見出し画像

「カノンの子守唄」第六話

第五章

復讐のらせん


 襲われて間もないその場所は、目で見てその惨劇がどれほどのものだったのか、容易にわかるほど悲惨だった。
 引き裂かれ、踏みにじられ、ボロボロになった幕屋の一部が、辺り一帯に散らばっていた。岩にはカニバルの爪あとがいくつも刻みこまれ、べったりと血のあとが残っている。
 ノアは立ちすくんで思わず顔を背けた。タテガミはその場にかがみこむと、そのするどい臭気に耐えられなかったのか、うげっと吐いた。
「ひどい……」
 ノアが思わず声をもらす。かみちぎられ、食い散らされた肉片や骨が散乱したままの状態で、いったいそれが体のどの部分だったのかと推測するのも難しいありさまだった。
 ネジ式が静かに前に出て、ノアとタテガミの視界をさえぎる。
 モヒがただひとり、かわいた唇をきつくかみしめて、ゆっくり前へ進んでいった。
 そして幕屋あとのほぼ中央に立つと、片膝をついて地面に捨て置かれていた布地の一部を手に取って額に近づける。
「必ず――」
 モヒは、誰ともなしに誓いの言葉をささやいた。
「仇はとるからね……」
 モヒの声が、幕屋あとを停滞する生ぬるい風のように吹いた。その声を聞いて、ノアはたまらなく苦しくなった。その意味とは裏腹に、なぜかとてもやさしく聞こえたからだ。
 いったいどうして……。ノアは、倒れてしまいそうになる気持ちに逆らって、二本の足で大地を踏みしめた。
 モヒは、ぼんやりと定まらない視点で宙を見ている。目の奥に、深い悲しみの色が浮かんでいる。モヒはまるでその悲しみをぬりつぶそうとでもするように、目の前に広がる光景をだまって目に焼きつけていた。
「このままにはしておけません。亡骸を埋めましょう」
 ネジ式の言うままに、タテガミが辺りの亡骸を拾い集める。モヒは長いことその場に膝をついたまま一点を注視して動かなかったが、ノアたちが残骸を丁寧に集めるのを見て、自らも立ちあがるとひとつひとつ大切に拾いはじめた。
 亡骸を一か所に集めると、その大きな岩の傍らに埋めた。
 新しい村の礎となるはずだったその岩が、今は墓石となり標を刻んでいる。カニバルの爪あとが残るその広い岩肌は、傾く夕日に赤く染まっていた。
 モヒはいつまでも墓石の前に立ちつくし、動かなかった。その姿が、墓標とともに焼かれて赤く交じり合うかのように見える。でもこの場所は、数日前にはカニバルに襲われた場所――タテガミは不安になった。
「なあ、大丈夫かな? カニバルのやつら、また襲ってきたりしないよな?」
「とどまっていては危険です」
 ネジ式の言葉が、ノアとタテガミの不安をあおる。
「そうよね……でも……」
 モヒをあのままにはしておけない。今夜はここにとどまるしかない。
「仕方ありませんね。少しでも目立たないように、岩の上へ登りましょう。私はここで、見張っておきます」
 ネジ式が岩の下で見張りをする。モヒはまだ立ちつくしたままだ。ノアとタテガミは岩の上によじ登り、星をながめて寝転んだ。無数にかがやく星が手を伸ばせば届きそうだ。
「なぁ、モヒはやっぱりカニバルを許さないのかな?」
 寝転がりながらタテガミがつぶやいた。
「当たり前じゃない。だって家族を殺されて食べられたのよ」
 なぜそんなわかりきったことを聞くんだろう。ノアは、もし自分がモヒの立場だったら、と常に考えていた。自分だったら、大好きな家族を殺したカニバルを絶対に許せない。
「なら、昼間殺して食べたグースーの親は、いつかおいらたちを殺しにくるのかな……」
 そうつぶやいて、タテガミは眠りに落ちた。その言葉に、ノアはいつまでもとらわれてしまった。今まで命をつなぐために食べてきたグースーに、そんな感情を持ったことなんて一度もなかったからだ。もし、自分がグースーの立場だったら?
