愛着障害
私には『絶対的な安心感』というものがかけていた。
確かに、人生において絶対なんてことは、無いのかもしれない。
だけど『愛着』の観点からしたら、そのふわふわとした形のない安心感は、とても重要で、それは大人になってからも繋がってくるということだ。
いわゆる『安全基地』を持っていたか、いなかったかが、とてもとても大切なことだと知ったから。
困ったとき、悲しいとき、苦しいとき、助けてほしいとき、そんなときに心から安心して頼れる存在がいたかどうかということだ。
今の私の苦しみの原点に、その『愛着』に問題があったと知ることが出来たから。
苦しんで、苦しんで、どうして私はこんな目にばかりあうのかって思っていた。
離婚してからお付き合いをしていた人がいた。
一緒にいるのに、なぜか寂しくてたまらなかった。
やっと、心から安心して、信頼して、そして何よりも暴言や暴力のない平和で幸せな時間だったはずなのに。
いつしか私は、その彼に捨てられないようにという行動ばかりをしていた。見捨てられるのが、怖くて仕方なかったんだ。
そして、そんな行動をしていた私は捨てられた。
必死で自分の居場所を作ってきたのに、必死で彼に尽くしたのに。
でも、それが間違った行動だったのに。
こうして、思い返していると『かわいそうな私』がたくさん見えてきた。
そんな、誰かに捨てられない為だけに生きてきた私。
そんな生き方しか知らなかった私。
かわいそうで仕方なくて。
だけど、それを知れた今、私が私を癒してあげなくちゃ。
人にもたれたくて仕方なくて、誰かに頼りたくて仕方なくて、誰か私を必要としてほしくて。
そんな愛着に問題があった私が、私なりに必死で生きてきたことをこうして残したかった。
いつかこれを読み返す日がきたときに、笑えてたらいいな。