#29 にいまーるが考える、「支援」について
NPO法人にいまーるの理事・臼井です。
にいまーるは、障害福祉サービス事業を中心に手話普及活動も行なっている団体であり、ろう者と聴者が一緒に働く職場です。
障害福祉サービスの利用者は全員耳が聴こえません。
しかし、スタッフの比率は、ろう者2割:聴者8割と、聴者が多いので、双方の文化の違いが垣間見え、時には食い違うことも多々あります。
そんな職場から生まれ出る、聴者とろう者が共に仕事をする中での気づきを連載していきます。
今回は、にいまーるが考える「支援」について書いていこうと思います。
一人のろう者がいました。
高齢の親と同居しており、「親の介護に疲れる」が口癖になっていました。
日中は仕事に勤しみ、帰宅後は買い物に出かけたりご飯を作ったりしているようです。とはいえ、特に周囲に相談する気配はなく、愚痴はこぼすけれど何とか日々をやり過ごしていました。
先日、たまたま雑談していたら、
「最近、親が何を言ってるのか分からなくなってきた」
と本音を漏らしていました。
よくよく聞いてみると、昔は口の形を大きく開けて話してもらっていたけれど最近はもごもごとしゃべるため、口の形を読み取ることができなくなった、何を言っているのか分からないことにイライラするようになったとのこと。
そのろう者は、私と話すときは手話を使います。筆談も行うけれど、他愛のない会話は手話の方が話しやすく、友人たちとも手話で話をします。
一方で、家の中では口話で話をするとのことです。親は聴者で手話ができません。
こういう話をすると驚かれるのですが、【ろう者の親の9割は聴者】と言われています。その9割の中で、手話ができる親は少数なので、こういった家庭は珍しくありません。
「介護が大変。いつまでこの状況が続くのだろう」。
そう話していたので、介護福祉サービス関係者に相談してみたらどうかと提案したところ、強張った表情で「どんな人が来る?」「支援って何?」「助けてもらうつもりはない」と拒絶反応を示しました。
【支援】という手話表現が【助ける】と同じ形というのもあり、受け取る側によっては上から目線と捉えかねません。
きっと、「私が助けてもらうってどういうこと?介護しているのは私なのに」という感情が湧き出てしまったかも知れません。
仕事上、その方の生い立ちや家庭内の環境等のバックグラウンドを把握していたので「手話通訳派遣制度を使って、一度話し合いをしませんか。一度だけでいいです。実際にやってみて、それでも嫌であれば私はここまでにします」と説明してみました。
何度か、「もう聞きたくない」と言われましたが最終的には渋々、私の提案(介入)を受け入れて関係者たちと話し合いを行いました。
手話通訳者の手話を初めて見たのか、その方は「手話が分からない、困った」と言っていたので「今の通訳、もう一度お願いできますか」と手話通訳者に伝え、「分からないときは聞き返しても大丈夫です」と本人にも助言してみました。
そこからは2、3回くらい、「ちょっと待って、もう一度」と本人からの確認作業をしながら進行し、話し合いは有意義なものとなりました。
今回の話し合いがどのくらい理解できたかを振り返りながら今後の予定を聞いてみると、
「今日、初めて親の気持ちを知れた。介護サービスを受けることについて考えてみたいので、次も手話通訳派遣をお願いしたい。どうやってやればいいですか」
と前向きな反応でした。
そうして話し合いを重ねていくうちに、手話通訳を通して自らの意見を伝える機会が増え、同席していた家族からは驚きの声がありました。
「今まで寡黙だったのに…家のことは何も考えていないと思っていた」。
後に、この話を本人に伝えてみたら「家族はみんな手話ができない。昔から、周りが何を言ってるのか全然分からなかったし、聞き返しても誰も教えてくれないからね。自分にとっては手話の方が話しやすいから手話通訳があって良かった」。
今は周囲の関係者と連携し、介護の負担も徐々に減り、余暇を楽しむ時間ができています。
この事例はあくまでも一つの事例であり、全てのろう者が同様の支援を受け入れるわけではありません。
でもこの事例から考えさせられることがありました。
・手話を知らない聴者から見ると「口話で頑張って話しているし、本人も頷いているから大丈夫」と思ってしまう場面が散見されたこと。
・日頃の生活上、本人にとって一番話しやすいコミュニケーション手段が手話であるにもかかわらず、周囲に手話のできる人が今までいなかったこと。
コミュニケーション方法一つとっても、上記のように聴者との間で認識が食い違うことによって、本人の中での消化不良が続き、本来の課題(ニーズ→介護疲れがあるので何とかしたい)が見過ごされてきたのではないでしょうか。
本当に支援を必要としている人にこそ、必要な支援が行き届くよう調整するのがソーシャルワークの仕事なのですが、共通言語を共有できていない現実を認識しているか否かによって、支援が行き届かないこともあります。
手話ができるソーシャルワーカーたちが増えたら最も理想なのですが、仕事上関わっている人たちの9割は「にいまーると関わってから、手話が言語であることを初めて知った」という実態があります。
「筆談すれば通じると思っていた」という言葉はもうすでに聴き慣れてしまったくらい。そこから「私も手話を覚えよう!」と次のステージに移る人はまだ少数です。
なぜ、少数なのでしょう。
クライエントとしてのろう者ではなく、ソーシャルワーカーとしてのろう者である私に出会ったから「手話を覚えよう」という気持ちになれないのか、それとも手話をどのように覚えたらいいか分からないのか、はたまた忙しすぎて余裕がないのでしょうか。
確かにクライエントとして寄せられる相談件数自体、ろう者の場合は少なすぎると指摘したデータ(どこかで見たのですが、失念してしまいました)があるくらいですし、日本国内でろう者の支援について学べる教育環境が整っていないのでやむを得ないかも知れません。
そういった現実を見越して、実際に手話ができなくても手話通訳派遣制度を活用したり、ろう者・手話通訳士のソーシャルワーカーと連携しながら対応したりということが一つの支援のあり方です。
こういった当たり前のことが、都会では常識ですが、地方は残念ながら非常識でもあります。
「ろう者が専門職?え?」「ろう者なのに、大学を出ているって?」という、同業者の反応が少なくなる日はやってくるでしょうか。
次世代のソーシャルワーカーを育てながら、日本国内で立ち向かわざるを得ない現実について少しずつ発信していけたらと思います。
支援が必要な人に支援が行き届く世の中でありますように。
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文:臼井千恵
Twitter:@chie_fukurou
Facebook:@chie.usui.58
編集:横田大輔
Twitter:@chan____dai
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