 家畜としてグースーを育て、誰かがグースーを処理し、村人に行き渡るように分配されていた。そしてそれを当然のように食べた。村の大人の誰かが殺したグースーの肉で命をつなぐ子どもの自分。
 もし、自分がカニバルの子どもだったら?
 どんなに考えても答えは出ない。タテガミの言葉が心にまとわりついて、ひどくモヤモヤとする。結局その夜はほとんど眠れなかった。
 岩場の上にまぶしい朝日が差してノアは目を覚ました。
 下へおりると、ネジ式が朝食の用意をしていた。木の実に果実、そして昨日狩ったグースーの肉だ。タテガミはすでに起きていて、もりもりとおいしそうにネジ式が焼いた肉を食べていたが、ノアは今はグースーの肉だけは食べる気になれなかった。
「ノアさん、どうかしましたか? グースーの肉はお口に合わなかったですか?」
「ねぇ、モヒはやっぱりカニバルを許せずに、親や仲間の仇をとるつもりかしら?」
「許せないにしても、許せるにしても、私は彼に復讐に生きてほしくありません」
『復讐に生きてほしくない』ネジ式がそう言うのを聞いて、ノアは心を決めた。
「モヒを今、ひとりにしないほうがいいと思う」
「私も同じ考えです。なんとしても、彼に我々と行動をともにしてもらいましょう」
「じゃあさっそくモヒを旅に誘わなきゃな!」
 モヒは一睡もしていなかった。ノアは、岩場の前でひとりたたずむモヒの元へ、朝食の残りを持って近づいていく。
「モヒ、一緒に〝ノア〟へ行きましょ」
 モヒは岩をまっすぐ見つめたまま、ふり返ることもなく答えた。
「おれにはやらなくちゃいけないことがある、悪いがおまえたちとは行けない」
「気持ちはわかるよ。でも今、ひとりで立ち向かっても、相手は群れで行動してるんだ。きっと勝ち目なんてないよ」
「勝ち目? 死んだって構うもんか! おれは仇をうつって決めたんだ!」
 今にも泣き出しそうなモヒの声が辺りにひびいた。
 そのときだった――どこからか、叫ぶような、奇妙な雄叫びが聞こえはじめた。それはまるで、相手に自分の居場所を知らせる合図にも思える。
 その声を聞いた瞬間にモヒがおびえ出した。
「あいつらだ!」その場に緊張が走る。
「声の大きさからして、距離はまだあるようです。今のうちに逃げましょう!」
 残りの朝食を墓石の前に供えると、すばやく身支度を整えて草原を進もうとしたが、ふり返るとそこにモヒの姿がない。
「モヒは!?」
「まさかカニバルに向かっていったんじゃ?」
「大変です! 急いで追いかけましょう!」
 不気味な叫び声が行く手にこだましている。進んでいくと、草原の草はやがて自分たちの背ほどの高さになっていた。地面は少しぬかるんでいるのか、とても走りづらい。
「モヒー!」
 タテガミが名前を叫ぶと、そのときカニバルの叫び声がぴたっと鳴り止んだ。
「だめよ! 叫んだらこっちの居場所を向こうに教えるようなものだわ!」
 ノアに言われて、ようやく気づいたタテガミはばつの悪そうな顔をした。
 カニバルの叫び声は鳴り止んでしまったが、まっすぐ声がしていた方向を目指し進んでいくと、いつの間にか辺りを木でおおわれた林のような場所に入りこんでいた。そのとたんに異臭が鼻につく。不愉快な臭いが体にまとわりついてくる。
「なんだ? この臭いは?」
「ひょっとして殺された人たちの腐敗臭なんじゃ?」
「わかりませんが地面がぬかるんでいます。ガスを含んでいるようですが……とにかくモヒさんを探しましょう」
 辺りの土が黒くどろどろとしていた。辺りの木や草があちこち枯れている。
