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生い立ち、ネグレクト、虐待、深夜徘徊、学校で働くまでの私⑥

小学校高学年になっても私は変わらず夜徘徊をしていました。新しい5、6年の担任の先生は最悪で本当に今同じく学校現場で働いている身として考えられないぐらいにひどい先生でした。小学校のクラス担任制はメリットデメリットがあります。メリットは長期的に子ども達の様子を見ることが出来たり関係が作れる所です。デメリットは子どもが最悪と思ってもその先生と月日を一緒に過ごさなければいけないことです。それをどうにかなど出来ず歯向かうものなら自分が居ずらくなる可能性だって子どもも保護者も考えてしまいます。この経験も私が将来学校に勤めて子ども達の力になりたいと思ったことの1つに繋がります。何十校と学校で勤務して来ましたが、こんなにひどい先生は未だに見たことはありません。今の時代の先生は昔の先生よりとてもよく努力なされていると私は思っています。昔の先生が努力してなかったという意味ではなく、今の先生は昔に比べて努力しなくてはいけないことが沢山あると言う意味です。教育の枠組みは広がっていて先生に求められるものは増えています。上記に挙げた私の担任の先生は今の時代なら教師をすることが出来なかったと思います。そういう先生が居られないような校内体制や研修が学校内に出来て来ています。担任が2年連続同じというのも今の時代では珍しくなりつつあります。ここまで書いて来た私のような子どもも今の時代なら発見されないことは少なくなって来ているように思います。まだまだ改善すべき点は沢山ありますが、教育の進化と先生方の努力を日々現場で感じております。

話しを戻しますが、その担任の先生はいわゆる洗脳に近い教育でした。子どもだから洗脳出来ると思って色んな力を使って力で抑えつけていました。親にはいい顔をして裏では教師が生徒を仲間外れにするようなことをしていました。私も何度か仲間外れにされました。隣のクラスの先生と仲良く話していただけで、私は数週間教師の指示の元仲間外れにされたこともあります。今考えてもバカげていると思うのですが、こういうやり方が1番洗脳しやすかったのだと思います。私はその時今の自分ではこの教師に敵わないと思い、2年間洗脳されたフリを徹底的にしました。イエスマンで優等生を演じ切ったのです。クラスでは1番のイエスマンの優等生でしたが、クラスで1番この教師が大嫌いでした。なので、高学年の学校での思い出はロボットのような2年間だったのでほとんどありません。この時の私には学校は敵でしかなかったのです。生活環境がひどい状況なのに学校までひどいのは辛い状況でした。しかし、私生活では少し変化があり、そのおかげで何とか自分を保っていることが出来ました。生活自体は変わらずで徘徊を繰り返していましたが、同級生のお宅が家に招いてくれるようになり夜によくお邪魔させて頂くようになりました。

同級生の名前はよっちゃんと言い、この頃よっちゃんの誘いでボーイスカウトにも入っていました。よっちゃんのお父さんがボーイスカウトの隊長をしていたのです。よっちゃんのお宅には兄弟が沢山居てお兄ちゃんお姉ちゃんの友だちなどもよく夜に集まって来ていました。いわゆる不良系ではなく、家にストリートファイターの基盤があってやっていたりアンダーグラウンドな様子のそういうお宅でした。それでも、スケボーをやっている人が来ててスケボーを教えてもらったり塗装屋さんの人が来ていたり、不思議なお宅でした。みんな居心地が良かったのだと思います。よっちゃんのお母さんも

「ご飯食べたん?食べていき!」

「このお菓子食べ!」

と気軽に言ってくれるような大阪のおばちゃんであの頃はその気軽さが本当に有り難かったです。よっちゃんの家のおかげで私は自分を保つことが出来ました。中学になって私は不良の道に進んでしまいます。それでも途切れ途切れではありながらも変わらず家には行かせて頂いていました。話は飛びますが、16歳の頃、変わらずよっちゃんと遊んでいて街を歩いている時に不良仲間と会った時があります。その時不良仲間に

「なんでよっちゃんなんかと遊んでるん。」

と笑いながら私は言われました。私はそれを言われた瞬間その言った相手を殴ってしまっていました。

「よっちゃんと遊んで何が悪いねん!」

私は街中でしたが、よっちゃんに失礼なことを言ったことを許せず大声を出して怒ってしまいました。その仲間も後からとても反省をしてくれて謝罪をしてくれ今も変わらず友人で遊んでいます。のちにまた詳しく書いていきますが、私は自分の周りに集まって来てくれた人に本当に恵まれました。この出来事の少し後によっちゃんのお父さんが亡くなられてお葬式がありました。すぐに駆けつけてお通夜もお葬式も出席させて頂きました。この時よっちゃんのご家族は私を親族の席に座るように言ってくれました。金髪でピアスをしてあの頃とは違う私だったのに変わらず受け入れてくれました。お父さんの棺を運ぶのも一緒にやらせて頂き納骨までご一緒させて頂きました。よっちゃんの家族全員があの頃と変わらず「おいでおいで」と声をかけてくれたのです。色々と不幸続きの小学校時代でしたが、その私には本当に心から有難かったです。私に居場所を与えて下さりありがとうございました。

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