢中で竹輪を食べていた。そんな様子をいじらしく思いながら、時間がとても充実したものに感じていた。
 素直で無邪気なアケルに、一見完璧で人を寄せつけそうにないが、どこかぬけているケルビム。変な組み合わせだけど、なんだかふたりといるとすごくリラックスできる。
 食事が終わってからもケルビムはパイプオルガンを奏で続けた。心地好い音色はいつしか子守唄のように食堂全体を優しく包み込んでいく。この空間にいるものたちーー植物やテーブル、椅子などに至るまでーーすべてが耳を澄まし、音たちに聴き入っているようだった。気づけば、私はアケルを膝に乗せたまま、ともに眠りこんでいた………。

     †

 私の肩をケルビムが揺すり起こした。 
「あっ、ごめん、いつの間にか寝てしまったのね……」
「はい、おふたりともあまりにも気持ちよさそうでしたので、しばらくそのままにしておきました」
 ぼんやりと起き上がると、身体の上に薄いピンクのガーゼケットが掛けられていた。とても柔らかく、肌触りがいい。アケルはまだ眠そうに、ゴニョゴニョとひとりごとを言って目をこすっていた。
 ようやく意識がはっきりしてくると、周囲の様子が変化しているのに気づいた。植物の枝に付いていた蕾という蕾が花を咲かせ、食堂を彩っていたからだ。眠っている間に咲いたのだろう、今や咲き誇った花々が食堂全体を巨大なアーチのように艶やかに飾っている。
 アケルは食堂に入ってきたときと同じように、目も鼻も口もまん丸にして天井を眺めた。
 造り物のように色鮮やかな花々が木漏れ日に照らし出されてている。その幅広い色あいが、降り注ぐ光の筋を跳ね返して煌かせ、さらに幻想的な世界を作り出している。
 その光景に溶かされるように魅入ってしまう。時間を忘れる。惚けるというのはこういうことだーーそうしみじみと感じた。
「そろそろお目覚めかと思い、お茶を淹れておきました」
 ガラスポットの中に青いお茶が淹れられていた。マローブルーの花だ。紫とも青とも見紛う、美しい花。
「……そう言えば、アケルをオーナーさんのところに連れていかなきゃいけないんだったよね」
「左様でございます。オーナー様はアケル様を首をながーくしてお待ちでございます」
 ケルビムが答えると、その言葉にアケルが反応した。
「おーなーさんはキリンみたいなの?」
「え、アケルはオーナーさんに会ったことがないの?」
「うん!」アケルは元気よく答える。どういうことなのだろう、疑問に思っていると、ケルビムが説明した。
「なにぶん、随分と昔のことですからね。アケル様が覚えていらっしゃらないのも無理はありません」
 デザインから施工まで一人でするような有能な建築家なら忙しいのもわかるけれど、会ったこともないなんて特別な事情でもあるのだろうか……。
「で、オーナーさんは今どこにいるの?」
「オーナー様は、当ホテル、本館にいらっしゃいます」
「じゃあ、さっそく本館に行こうか」と私が言うと、ケルビムがそれはできないと言い出した。
「ホテルエデンの本館へは、南館からしか行けないのでございます」
「そうなの? というか、今ここは何館なの?」
「今現在、千里様がいらっしゃるのは東館です。ホテルエデンは先ほどご説明申し上げたとおり、本館以外に東西南北にそれぞれ分館がございます。まずはここ東館から北館へ行き、そしてさらに西館を経由して南館へ行く方法しかございません」
 南館だけが本館とつながっている? 融通の利かない造りだが、それだけ本館は重要な場所なのかもしれない。オーナーの部屋があるということなら、警備上仕方ない部分もあるのかもしれない。
「わかったわ、じゃあ北館への入口はどこ?」
 とりあえず納得して訊ねると、またおかしな答えが返ってきた。
「今のところ北館への入口は見つかっておりません。千里様、アケル様がお昼寝をしている間にひととおり探してみたのですが、あちら側への入口はまだ閉ざされたままのようにございます」
 ケルビムは悪びれる様子もなく、きっぱりと言う。説明になってない。さすがにまどろっこしくなってきて、私はイラッとした。
「見つかっておりません? それってどういうこと? ちょっと、あなたここの総支配人なんでしょ? しっかりしてよ」
 アケルは私たちのやりとりを面白がってケラケラ笑い、私の真似をした。「なんでしょ? しっかりしてよ!」
「も、申し訳ございません。わたくし、もう一度探しにいって参りますのでしばらくお待ちください! あ! 千里様は、お茶をしっかりとお飲みくださいますように」
 ケルビムはそう言い残し、あたふたと食堂を後にした。
「まったく、どこか抜けてるわよね」
 私が腕組みし、去っていくケルビムの背中を横目で見ると、正面に立っていたアケルがまだ私の真似をしていた。
「わよね!」
 私たちふたりは顔を見合わせて、吹き出した。
 穏やかな時間が流れる。アケルは天井を見上げ、なおいっそう幻想的に煌めく無数の光の筋に心をときめかせていた。隣に腰を下ろし、アケルの見上げる景色を同じ目線で見つめて言った。
「本当にきれいだね」
「うん」
 アケルは、天井から差し込む光を食い入るように見つめていた。

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