 ネジ式は、地面の土のサンプルを少量とって、おなかのふたを開け中へ放りこんだ。探している間に解析するつもりだった。
 林の中を固まって動きながらモヒを探していると、突然近くからカニバルの悲鳴があがった。声を頼りに追いかける。モヒが復讐を誓っているなら、この悲鳴はモヒによるものだと思ったからだ。
「あっちだ!」
 背の高い茂みの草をかき分けて進むと、小高い丘が目の前に現れた。丘の上では今まさに武器をふりかざしたモヒが、座りこむカニバルにその腕をふりおろすところだった。
「モヒ! やめて!」
 ノアの呼び声にも動じることなく、モヒはふりかざした武器を激しく相手に打ちつけた。激しく打ちつけられたカニバルはもがき、けたたましい叫び声をその場にひびかせながら、のたうち回っている。
 その前で立つモヒは肩で大きく呼吸をしながらも、小刻みにふるえてもいた。
「よくも、父さんを! 母さんを! 仲間を!」
 声をふるわせモヒが叫ぶ。怒りに満ちてふるえているというよりも、まるでおびえてふるえているようだった。木刀をさらにきつくにぎりしめ、両腕を大きく上へふりかぶる。
 ノアはモヒを止めに入ろうとかけ出すがとても間に合わない。タテガミがノアより一瞬早く飛び出すと、モヒの体を後ろから取りおさえた。
「はなせ! 何するんだ! おれは両親の仇をとるんだ!」
 そう叫びながらモヒは、タテガミの腕にかみついた。モヒのするどい上向きの牙がタテガミの肉につきささる。真っ赤な血が流れ出した。
「絶対にはなさないからな! 復讐なんかさせないって、さっきみんなで誓ったんだ!」
 痛みに顔をゆがませながらも、タテガミはモヒをはなそうとしなかった。
 すぐそこには、のたうち回るカニバルが倒れている。
「はなせ! おまえに何がわかるんだ! 何も失ってないおまえに!」
 ふりほどこうともモヒが暴れる。ノアとネジ式もかけ寄り、モヒの体をおさえる。モヒの背中の毛が、威嚇するように拒絶するように、逆立っていた。
「おいらにはわからないよ! でもこうしてかまれたら痛いのはわかるし、きっとおまえの父ちゃんも母ちゃんもおまえに復讐してほしくて、おまえを生かしたんじゃない!」
 タテガミの切り裂かれた腕から真っ赤な血が流れている。ふいに全力で抵抗していたモヒの力がぬけ、木刀を落とした。モヒは抵抗するのを止めていた。タテガミが叫んだ言葉でモヒは止まったのだ。
 次の瞬間、地面でもだえていたカニバルが、甲高い声で笑いはじめた。
「ど、どうして笑ってるんだ!?」
 あまりの異様な光景に、みんなじりじりと後ずさった。笑い声が収まったかと思うと、また苦痛の叫び声をあげはじめる。
「な、何なんだ? 狂ってる!?」
 カニバルの奇っ怪な行動に、みんなは動けなくなった。カニバルの視点は定まらず、ブツブツと何かをつぶやいては、突然甲高い声で笑いはじめたり、苦痛の叫び声をあげたりをくり返す。一向に襲いかかる気配を見せない。とにかくぞっとするほど気味が悪い。
「い、今のうちにここから立ち去ろう」
「いや! だめだ!」
 一度抵抗をやめておとなしくなっていたモヒが、去ろうと言われてまた暴れはじめた。落とした木刀を拾いあげ、カニバルに向かってふりかざす。タテガミがその右腕に抱き着くようにしてその動きをとめ、暴れるモヒを引っ張った。ノアもモヒの体にしがみつく。みんなは暴れるモヒを引っ張り、丘を転がりおりるようにその場からはなれた。
 丘の上のカニバルは叫び続けたままだ。追ってくる気配はない。ぐずるモヒを引きずりながら林の中を走っていくと、ネジ式が突然その足を止めた。
