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学校以外の安心できる場所

#学校へ行かないという選択



こんにちは!

子育てママに光を当てる

葉山おしゃれセラピスト、井川ともみです🌈


9月に入りました。
葉山の小学校は今日から二学期

長い長い夏休みが終わって
宿題と防災頭巾をもって
久しぶりに登校する日です。


が、
我が家はとりあえず今日は
学校へ行かないという選択
をして
私の癒しの旅へ
おちび子さんと一緒に出掛けてきました。


9月1日は


「子供の自死」
が一番多い日なんだそうです。。。

私はそんなことも
自分の子どもが学校になかなかなじめなくなるまで
全然知りませんでした。


我が家の上二人は
(現在高校3年生と高校1年生)
学校に行きたくない
とか言ったことなかったし

毎日給食が楽しみで
給食の献立を見てから学校へ行って
何回お替りしたかを笑顔で報告してくれるような人たちだったので

学校へ行けない
学校へ行きたくない
学校へ行きたいのにうまく行けない

なんて状況を考えてもみなかったのでした。


ちょうど次女が一年生になったときが
コロナの時で、
二カ月丸々休校
とか
いろいろそういう状況ではありましたが

そういうことだけではなくて

次女には
学校は最初から無理だったのだろうと感じています。

学校が、
というよりも

みんなと同じことをみんなと同じタイミングでやらなきゃいけない


というのが
無理なんだ、ということ

そのことに
幼稚園の時から氣がついていたのですが
もしかしたらお友達がたくさん増えて楽しく行けるかな~なんて

ちょっと楽観的に思ってみたりして(笑)


でも、そう簡単ではなかったですね~


思うに、もうごまかしがきかない時代なんです


なんとなくみんながやってるから
とか
みんなと同じにしとこうかな
とか
あんまりやりたくないけど目立つのもやだしやっとこうかな

とか!

本当に無理!!


自分に正直に
自分の本質で生きていく

ということは
人とは違う生き方になる、
ということで

それは
みんな違う人間なんだから当たり前の事なのに

どうしても日本の学校教育は

すごく頭の回転が速い子も
成長がゆっくりな子も
顕著に苦手なことがある子も
勉強がすごく好きでできすぎてしまう子も

みんな同じように
同じスピードで
同じことを学ばなくてはいけない

ということが
どう考えたっておかしい、ということ


みんなと同じがいい


それで安心できるという

これは日本人の氣質なのでしょうか?
それとも
日本社会の風潮なのでしょうか?

抜きん出るものをたたき
遅れているものを切り捨て

クローンのような人間を創り出す教育

のような氣がしてなりません。


エネルギー的に言うと
令和に近く生まれてきた子どもたちは
バリバリ昭和の私たちとは
明らかに違うエネルギーを持っていて

大正時代から変わっていない
30数人に先生が一人、
前に立って一方的に話して教えるだけ

という学びのスタイルは合わないのです。


時代が変わり
新人類がどんどん生まれているのだから
この状況は当然の事なのでしょう。


日本全体の教育が変わるのには
時間がかかります。

だからこそ、
マスクの事も含め
変わるまで待てない私は

学校以外の居場所
フリースクール
を探し続けてきたわけです


そうして

虐待で亡くなる子がいなくなりますように!
自ら死を選ぶような子どもたちがいなくなりますように!

今日は朝から重いエネルギーの中
ただただ
それを祈っていました。

学校ダメでも他にあるよ!


学校がすべてではない

居心地が悪い家がすべてではない

子どもに必要なのは
何があっても守られている、という安心感

それがあってこそ

自分のやりたいこと
自分の好きなことを
集中して
全うできるのです。


そしてその環境、
安心できる場所は
やっぱりママだと、私は、思うので

まずは自分
ママが元氣に
自分と繋がるところから

コツコツと

本当にコツコツとですが
発信し続けていきたいと思います。


今日という日を
みんな笑顔で過ごせていますように

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