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医療側の検査の線引きとは

「謝らなければならないことがあります。細かい検査があったのにペーパードライバーだし、お仕事もされてないということなので検査を省略してしまいました」
先日病院に1週間ほど入院してた時、退院前夜に回復期で担当だった言語聴覚士の方に伝えられました。

不安な日々

回復期リハを「日常生活には支障はない」と言われて退院後私はさまざまな謎の状態に襲われました。
くも膜下前は3口コンロを駆使して料理ができていたのに1つのコンロにしか集中できなくなってしまったり、レシピを見ながら料理をしてもすぐに忘れてしまったり、電話しながらのメモが取れなくなったり。
言葉も思うように出てこないことがあり、大人数での会話になるとわかったふりをしながら会話を進める日々。
夫に話してみたものの「会話していても以前と変わらないよ」「なんか忘れちゃうのは俺もよくあること、老化でしょ」と取り合ってもらえない。
クモ膜下出血の上にさらに脳の病気になったのではないかと不安な日々を送っていました。

実は私は10数年「音訳」ボランティアに携わってきました。
視覚に障害のある方に雑誌や広報、本などを読んで音声としてお届けするそんなボランティア団体に所属していました。
それはただ読んで録音するというものではなく半年の研修を経て合格した人が会に所属でき、さらにそこから厳しい指導を受けて初めて読ませてもらえるという思っていたよりずっと厳しい世界でした。
一人での作業というよりグループで一つの雑誌などを完成させるのはプレッシャーもありますが、誰かの役に立てている、そして社会と繋がれている思いがもて、専業主婦の私にとってはアイデンティティでありライフワークでした。なので回復期リハでは退院後も音訳に差し支えがないようにと言語聴覚士さんのリハビリを入れてもらっていました。

そんな音訳に退院後復帰してみたら録音が全然進まなくなっていました。
リハビリで文章を読んでいた時には全く支障がなかったのに…
今思えばリハビリでやっていたのは音読でした。療法士さんと1対1で、与えられた文章を読むだけのものでした。でも音訳は全く異なるもので、アクセントやピッチ、間、などに気をつけつつパソコンを操作しながら録音します。そういったマルチタスクを要求される作業になると途端に私の頭はパンクしてしまうのです。

高次脳機能障害?

何かが明らかにおかしいとわかったのは別の病気で大学病院を受診した時でした。
大勢の人が会話し音楽とアナウンスが流れる中、受付の人に矢継ぎ早に保険証を含め5点ほどの提出物を求められ私の頭はパニックになりました。
手も足も震え何もできない状態になってしまいました。幸い夫が付き添ってくれていたためその後の診察までなんとかたどり着けました。そして夫もその様子を見てようやく理解してくれたような気がします。
実はそれまでも夫は私がスローペースになっていたことには気がついていたといいます。でも急性期でも回復期でも「高次脳機能障害はなさそうだ」と聞かされており、過度な不安を与えたくないという思いから気のせいじゃないかという言い方であまり取り合ってこないようにしてきたと言われました。

「高次脳機能障害」私にとっては初めて耳にする言葉でした。
急性期ではくも膜下出血の後遺症で目が見えなくなっていたのでほとんどの説明などは私ではなく夫にされていました。おそらく記憶自体も曖昧だったためもしかしたら説明があったのかもしれませんが何もわからない状態だったというのが正直なところです。
意識が戻ったら足に麻痺があり目が見えない、それだけで私の頭はいっぱいでした。

検査が省略された理由

回復期に移り簡単なテストのようなものはありました。いわゆる認知症のテストのようなものだったようで特に問題はないと言われました。
そして「車の運転もしないし、無職なのでそれ以上の検査はいらないだろう」それが回復期で本人には知らされずに出された結論だったようです。

私の頭はもうぐるぐるしました。
「専業主婦だから無職だから、そんな理由でテストを省略されてしまったのか?」
もちろんテストを受けたからよくなるというものではないことは重々承知をしています。でも、もし「高次脳機能障害というものがあり、それに該当するかもしれない」とわかっていたらあんなに不安にならずに済んだのではないだろうか。

正直聞かなければよかったと思っています。知らないままであればこんなに心がざわつくこともなかったであろうと。
仕事をしているかどうかそこが基準なのですか?
昨今の「専業主婦問題」のように騒ぎ立てるつもりはありません。
でも、仕事をしているいないに関わらず、お金を稼いでいるいないに関わらず、各々に大切にしている人生というのはあるのではないでしょうか。

私自身が専業主婦であることに負い目のようなものを感じていたからこそのこのやるせなさなのかもしれません。けれど「お金を稼いでいるかどうか」その線引きは医療の側で必要なことなのでしょうか。
回復期リハ退院後の私の不安がそんなことのためにもたらされていたのだとしたらとせつなく、そしてお金を稼いでいないという自分がさらに無価値であるという烙印を押されたような気もちになりました。

ペーパードラーバーだし専業主婦だからそれ以上の細かいテストはいらないだろうという見解が、言語聴覚士さんだけの判断なのか、担当者グループでの話し合いなのか、はたまた病院としてのスタンスなのかその辺りのことは全くわかりません。
が、しかしテストを受けるかどうかの選択権が患者側にないのはおかしいのではないでしょうか?そしてその基準が有職・無職であるということは全くもって理由にならないと思います。

退院後のフォローも

そしてもしもですが、人でが足りないなどなど不可抗力の理由が万一あったにしても、脳疾患や事故等で脳障害を負った方に退院時に「退院後こういう症状などが出たら病院にご来院ください。こういうところにご相談ください」などのパンフレットを渡すなどできないものでしょうか?
日常生活に支障はないと言われ世間に出ていろんな支障にぶつかり悩み苦しんでいる人がたくさんいると思います。そして私もその一人です。
医療関係者が知っている常識は決して一般の人の常識ではありません。
そのことも認識しつつ、このブログがいったいどれだけの人の目に止まるのかはわかりませんが、今後少しでも医療の側が変わってくれることを切に願っています。