 彼らの目の前に群れのボスがいた。ひときわ大きなカニバルが、別のカニバルの頭をつかんで引きずりながら歩いていたのだ。
 わしづかみにされたカニバルは、ひきつるような高い笑い声をあげている。先ほどのカニバルと同じだ。よだれを垂らして、その視点は定まっていない。
 群れのボスであるカニバルは、ノアたちに気づくとその牙をむき出した。真っ赤な瞳の瞳孔は大きく開かれ、低い唸り声が空気をふるわせる。背筋が凍るほどの緊張がその場に走った。身構えるひまもない。
 カニバルは仲間を呼ぶような雄叫びをあげた。その声に呼応するかのようにあちこちでカニバルの雄叫びがあがる。
 群れのボスのカニバルが、わしづかみにしていた別のカニバルをこちらに向かって投げつけるのを間一髪でかわしたが、みんなは体勢をくずし倒れこんだ。その圧倒的な力と威圧感に、身動きひとつとれない。
 このままでは、殺される! 極度の緊張と恐怖が支配する。その状況に絶望を感じた矢先、群れのボスのカニバルがいよいよ飛びかかってきた。その真っ赤な獣の目は、まっすぐに、傷を負って弱っているタテガミに向けられていた。
 次の瞬間、ネジ式が大音量で警告音を鳴らし、頭を回転させながら目を赤くチカチカと点滅させた。それにおどろいた群れのボスは身の危険を感じたのか、タテガミを襲いかけた体を強引に止めると、ノアたちから少し距離をとって構える。
 一瞬の出来事で、何が起こったのかわからなかった。
「さあ! 今のうちに!」
 ネジ式の声ではっと我に返る。心臓の音だけがばくばくと鳴っている。全速力で林の中をかけぬけていく。ふり返る余裕もない。どこに誰がいるのか、バラバラにはぐれてしまっているのかもわからない。自分からもれる激しい呼吸しか聞こえない……。
「立ち止まらず逃げるんだ!」
 タテガミの声がした。ノアたちの後ろからは群れのボスのカニバルの咆哮が迫っている。
 ノアは木の根に足を取られ、目の前にある下り坂を転げ落ちた。ノアの目に、地面と空がめまぐるしく交互に映る。痛みを感じる余裕なんてノアにはなかった。『殺される』『死にたくない』その感情だけが、かわるがわる頭に浮かぶ。長い下り坂を転げ落ち、そのままものすごい衝撃で木にたたきつけられる。
「うっ!」
 転げ落ちた先には、ものすごい異臭がただよっていた。体の痛みよりも、その激しい臭いで、息も吸いこむことができないほどに苦しい。手に黒い泥がぬめっとついている。ひりひりと焼けるように痛い。目の前には沼が広がっていた。沼底からはボコボコとガスが浮かび、水面で水泡を弾けさせている。
「ノアー!」
 呼ぶ声に後ろをふり返ると、タテガミが下り坂をすべりこんできた。ネジ式とモヒも後から続いてくる。ノアはみんなの顔を見て心底ほっとした。たった数分だったが、逃げるのに必死になり、みんながどの方角に逃げたのかも見失い、生き延びることに精一杯だったノアにとって、こうしてふたたび集まれたことが涙が出るほどうれしかった。
「大丈夫か? ノア!」
「それにしてもひどい臭いだ」
 沼の周辺では、石が白く腐食して煙を立てている。
「かなり腐食性の高い毒の沼のようです。絶対に足を踏み入れないでください。この濃度ではおそらく溶けてしまいます」
 ネジ式が採取した土のサンプルには、腐食性の高い酸が検出されていた。ここが発生元のようだ。走る途中で、ネジ式はその酸度に気づいて急いでサンプルを捨てた。長い時間解析していては、自分の体まで腐食してしまう。
