肺炎と先祖のカルマ②
#自然療法と現代医学
こんにちは!
子育てママに光を当てる
葉山おしゃれセラピスト、井川ともみです🌈
昨日とは打って変わって
今日は朝から爽やかに晴れている葉山
湿度も低く
風が少し冷たく感じますが
日向はぽかぽかしています♪
晴れると嬉しいですね✨
洗濯物がカラリと乾くだけで
幸せです
笑
今朝、一番になみささんのこの記事を読み
「幸せ」について
少し考えました。
私の幸せな対する考え方は
なみささんの記事のコメント欄に
書かせていただきました♪
幸せって
どこかにあるものでも
誰かにしてもらうものでも
いつか到達するものでもなく
いま、ここに
この瞬間にあることに
氣がつくこと
だと思うのですよね〜
小さな小さな幸せを
たくさん積み上げていったら
毎日幸せで
幸せな人生だった〜!
と
死ねる氣がします
笑
死生観大事‼️
で
幸せと健康って似ていて
健康も
追い求めるものでも
いつかなるものでも
目指すものでも
なく
ただ、いま、この瞬間に
美味しくご飯が食べられて
たっぷり呼吸ができて
駅まで歩いて行ける
この自分の身体と心に氣がついていくこと
じゃないかと?
そもそも
ぐっすり眠れて美味しくご飯食べられる
だけで
健康じゃん❗️
と
それを、自分自身が感じることなんじゃないか、と
ふっと
思いました
「健康」は追い求めるものではない♪
さて、今日の記事はこちらから続いております。
もしよろしかったら
こちらもお読みくださると
嬉しいです✨
左肺が真っ白なレントゲン写真を見て
癌なのか、、
と
思いながら
トボトボ帰ってきた私
次の日紹介された湘南鎌倉総合病院へ
葉山からだと
バッチリ鎌倉の駅前と鶴岡八幡宮を通る
ルートのため
空いていて50分
混んでいたらゆうに1時間以上かかる、、
そして
紹介状あれど
きっと待つだろうことは覚悟の上
待ち時間は
フラフラしながらみなさんのnote を読んでました♪
久しぶりの大きな病院へ
自分がかかるのは
長女出産の時、以来15年ぶりかも?
そもそも私が自然療法を生活に取り入れて
学び始めたきっかけは
母の癌闘病です。
卵巣がんが寛解と言われてから
父との泥沼離婚でのストレスか
10年以上たってから
肺に転移した母
私と妹は
いろんな病院を調べ
通えそうな範囲で
呼吸器内科の有名な先生がいる病院を
選び
そこで治療をすることを選択するのですが
その有名な先生に診てもらったのは
初めの数回で
結局
手術をすることになった段階で
呼吸器外科へまわされ
手術が終わると
外科の先生はどこかへ行き
抗がん剤治療のために
腫瘍内科へまわされ
呼吸器内科の先生で選んだ病院なのに
いつの間にか
担当医がコロコロ変わり
エスカレーター式に
癌治療のスタンダードコースへ流されました
母は元来身体が強い方ではなかったので
結局
6クールやるはずの抗がん剤治療を
白血球が戻らず
体力もなくなり
これ以上やると抗がん剤で死ぬ
ということになり
4クール目で断念
すると
病院ではもうこれ以上できることがない
と匙を投げられ
退院させられることに。
しかもこの時に余命を宣告される、という、、
結局
母は抗がん剤治療の途中から
病院に任せていてはダメだ、と思い至り
自分でいろいろ調べて
保険が効かない癌治療をしているところを調べて
藁をもすがる氣持ちで
遠くまで診察へ行ったり
玄米菜食
ホメオパシー
氣功
砂浴
玉川温泉
断食
メシマコブ
などなど
あらゆる
「癌に効く」と
言われるものを調べて
あれこれやっていました。
スマホがない時代に
本当にすごい執念で調べまくっていました。
そんなこんなを
いろいろやって
身体中に転移しながらも
最後まで
好きなものを食べて
家で好きなように過ごして
海が見えるマンションへ引っ越しまでして
やりたいことをやり切って
生き切った母
最後に救急車で運ばれた病院で
医者にびっくりされたけど
痛みもほとんどなく
脳に転移していた腫瘍からの出血で
苦しむことなく
亡くなりました。
私は
途中から「癌は治らないかもしれない」
と
なんとなく思っていました。
でも
「死ぬ」
とは
これっぽっちも思っていなくて
余命半年って言われていたのに
全く
信じていなかった
だから
私にとって母の死は「突然」でした。
離婚してようやくこれから第二の人生だ、
という時だったのに
私が母に負担をかけたせいだろうか
違う先生と違う病院を
選んでいたら
もっと生きていた、だろうか
私は
母が亡くなってから自分を責めまくりました。
母の癌が再発したのは
自分のせい
くらいに
私のせいで母が亡くなった
くらいに、、
母が病院でいろんな科を転々とし
最後には
もうできることがない、と見放された
(と、私は思っている)
とき
病院って、医者って
病氣を治すところじゃないの?
病氣の人を、治すところじゃないの??!
癌治療って癌を治すんじゃないの?
治っていない人を見放すって、どういうこと?
どうしても拭えない
病院、医者、現代医学への不信感が
母の死と共に
私の中に植え付けられてしまったのです。
自然療法も、もちろん完璧ではありません。
代替医療も東洋医学も
完璧では、ありません
ただ、私が今回思ったのは
「人」をみるかみないか
最近の内科の先生は
胸の音も聞かないのですよ〜
聴診器は下げているのに。
たぶんまだ30歳そこそこだと思われる
私の主治医は
レントゲンと
血液検査の結果と
CTの画像を見て
「肺炎及び胸膜炎併発」
の診断名と処方箋をだしました。
あ、全然感じは悪くない先生です。
私の細かい質問にも全部答えてくれて
CTも胸の部分以外は(不必要なところは)
絶対撮ってくれるな
という私の要望も
聞いてくれて
笑
でも
内科の先生が胸の音を聞かないで
それは診察というのか?
と
しかも、私、胸の病気ですけど😂😂
笑
結局は「数字」と「画像」をみているのですよね
人をみていないのです
ここがやっぱり現代医学とそうではない
代替療法や自然療法との
大きな違いだと
確信しました。
整体も身体からのアプローチですが
その方の心の状態にまで
氣を配ります
ひとりひとりの
身体と心の状態はみんな違うことが
前提で
セッションをします。
私の場合は「治療」ではありませんが
他の自然療法も
不調の箇所
部位だけではなく
その人
全体をみます
病氣になることが悪いことなのではなく
現代医学が悪いわけでも
全否定しているわけでもなく
ただ
そういうものだ
とわかって
必要な時にお世話になるのと
ただ
盲信するのでは全く違う、と感じます。
いいとこ取りでいいのです。
ただ
知っていること
わかって、適度に使うこと、が大事だな
と
久しぶりに現代医学のお世話になって
改めて思いました。
あと少し、続きます
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