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#49 理事長交代のご報告──初代理事長の想いと次期理事長の挨拶

にいまーる理事の臼井です。
いつもnoteを読んでくださってありがとうございます。

今回は、これまで語られなかった、にいまーるの理事長についてお話しいたします。

にいまーるを立ち上げたのは2011年。東日本大震災から数ヶ月後、本格的に活動すべく奔走していた私に「一緒にやりましょう」と発したのが、前理事長の笠原志郎さんです。

私と笠原さんとの出会いは、手話教室です。
笠原さんは、大手企業を定年退職したあと、地域のために活動したいと考え、手話の勉強を始めたとのこと。
聴者として手話を学びながら、ろう者に寄り添い「何か必要なことあったら言ってくださいね」と関わる日々が増えてきました。

にいまーるを立ち上げる際、縁あって笠原さんも創立メンバーの一人に加わりました。知名度がほとんどなかった創立当時、「聴者の世界は私が頑張るので役割分担していきましょうよ」ということで笠原さんが理事長、他の創立メンバーは理事に就任。
「手話の世界はまだよく知らないから臼井さんの思うように頑張ってみて」と自ら後方支援に回り、夜遅くまで話し合って事業計画を立てたり、資金調達の方法を考えたりしていました。

ろう者や異文化について学べば学ぶほど、笠原さんは「難しいなぁ」と時々苦笑いしていましたが、地域に住んでいるろう者たちからは慕われていました。

一人のろう者からは「僕が今まで会った聴者の男性たちは冷たかった。手話を覚えようとしないし、筆談もあまりしてくれなかった。でも、笠原さんはそんな聴者と同世代なのに手話を頑張って覚えて話をしてくれたから嬉しかった」。

地域のイベントに出店したり、取引先に出かけたり、ガソリンスタンドや銀行でも担当者に雑談しながらにいまーるの活動についてPRしていました。理事長とはいえ決して驕ることなく、創立当時から変わらない気持ちでいつも活動していました。

そして11年経った今年2022年9月、「いつかは…」と思っていたその日が急に来てしまい、笠原さんが天に召されました。

新潟人として恥ずかしくないよう、ろう者のことや手話をもっと知り、一人ひとりが活躍できるように応援していく

60年近く、ろう者とは無縁だったにも関わらず余生のほとんどをにいまーるのために懸けた笠原前理事長の想い。

その想いを次期理事長として私、臼井が引き継ぐことになりました。

今まで初代理事長の存在についてあまり語ってこなかったのは「臼井さんが前に、自分は後方に回る」という姿勢を貫こうとした笠原さんとの約束でもありました。今日はそれを破ってしまったような形ですが、きっと許してくれると思います。
次期理事長としての重圧を感じていますが、皆様にはこれまでと変わらないご声援をよろしくお願いいたします。

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文:臼井千恵
Twitter:@chie_fukurou


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