 ネジ式が、ノアの手を見て急いで辺りから葉をちぎるとそれをぬぐった。
「あとで洗いましょう」
 どちらに行けばいいのだろう。転がり落ちた坂道を登るのは危険だ。カニバルの叫び声が、沼に向かって近づいてくる。とりあえずその場から距離をとると沼沿いに走り、林の中へと続く道の大きな木の後ろへと身をひそめた。
 真っ白な悪魔の真っ黒な咆哮が近づいてくる。いったい何人いるのか? 叫び声があちこちから反響している。いつの間にかカニバルの群れに囲まれたような気持ちになる。
 こだまする林の中の叫び声は、見えないカニバルの数を無数に感じさせた。やっとの思いで群れのボスから逃げたと思ったのに、進んで袋小路の中に飛びこんだ気分だった。真っ白な悪魔が、すぐそこまで迫っている。
「囲まれたのか!?」
 タテガミは腕から血を流したまま、青ざめていた。モヒもふるえている。いぜんとして辺りを警戒していたが、極度の緊張からかびくびくとしている。
 ネジ式が辺りのつる植物をちぎって、タテガミの腕に葉を当てると、それを巻きつけて止血しながら言った。
「声がこだましているんです。近くに感じるでしょうがまだ少し距離はあると思います」
 ノアはガタガタとふるえ、涙を流していた。
「落ち着いてください。とにかく今は無事にここを出なくては……」
 ネジ式の言葉にノアがびくっと反応する。『落ち着け、ノア』何度も聞かされたその言葉を思い出す。父や祖父がノアに語った〝教え〟が思い出される。
『ノア、我らのような非力で爪も牙も持たない種族が、なぜ今まで生き残ってこれたのか、考えたことはあるかの?』
 村では当たり前のように、姿かたちの違う者が自分を助けてくれた。非力な自分は、助けられる側の種族だと思っていた。ノアはそれを適材適所だと思い込んでいた。『我らはのぅ非力だが、ピンチのときでも落ち着いて考えることのできる種族じゃ。知恵を使って、みんなを助けることが我らの定めなのじゃ。ピンチに陥ったとき、わしはいつも自分に語りかける。落ち着け、と。わしらの役目、定めをつらぬくんじゃ』
 初めて、〝教え〟の意味を知った気がしたノアの涙は止まっていた。
「ネジ式、さっき、溶けるって言ったよね?」
 ノアが何かを思いつく。それがなにか、ネジ式にはすぐわかった。「ああ! はい!」
「あそこに誘いこめないかしら?」
「わかりませんが、カニバルがあの沼のことをもしすでに知っていたら、誘いこむのは難しいかもしれません」
「そっか。じゃあ棒の先に皮布を巻きつけて、そこに沼の水を浸したらどうかしら?」
 ノアは腰に下げた袋から、グースーの皮を取り出した。
「なるほど! ではこういうのはどうでしょう」
 ネジ式が自分の考えをつけ足す。みんなはその作戦を実行するため素早く材料を集めた。
「ノア、ネジ式、頼むぞ。時間かせいでくれ」
 タテガミとモヒが集めた材料を持って沼の方へ戻っていく。
「まかせて。音を使っておどらせてやる!」
 さあ来い! ノアは呼吸を整えると、手に骨笛をにぎりしめグルグルと回し、ボォォォンと波打つ音を立てた。
 カニバルの叫び声がほど近い場所でひびく。木の裏にかくれカニバルを待ち受ける。
 骨笛の音に反応し、すぐにひときわ大きなカニバルが茂みの中から現れた。仲間を呼ぶように高く吠えた後、ノアのかくれる木へと茂みをかき分けながらやってくる。
 ノアのかくれる木まであと少し……今度はネジ式の警告音が別の場所から鳴りひびいた。
 ふたりがそれぞれに鳴らす音で、カニバルを翻弄する作戦だった。
