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10年間会社を支え続けた、社長の右腕がついに退職。最後に色々聞いてみた

こんにちは、日本ユニスト経営企画室です。今回のnoteでは、6月末で退職する社員のインタビューをお届けします。
インタビュイーは、3期から12期までの10年間にわたり日本ユニストを支え、不動産から地方創生まで事業部を横断してきた、企画開発事業部の田中雅也。

「創業初期のベンチャー企業は、メンバーの入れ替わりが激しい」と言われますが、まさに当社もそうでした。社員が短期間で15人から4人に急減するなど、数々のピンチがありましたが、そうした時も常に社長の右腕として伴走してきたのが田中でした。
日本ユニストの黎明期から今に至る足跡をたどりつつ、なぜ退職するのか、そしてこれからどんな道へ歩むのかを、このnoteでは紹介したいと思います。

「仕入→企画→融資付け→販売」を一気通貫で手掛けてきた

――10年間お疲れ様でした。この10年間、どういう業務をしてきたか改めて教えてください

主に、事業用不動産の企画販売を行ってきました。「物件情報をキャッチ→物件・土地の仕入れ→どんな建物を建てるか企画→金融機関との折衝・融資付け→販売」という流れを、一気通貫で手掛けてきました。

経理担当者がいなかった頃は、税理士との決算の締めもやってましたし、財務面でキャッシュフローを作ったりもしていました。2017年に従業員が15人から4人まで激減したことがあったのですが、その直後はもう一度組織を立て直すために、採用活動にも取り組んでいましたね。不動産事業に限らず、その時々で必要なことには何でも取り組んできました。

――和歌山・熊野古道での宿泊事業にも携わってきましたね

熊野古道を泊まり歩く宿「SEN.RETREAT」をつくるにあたり、熊野古道周辺の土地を私が4カ所選定して、購入しました。すでに開業したTAKAHARAとCHIKATSUYUの2カ所については、地元との調整や、建設工事の段取りなども行いましたね。
通常の不動産デべだと、都市部での物件しか取り扱わないケースが多いですが、日本ユニストでは不動産の力を活かして地方創生にも関わることができて、良い経験になりました。

工事中だった頃のSEN.RETREAT TAKAHARA

――10年間で特に印象に残っていることは?

先程も話しましたが、6期の終わりに組織崩壊したことは忘れもしません。わずか半年でほとんどの社員が辞めてしまい、残ったのは社長・自分・事務員さんだけでした。

その時に社長とじっくり話し合ったことが、特に記憶に残っています。
このまま社長と自分の2人だけなら人件費がかからず、それなりにお互い給料も確保できる。でも、それって面白くないよねって。
「もう一度組織を立て直して、一から作り直そう!」ってなったときが、自分の中で再スタートを切ったというか、日本ユニストが生まれ変わった瞬間だった気がするんです。そこで思い描いた通り、たった4人から再出発して、今では10倍の40人にまで組織が大きくなったことは、感慨深いなと思います。

もう1つ思い出に残っているのは、FP HOTELS Grand難波南(現・チサンスタンダード大阪新今宮)の開発。
JR新今宮駅前に186室を備えたホテルを作ったのですが、開発を行った2016年当時は、今以上に西成は治安を不安視されていて、人気がありませんでした。まだそれほどインバウンドも多くなかったので、「誰もそんな土地買わないし、ホテルなんかうまくいかないやろ」と言われていたんですよ。
それでいて、土地を相場の2倍の値段で買ったから、びっくりされたよね。

――当時注目されていないエリアだったのに、なぜそこまで高値で土地を仕入れたのでしょう

西成一帯が行政主導で再開発されていたり、インバウンドが徐々に増えたりしている状況から、ポテンシャルがあると見込んだからです。その上で事業収支も合うと判断しました。誰も勝負しに行かなかったところで、勝負を張れたことは今振り返ってもすごい。やはり、今村社長に先見の明があったということなんでしょうね。

FP HOTELSで成功をおさめたことで、現在自社運営しているWillows Hotel 大阪新今宮の開発にもつなげることができました。FPよりさらに大きな規模のホテル開発に携われることになったときは、ワクワクしましたね!

本当は5年で退職するつもりだった

――なぜこのタイミングで、退職を決意されたのですか?

