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#28 【NPO法人にいまーる】 職員インタビュー vol.5|中林幸恵

NPO法人にいまーるは、
• 聴こえる⼈と聴こえない⼈がお互いに⾼め合える場を作る
• 社会的少数派(マイノリティ)の⽣きづらさを解消する
• 聴覚障害者の社会資源を拡充する(ゆりかごから墓場まで)
を理念に、聴覚障害を持つ人の就労支援や生活支援,社会参加の支援,居場所づくりなどを行う団体であり、ろう者と聴者が一緒に働く職場です。
活動の詳細は過去の記事をご覧ください。

「NPOで働く」と言ってもピンとこない人も多くいるかもしれませんが、現在にいまーるでは多様なキャリア・バックグラウンドを持つ職員が就職してきており、またボランティアやアルバイトなども含めると多くの人が働く場所として集まる場所になってきています。

今回で5回目となる職員インタビュー。にいまーるの職員のキャリアや人間性を深掘っていきたいと思います。

にいまーるで働く職員は、フルタイム、パート、アルバイトなどのいくつかの形態から、自分に合った働き方を選んで働いています。お子さんを持つ方や兼業している方、学生など、働く人がもつ背景も様々です。

今回は、外国語の先生・大学生・にいまーる職員という三足のわらじを履いている中林幸恵さんにインタビューをします。

■プロフィール
中林幸恵(なかばやし・ゆきえ)
聴者。ドラマの影響で手話に興味を持ち、専門学生時代に本格的に手話の勉強を始める。現在は専門学校で韓国語の先生をやりながら、韓国の通信制の大学に通いつつ、にいまーるで働いている。就労継続支援B型 手楽来家(てらこや)では、目標工賃達成指導員として利用者の内職作業をサポートしている。

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─ 手話との出会いやにいまーるとの関わりについて聞きたいです。

私はテレビっ子だったので、手話はドラマとか見て知ってて、なんとなくやりたいなと思ってました。別に周りに聴こえない人がいてとかじゃなくて、なんとなくやりたいなと思って。
人前で発言するとか声を出すっていうのがちっちゃい時から本当に苦手で、声を出さなくても会話ができるっていうところになんとなく惹かれたのかなっていうのは後々考えると、思いましたね。
本を親に買ってもらって、挨拶とか指文字とか覚えてました。

それで、高校生の時に将来何しようかなって考えて、空港で働きたいってなって、専門学校に決めたんですけど、そこでは手話の授業が必修であって、そこで本格的に手話の勉強を始めました。手話の授業担当の先生が臼井さんと知り合いで、臼井さんが講師として来てました。
学校の決まりで、長期休み中に一週間ボランティアに行く必要があったので、にいまーるに来ました。そしたらすっごく楽しくて、本当だったら一週間行けば十分なんですけど、また行かせてくださいって言って、次の長期休みに自主的にボランティアに行きました。

─ そこから専門学生時代の二年間はずっと関わりがあったんですか?

私は早期入社で、2年生の9月から成田空港で働いていたので、学生の時に行ったのは本当に何回しかなくて。で、卒業して就職してから、時々実家に帰ってくるタイミングで、時間が合えば手楽来家に遊びに行って、みたいな。
なんかちょっと、ホッとできるし、家とはまた違う感じで。専門学校卒業後も手話の勉強はしてたので、手話を使えるっていうのが楽しかったっていうのはあるかもしれないです。
そんな感じで卒業後も、年に2回は遊びに来てました。

─ 就職後も手話を勉強してたんですね。

そうですね。学生の時に手話検定の四級を取ってたので、じゃあ三級に挑戦しようってことでやってみたら受かって、そのタイミングで、会社内で手話をみんなでやらなきゃいけないってなったんです、上から言われて。ちょうど成田空港が、バリアフリーとかユニバーサルデザインとか、そういうことに力を入れてた時だったので、手話もそれに入ってたみたいで。
それで、私以外に手話をやってる人が何人かいたので、グループを作って、手話の普及活動みたいなことを始めましたね。一から、指文字から教えました。本当に全然何も知らない人たちがほとんどだったので。でも、手話だと学ぶ側に限界があったので、手話を教えつつ、あとは、筆談とか、いろいろ工夫してやろうねみたいなことを教えながら、聴こえない人が来た時にどう対応するのかを考えさせる機会にしてました。

それをやりながら、会社の方から、自然な流れで準二級も受けてみなよって言われて。会社も実績が欲しいんでしょうね(笑)。会社がお金を出してくれるってことだったし、手当ももらえるってことで、私としてもラッキーって感じで受けて、無事準二級も受かりました。

そんな感じで、早期入社の分も含めると、5年くらい空港で働いてました。

─ そこを辞めてからは?

ずーっと辞めたかったんですけど(笑)。辞めるのも面倒くさくて、なんだかんだ5年くらいいたんです。でも、このままじゃまずいなって思って、ちょっと新しいことをしようかなって考えたときに、韓国語をもうちょっとやってみたいと思いました。そこから、じゃあ韓国語をやって何をするのって色々考えた結果、教えるという方向で一回頑張ってみようっていうので、韓国の大学に通おうっていて全部ひとりで準備して、大学も合格したのに、コロナで行けなくなりました。

韓国の大学に行くのが決まった状態で、仕事を辞めたので、あとは韓国に行くだけっていうところで、コロナが広まりました。仕事はすでに辞めていたので、とりあえず実家に帰ってました。
その時にちょうど臼井さんとLINEでやり取りしていたので、じゃあかめこやでバイトしてみないかと声をかけてもらって、働き始めたのが今に至るきっかけです。

─ かめこやから入って、今は手楽来家で働いていて、今度は母校の専門学校で先生もやってるじゃないですか。教えるっていう仕事をやってみてどんな感じですか。

いや、難しいですよ(笑)。なんていうか。自分の引き出しが少ないなって思います。手話も韓国語もまだまだだなって思いながら。

はじめて手話をやる生徒たちの反応や感想を見てると、人によって全然違うっていうのにびっくりしました。あとは見ていて、テキスト通りの手話というか、私がにいまーるで見ている実際の手話と比べると、リズムみたいなものが全然違うなっていうのは、改めて思いましたね。
私は韓国語も手話も、見て覚えるというか、感覚で覚えているところが多いので、いざ生徒たちに説明しようとなると難しかったりしますね。

─ 韓国語を仕事にしたいともおっしゃっていましたが、今後の目標ややりたいこと、にいまーるとの関わり方についての考えはありますか?

迷い中です(笑)。
教える仕事にはつきたいと思っています。専門学校じゃなくても、社会人向けの韓国語とかなのかなって。
例えば今のまま母校の専門学校で働かせてもらえるなら、大学卒業後に正規で入って、韓国語をメインで教えつつ、手話も教えられたらいいなって思います。なので、バイトとしての関わりではなかったとしても、にいまーるとずっと関わっていきたいなと思っています。

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ライター:横田大輔
twitter:@chan____dai

取材/編集:吉井大基
Twitter:@dyoshy_
Facebook:@daikiyoshii4321


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