
断られることは否定されることではない
どんな仕事をしていても、「断られる」場面が必ずあるのではないだろうか。
僕の場合は取材を断られたり、撮影を断られたり、自分の営業を断られたりするのだが……。ちなみに「返事がない」というのも「断られる」のうちに入れておくとする。
そうして断られると、程度の差はあれど、必ず落ち込んでしまう。「メールの内容がよくなかったかな」とか、「依頼の仕方が失礼だったかな」とか。
でも近頃、「仕事で断わられると、なんでそんなに落ち込むだろう?」と考えるようになった。
だって「断られる」なんてプライベートでは日常茶飯事だし、むしろ自分だって「断わる」こともめちゃくちゃあるじゃん、と。
◇
最近、ある友達からの遊びの誘いを立て続けに断ってしまった。
フットサルとかカラオケとかごはんのお誘いが来たのだが、たまたま取材が入ってたり、予定が入ってたり、実家に帰ってたりしたので、全部断ってしまったのである。
あまりにも僕が断るものだから、普段はLINEのスタンプを使わないその友達から、泣いてるキャラクターのスタンプが送られてきてしまった。大変申し訳ない。
でも確実に言えるのは、その友達のことが嫌いだから断ったのではないということだ。誘いや提案を受け入れていないわけでもない。ましてや拒絶したわけでもない。
ただただ、タイミングが合わなかっただけ。
◇
これって、プライベートではよくあることだと思う。
むしろ予定がなくても、気分が乗らなかったり場所が遠かったりで断ることも往々にしてある。
もちろん逆もしかりで、誰かを誘って断られることなんてしょっちゅうだ。
「眠いから行かない」「二日酔いで行けない」とか、理由とは言えないような理由で断わられることだってある。
でも、それで落ち込んだりはしない。「しょうがない」としか思わない。仕事で断わられると、すぐ落ち込むくせに。
でもなんで、プライベートで断られると落ち込まないのだろう??
それは多分、「自分を否定されたり、拒否されたわけではない」というのがわかってるからだ。
自分の頭の中で捉えているのは「断られた」という事実だけ。相手が「断わる」という決断をする過程で、自分に対するネガティブな感情は生まれていないと思ってるからだと思う。
◇
それなのに仕事になると、「断られた」という事実だけじゃなく、相手が「断わる」過程において、自分に対してネガティブな感情が発生したのでは?とマイナスな想像を巡らせてしまう。
もちろこれは、相手の顔が見えなかったり、付き合いが浅かったり、そもそも会ったことがなかったりして、信頼関係が構築できてないことが理由だからだと思う。
でもそれだけじゃなくて、「プライベート同様、仕事だって相手にも都合がある」という考えが抜け落ちているからのような気がする。
営業だって取材だって撮影だって、忙しかったり、タイミングが合わなかったりして、「そのときは断るしかなかった」だけなのではないだろうか。
返事がない場合も、忙しくて返せなかったり、忘れてたりするだけかもしれない。
要は、仕事で断わられたときも、決して自分を否定されたり、拒否されたわけではないということだ。
プライベートのときと同様、「タイミングや都合が合わなくて、たまたま断られただけだ」と思えば、とくに気にする必要はないのかもしれない。
いいなと思ったら応援しよう!