独立することは入社前からずっと考えていました。28歳だった入社時には「5年たったら独立します」と、社長にも宣言していたんです。
でも、入社して4年後に組織崩壊が起きてしまって。「ここで自分が抜けたら会社が存続しない」と思って、踏みとどまりました。

「5年いたら一通りのことは経験できるから、そうしたら独立しよう」って思っていたんですけど、ユニストの場合、例の組織崩壊で一度会社の体制が大きく変わったので、それに伴い、自分自身のキャリアもまた違ったものになりました。
不動産の実務にとどまらず、マネジメントや組織作りに関わることで、より多様なキャリアを築くことができたんですけど、さらにまた5年ほどたってから、やっぱり「自分で会社を立ち上げて事業をしたい」という思いも強くなってきて。
あと、会社の目指す方向と、自分がやりたいことが少しずつ重ならなくなっている気がしていました。

――「もうやれることはやりきった」と?

「あぁ、自分違う方に行っちゃってるな」という気持ちが1年ほど前から強くなってきて、色々考えるようになって。「5年たったら独立って考えてたところを延期してきたけど、そろそろ潮時なのかな」と感じ始めました。

それで12期(2022年度)の数字を作り上げて確定させたら、満を持してやめようと決めたんです。自分が仕入れた物件は、自分で売り切るのがけじめだと思って、最終的に無事に責任を果たすことができました。

――自分のやりたいこととは何ですか?

自分の信頼している人と協力して、企画や開発など事業を推進していきたいということ、そして一気通貫でやり抜きたいということですね。
ユニスト含め、ある程度の規模の組織だと、スケールするために幅広く色々な業者さんとやり取りします。ですが、自分は深く濃い付き合いを活かすことで、事業を動かしたいと思っています。

あと、ユニストも昔は一気通貫で不動産に関われる体制だったのですが、少し前から、仕入から販売まで担当制を導入するようになりましたよね。
それはそれで、1つの分野に特化したプロになれる良さがあるんだけれども、上流から下流まで携われることに自分はやりがいを感じていたので、結局は独立することがベストなのかなと思うようになりました。

ユニストの良いところは実直さ。
改善点は・・・

――10年間いて感じた日本ユニストの良いところって何でしょう

実直さや正直さをみんな持っているところですね。
不動産は取引の金額が大きい分、悲しいですけど詐欺まがいのことをしてだまそうとする人も中にはいます。そうした業界であっても、日本ユニストはコアバリューに「公明正大であれ」と掲げているほどで、実際に誠実な心持ちの人が多かった。
あとは、時間の拘束がなくて、物件情報がDX化によって全て共有されているところですかね。不動産業界はいまだにアナログな会社が多いですが、そんな中で直行直帰や電子契約を実践しているのは画期的だし、ワークライフバランスも取れていると思います。若い社員が多いので、活気もあふれていますよね。

――逆に、改善点があれば教えてください

DX化でデータをたくさん蓄積しているけど、全て活用しきれていないところは正直気になっていますね。そこを改善して仕組化が進んだら、さらに良くなると思います。

――改めて、次はどんなことをやろうと考えているんですか?

デベロッパーとして、収益マンションを立てて保有したり、開発を手掛ける会社にしていけたらなと。そのためにまずは当面、仲介業やコンサルで軍資金を貯めていく予定です。
マンション、商業施設、宿泊施設など一通り経験してきたので、幅広い種類の不動産を扱いたいと思っています。最終的には、数百億の規模の資産をつくって、会社ごとイグジットすることを目指します。

新たに立ち上げる会社の名前は、「株式会社アントクエステート」と言います。アントクというのは、自分のひいおじいちゃんが金融業をしていた頃の屋号「安徳」から由来しています。

最初は従業員は雇わず、1人で全部やりくりする予定です。日本ユニストでもかつて、1人で色々こなしていた時代があるので、その頃の経験を活かして精一杯頑張っていきたいと思います。

10年間ともに走り続けた今村社長と

不動産営業マン採用強化中!

今回紹介した田中さんが在籍していた企画開発事業部では現在、不動産の営業マンを募集中です。

・従来の不動産の商習慣に飽きている人
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1つでも当てはまる方は、ぜひ仲間になりましょう!
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