 カニバルの数が少しずつ増えていく。今はネジ式の警告音に向かって、三人のカニバルが獲物を探しはじめた。その隙にノアは場所を変えてまたかくれた。
 ネジ式が警告音を止める。それを合図にノアがふたたび骨笛を鳴らす。
 追いかけて行った先で音が消え、ふたたび違う場所から鳴りはじめる音に、カニバルはひどくいらだって、音に向かって何度も威嚇の叫び声をあげた。
 ノアとネジ式がそれをくり返した。音に敏感なカニバルは、新しく鳴る音にまっすぐ向かう。少しずつ誘いこまなければならない。タテガミとモヒが待ち受ける沼の方へと。
 ネジ式は林の中を走りながら警告音を発していた。そうすることにより、音が色々な角度で反響し、居場所がわかりづらくなるからだ。しかし、普段縄張りとしているこの林の中で、徐々にカニバルは、ふたりの位置を正確にとらえはじめた。沼はもうすぐそこだ。
 走ってくるノアとネジ式を見て、
「いつでもいいぞ!」
 とタテガミが木の上から合図を出した。ノアが、ふたりがひそむ木の位置を確認する。その下を、警告音を鳴らすネジ式が走りぬけた。
 タテガミとモヒは、木の上で手に罠を持って待っていた。罠は、したたるほどたっぷりと沼の水を染みこませたグースーの大きな皮を、細く裂いた皮で編んだ縄にくくりつけたものだ。皮からはボタボタと沼の水が垂れている。皮もすでに溶けはじめ、嫌な臭いを放っていた。この罠も、そう長くはもたない。
 音に翻弄され、完全に頭にきていたカニバルたちは、ひとかたまりになって、体に枝葉が当たることなど気にせず、ただネジ式をまっすぐに追いかけた。
「今よ!」
 ノアの合図でタテガミとモヒが罠を落とした。ふたりの手からはなされた罠が、カニバルの上におおいかぶさる。
 大地がふるえるほどの悲鳴と、言葉では表現しがたい異臭が辺りにただよった。
 カニバルの白い毛に、びちゃびちゃと沼の水がつき煙をあげていく。皮のおおいをあわてて取り去ってもまだ、カニバルたちはその場で転げ回っていた。さらに辺りに沼の水が飛び散り、目に入ったカニバルたちは視界を失った。
「やった! 今のうちに逃げよう!」
 全速力で林をかけぬけ、なんとか追っ手をふり切り、休むことなく平原を進む。耳をすませば、今もまだカニバルが追ってくる声が聞こえる気がして、おびえた気持ちになる。あの真っ白な悪魔の声が耳にこびりついてはなれなかった。
 平原を流れる川を渡ったところでようやく一息ついた。
「タテガミ、今のうちに傷の手当てをしよう」
 ノアがタテガミの止血を外す。血は止まっているようだったが、傷口は深そうだった。モヒは責任を感じて、ノアとタテガミのまわりをウロウロとしていた。そんなモヒの様子を見ていたネジ式は、モヒに近寄って耳元でつぶやく。
「ほら、ボーっとしていないで川の水をくんできて、何か手伝えることはないか、聞いてはどうですか? 最後にタテガミさんにあやまるのを忘れずに」
 タテガミの傷口を洗い流すために、ノアが川へ水をくみに行こうとすると、モヒが食事用の小さな木の器をにぎりしめて、ノアとタテガミの前につっ立っていた。
「水、くんできた」
 ぼそっとつぶやくモヒを見て、ノアとタテガミはあっけに取られた。
「あ、ありがとう。でも、これじゃ足りないわ。この革袋に水をくんで来てくれる?」
 モヒの顔が真っ赤になる。
「ワハハ! ありがとな、モヒ! でもそれっぽっちの水で傷口を洗えるほど、おまえの口は小さくないからな!」
「ち、違うんだ! ネジ式が水をくんでこいって言うからおれは!」
