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生い立ち、ネグレクト、虐待、夜徘徊、学校で働くまでの私⑤

その後は若い男性は来なくなり腕組みの男性と母親は続いていきます。家には夜遅くまで帰らないのは続いて、ご飯もお金を置いていってもらうスタイルへと変わっていきました。この頃から私は夜ご飯をコンビニなどで買って1人で食べる生活をしていました。そこに気持ちはなくただ生きるために淡々と食事をしていました。しかし、心の方は限界が来てしまっていたようで、夜遅くまで1人だった私は寂しさに耐えきれず、クラスメイトの家に毎日電話をしてしまうようになります。夜に電話をかけてしまって沢山ご迷惑をおかけしてしまったと思います。しかし、電話をすることはこの後すぐに無くなることになります。その時はH先生のクラスの時だったのですが、あるお母さんが泣きながら僕のことをかわいそうだと訴えてくれたようなのです。そのことが母親の耳に入り私は母親にこっぴどく怒られました。学校に呼ばれて帰り道母親が自転車を押しながら鬼のような顔になっていたのを今でも覚えています。私が願っていた思っていた予想とは反していました。その時に母親に

「あんたは外面がええな。」

と言われたのを今でも忘れません。この言葉は深く胸に刺さり、事あるごとに自分が外面がいいから家のことを外に出してはいけないのだと考えるようになりました。友だちのお母さんが訴えてくれたことで少しは現状が変わるかもと淡い期待を描いたのですが、すぐにそれは粉々に砕かれました。私はそれ以降電話をするのを辞めました。外に何かを求めるのはこれで終わりにしました。そして、自分で生き抜いていく方法を考えました。

そこから私の夜の徘徊が始まります。それが小学校3年生の時です。電話をかけることが出来なくなった私は夜の町に出ることになりました。基本的にはゲームセンターと本屋さんに居て、1人が嫌だったので人が集まる場所に出向きました。毎日もらっていた食事代を少しずつ使い時間を潰しました。この時に本屋さんで特にお気に入りでやっていたのが、小説の背表紙のあらすじを見て回ることでした。文庫の並んでいる小説のタイトルを見て気になったら背表紙のあらすじを読む。今も同じスタイルで本を探しています。この時背表紙で気になって買った本はフランツ•カフカの「変身」とハンス•クリスチャン•アンデルセンの「絵のない絵本」でした。小学校3年生で選ぶタイトルではないですね。この時私は本の雰囲気に惹かれたのだと思います。本を読んでいると忘れさせてくれる所が好きでした。本を読んでいると自分が小学校3年生で夜1人で徘徊しているのを忘れさせてくれます。何も考えずに済むのが良い所です。ゲームセンターでは居場所があると言う所が気に入っていました。お金を入れればその台は自分のものでその台に座っていていい。そうすることで立ち位置がふわふわしたものがはっきりした自分の居場所になります。「子どもは家族と過ごして一緒に居るのが当たり前。」これは足元ががっちりしていて役割があって立ち位置が定まっているから安心出来る部分があるのだと思います。私もゲームセンターでゲーム機にお金を入れることによって足元を固めて安心したかったのです。それが当時の私には心地良かったのだと思います。

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