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恋愛事情。25歳。

ハタチの失恋から立ち直れずにぐずぐずと恋をしていた25歳。
治りかけの傷口にナイフを突き立てるようにする恋は甘く切ないのだけれど、一番欲しいそこにはあなたは刺さらなくて、一番愛してくれた人を傷つけて自分も傷ついて、どうにもならないくらいの自分に優しいものはたった一つ。お酒だけ。
多分にもれず、そんな夜にお酒は優しくて、優しいお酒を探していたら、素敵なお店にたどり着いて、そこにいたのがあなたでした。
階段を登ると現れる大きな扉。
プシューという音とともに開く扉、見た目より軽く木肌が温かい。
BGMのない、照明は最小限で、等間隔に。話し声すら小さめに、と注意書きのあるオーセンティックなバー。
「いらっしゃいませ。」
カウンターの前から呼びかけてくれた声は、別珍の表面のように穏やかな聞き心地で限りなく弱った私の心に優しかった。

「お決まりになりましたか。」
抑えめの声がとるオーダーがもっと聞きたくて、季節のカクテルの説明をつい聞いてしまう。
今日珍しいお酒がきたんですよ、と嬉しそうに話題をくれるあなた。

みたことのないボトルのジンを二人で舐めたね。

決まってカウンターの奥に座って誰も話しかけないで、あなた以外は目に入らない、の姿勢を決めて、あなたの背景に並ぶたくさんのお酒の瓶を左から順番に飲み進めた。
あなたの味をどうにかして知りたくて。

オールバックに撫で付けられた髪、凛々しい眉、その下の目はろうそくのゆらめきを反射してとてもきれい。
ワイシャツにベストを着て、鍛えた体が仕舞われた立ち姿はどうにも美しくて、獰猛なドーベルマンのよう。私はずっとその歯を自分自身に突き立てられる願望を描いていた。

今考えると、そうして彼は女性から性的な目で見られることがすごく多く、傷ついていたのだと思う。推測にしか過ぎないけれども。

あなたの磨く曇りひとつないバカラで飲む、メタクサ。
甘い甘い香り、薄暗い灯りの中で一つ二つ言葉を交わす沈黙。
たまらなく甘美な香りと味と、それよりももっとたまらなく甘美だった二人で過ごす時間。

スパークリングワインを頼むと華奢なシャンパングラスが出てきて、細かい泡がキャンドルに揺れてきれいだった。

白ワインを頼むと少し大げさなサイズの箱にしまわれたワイングラスが。
箱を開けるときの嬉しそうなあなたの顔が印象的だった。

ウイスキーを頼むとストレートグラスとチェイサーを。並べた瓶のコルクの匂いを嗅がせてとせがむとくすりと笑って手渡してくれる。

ニコラシカを頼むと煌めくショットグラスに燃える赤色のブランデイにあからさまにめんどくさそうにあなたの切って支度をしてくれたレモンにグラニュー糖が。

レモンの皮を折り曲げて、果汁を霧のように飛ばしていたあなた。何倍にもお酒のおいしくなる魔法の手付きで。本当にお酒の妖精か何かだと思う瞬間だった。

私が閉店近くに来店すると、店を閉めてソファーで一緒に飲んだこと。
グラスにビールをこんもり注ぐのが好きなこと。
やり過ぎてこぼしちゃうんだよねと眉を歪めて笑ったこと。
二人の秘密のようで嬉しくなったっけ。
閉店後、抱き合ってキスをしたこと。
でも決してその先には進まなかったこと。

私はあなたを何も知ることができなかったけど、
私の好きなショコラもお酒もあなたは全部知っていた。
あなたが私のオーダーのために、
ナイフで私のための巨峰の皮に切れ目を入れて、十字に剥く時、私は密かに絶頂するのでは、とばかりに目が眩んでいた。
あなたが私の好みのお酒を覚えてくれることが、あなたに私のデータを蓄積してもらえることが嬉しかった。
もし戻れるのなら、いつだってまたカウンターの隅で読書したいと私の心は言っている。

いつだったか、自分の衝動に耐えきれず
あなたを誘いに胸の大きく開いた服で会いに行った。
あなたは私に触れると「これでは売春婦じゃない、こんな丸出しでどうしたの」と軽蔑を込めて微笑んだ。

あの時はわからなかったけど今思えば、戸惑いながらも最大限のコミュニケーションをくれていた。
私はいつも誘惑しかできなくて今でもそんな自分を嫌悪し続けている。

元気でいますか。
お酒は今も私と共にあります。
ということはあなたとも一緒にありますよね。
そう思って乾杯します。
あなたの教えてくれたお酒と共に。
私と交わってくれてありがとう。

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