 はずかしそうに革の袋をかつぐと、モヒは川へと水をくみに戻っていった。
 タテガミはおなかを抱えてしばらく笑い続けた。ノアやネジ式もつられて笑う。カニバルの追跡をふり切って、その緊張の糸がほぐれた三人――モヒをのぞいて――は、今ようやく大声で笑った。
 ノアは薬草をすりつぶし、タテガミの傷にあてるとオリーブの油をぬった大きな葉で傷口をおおった。
「油がもうすぐなくなるわ」
「こんなに傷だらけになるなんて思ってなかったもんな!」
 タテガミは明るく笑って鬣をゆらした。モヒはそんなタテガミを見ながら、居心地悪そうにしていた。辺りはいつの間にか真っ暗になっていた。
 念のため今夜も火は起こさずに、その場で夜が過ぎ去るのを待った。
 暗闇の中で食事をしていると、しばらくだまりこんでいたモヒが、
「……悪かったな、タテガミ。みんなもありがとう」
 と照れくさそうに言い捨てた。
「おれのせいで遠回りさせてしまったから、ノアまでは付き合うよ……。その後おれひとりで仇をうちにいく」
 タテガミが真剣な目でモヒを見る。
「おまえ、あんなにひどい目にあったのに、まだそんなこと言ってるのか?」
「おまえたちにはわからないさ! 目の前で両親や仲間を殺された無念は!」
 ノアは何も言えずにだまって聞いていた。モヒの傷あとが体中に痛々しく残っている。
「復讐は、さらなる復讐しか生みません。その復讐の輪は次第に広がっていき、やがて生き物すべてを滅ぼしかねないのです」
 すべてを滅ぼす? まるで実際に経験したことがあるような口ぶりに、ノアもタテガミも背筋が凍ったが、モヒは耳を貸さなかった。
「生き物すべての話なんて関係ない! おれは両親や仲間の仇をうちたいだけだ!」
「もし、あなたがカニバルを殺せたとして、そのカニバルの子どもが親を殺された復讐に来たら、あなたはどうするつもりですか?」
 それは、あの日岩の上でタテガミがノアにつぶやいた問いと同じものだった。『グースーの親は、いつかおいらたちを殺しにくるのかな……』ノアには答えが出せなかった。果たしてモヒは、どう答えるのだろう……。
「そんなの関係ない! 先に仕かけてきたのは向こうだ!」
 それは、あまりにもさびしい答えだった。もし、それが唯一の選択なのだとしたら、殺し合いは終わらない。ネジ式の言う通り、復讐の輪はやがて広がっていき、そしてこの星の生き物すべてを飲みこんでしまう――ノアもタテガミもそう思った。
 モヒは、少しはなれてひとりで食事をした。その背中はとてもさびしそうだった。味方なんて誰ひとりいない――モヒの背中はそんな孤独を感じさせた。愛する両親と仲間を奪われたモヒが、激しくカニバルを憎む気持ちは、もちろんみんなにも理解できた。
 しかし殺されたから殺すというのでは、ネジ式が言う〝復讐の輪〟そのものだ。モヒが果たそうとする復讐は、またさらなる復讐を産んでしまう。そのらせんの軌道は終わることなく、グルグルと弧を描き続ける。
 しかし、たとえモヒが考えを改めて復讐を捨てたとしても、ノアたちがグースーの命を奪い、その命で自分たちの今日の命をつなぐのと同じように、カニバルもまたノアたちと同じように、なんらかの命をとってその命をつないでいくのだ。
 結局出口は見えないまま、心にモヤを残して、その日の夜は通り過ぎていった。

#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

ありがとうございます!!!!!!がんばります!!!