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#13 情報保障は誰のため?

NPO法人にいまーるの理事・臼井です。
にいまーるは、障害福祉サービス事業を中心に手話普及活動も行なっている団体であり、ろう者と聴者が一緒に働く職場です。
障害福祉サービスの利用者は全員耳が聴こえません。
しかし、スタッフの比率は、ろう者2割:聴者8割と、聴者が多いので、双方の文化の違いが垣間見え、時には食い違うことも多々あります。
そんな職場から生まれ出る、聴者とろう者が共に仕事をする中での気づきを連載していきます。
今回は「情報保障」について書いていこうと思います。


「臼井さん耳が聞こえないから、相手が筆談してくれると思ったけど全然書いてくれなかったな」

横にいた聴者がそう言う。

① 障害者が社会に慣れていない
② 社会が障害者に慣れていない

生まれた時から常に①の生き方を求められてきた分、
聴こえる側が持つ②の視点を真正面に言われると新鮮味を覚えます。
「おお、君もか!」と嬉しくなります。

個人差はあれど、ろう者の大半は生まれた時から家族(親族含む)や学校から①の生き方を求められます。

「正しい日本語の使い方を身につけなさい」、「口で話せるようになりなさい」、「聴者のマナーを覚えなさい」…といった感じで。

聴者の多い社会の中で生き残るためには「静かに黙って言うことを聞く」姿勢が評価対象になるので「可愛がられるようになるべきなのか」というようなことがちょっと前にTwitterで話題になっていました。

ちょっと脱線。

学生時代からずっと使っている言葉の一つに「情報保障」があります。
手話通訳やノートテイクは情報保障手段の一つ。
手話、聴覚障害関係の世界では当たり前に使われている言葉です。

情報保障・・・障害のある人が情報を入手するにあたり必要なサポートを行うことで、情報を提供すること。主に、視覚障害者と聴覚障害者への配慮として用いられる。聴覚障害者への情報保障は、手話通訳、要約筆記、PCテイク、筆談や(映像の)字幕を指すことが多い。

しかしながら私自身、この言葉には「喉に魚の骨が引っかかっているような感覚」が付き纏っています。なんとなく違和感を持ちながらも、この言葉を使い続けています。だって、他にピッタリ当てはまる言葉がないんですもの。

聞こえない人が常にサポートを受ける側に立っている、という視点が入っているのでは?

「手話が分からない聴者」という立場を考えたとき、ろう難聴者が発言した際に字幕や通訳を介するなど「情報保障を受ける側」に立つはず。
それなのに巷で使われる「情報保障」はろう難聴者を基準にしています。
これでは、冒頭の視点①と大差ないのでは?

聴こえる人と聴こえない人の職場でも「情報保障」という言葉は使われるし、特にミーティングの場では全員、手話で議論できるレベルにあれば通訳を介する必要はないのですが、議事録がタイヘン。

ミーティングはなかなかの曲者で、議論が活発になるとどちらかが置いてけぼりになる様子が見られます。
とはいえ手話が分かる聴者側から見ると、ろう者が発する時は手が動くので視覚的に「今、何か話しているな」と断片的でも情報が得られます。
ところが、ろう者の場合だと声が聞こえないため、断片的な情報さえも掴ませてくれない感じになります。

「全員手話で話しましょう!」
で、情報保障の問題は解決されるのですが、全ての職場がそういうわけにはいかない。
そういう場に限って一番困ってしまう立場が、手話通訳者です。両者の言語を知っている分、「声」という見えないツールに引っ張られてしまい、ろう者の視点が見えなくなってしまうようです。

情報保障は双方向のコミュニケーション成立のためにあるもの。
かといって、手話通訳者に全てを押し付けるやり方は到底避けたいところだし、双方向のコミュニケーションを円滑にするためには両者の努力が求められます。
努力の仕方の一つに「ある程度話をまとめたあと、通訳者の顔を観察」があります。
マジョリティ側も通訳者がいることに慣れていけたらきっと、お互いに発言するタイミングを譲ったり譲ってもらったりできるかもしれません。

ろう者が社会に慣れたと思っても、社会が慣れていない限り、魚の骨はずっと私の喉元に引っかかったまま。
一刻も早く取り除くべく、NPO法人にいまーるは活動中です。

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文・臼井千恵
Twitter:https://twitter.com/chie_fukurou
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編集:吉井大基
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