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名君の天皇陛下と愚帝の西太后の違い 日本の国中が愛国心だらけだった

日清戦争。

よく、簡単に勝てたと言われますが、日本は薄氷を踏む確率で勝ちました。               その一つとして、西太后と言われる無能中の無能が清にいたことでした。

今日はその西太后の無能エピソードと天皇陛下の名エピソードを紹介したいと思います。

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1884年に、朝鮮で甲申事変が勃発しました。                     これについては後に紹介したいと思います。

これにより、朝鮮から申請が出て、清は出兵しました。                     このまま清に挑戦を占領されたら日本は存亡の危機に陥りますので、全力で阻止し、何とか清と天津条約を結びました。

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【天津条約 内容】

1,日清両国は朝鮮から即時に撤退を開始し、4箇月以内に撤兵を完了する。
2,日清両国は朝鮮に対し、軍事顧問は派遣しない。朝鮮には日清両国以外の外国から一名または数名の軍人を招致する。
3,将来朝鮮に出兵する場合は相互通知(行文知照)を必要と定める。派兵後は速やかに撤退し、駐留しない。

【終わり】

この事件はどう見ても日本の敗北です。

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そんな中、清は持ち前の経済力の高さでドイツのグルップ社から「鎮遠」、「定遠」という、排水量7千2百2十トンの30・5サンチ砲を4基搭載した、大戦艦を手に入れました。

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李鴻章は早速日本を驚かしてやろうと、この戦艦に乗り長崎近くまで行きました。

それはもう、東京に出現したら一瞬で制圧できるほどの威力がありました。  この出来事に日本中は震え上がりました。                       しかし、ここからは李鴻章の思惑とはずれました。

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この強い敵を見せつけられた日本人は上から下まで一致団結することになりました。

ということで、1883年に日本は大軍拡を行いました。                    しかし貧乏小国。金がないので、戦艦はせいぜい排水量4千トンの戦艦しか手に入れられませんでした。

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さあ、金がない。しかし、このままでは日本は負けるぞ!                そんな政府の状況を天皇陛下が察し、なんと30万円(現代でいうところの60億円)を出してくれました。

このエピソードに日本中が感動の嵐で、その天皇陛下に負けじと全国から200万円(現代でいうところの200億円)が集まりました。            なんと素晴らしい。                                当時の日本人は現代とは違い貧乏だらけ。

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そんな余裕など全くないのに、それも構わず切り詰めお金を出してくれました。                                       なんという愛国心。なんという優しさ。なんというすばらしさ。           天皇陛下の決断も素晴らしいですが日本国民の決断も素晴らしい。

そんな日本が頑張っている中、お隣の清はというと・・・・

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西太后「わらわのために頤和園を設立しましょう。またそこでわらわの還暦祝いも盛大に行いましょう」

李鴻章「せ、西太后様。そんなお金はどこにもありません・・・・」

西太后「あるでしょう、海軍費から削り取ればいいでしょ!」

と、海軍費がどんどん削られ、さっきまでの大戦艦「鎮遠」「定遠」が骨抜きになりました。                                    それが象徴する事件があり、黄海海戦の初めで定遠が砲撃しましたが、その衝撃で定遠の艦橋が壊れ、首脳が大けがを覆いました。

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それもこれも、日清戦争の最大の敗因は西太后のせいでした。                まさに、近代日本の幕開けは一重に西太后のおかげかもしれません。

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という感じに、どんなに大きい組織でもトップが無能であれば一瞬にして崩れ落ちます。

我が国日本は昔は先進国でしたが、無能が政権に居座り、今先進国とは言えないほど落ちぶれていきました。

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日本に有能な人が現れることを願いますが、そもそも日本の汚職が相次ぐせいで無能な人しか現れないように仕向けられます。              つまり、自民党とか社会党とか立憲民主党とか、誰を据えても日本が崩壊する未来は変わりはなく、この日本を変えるには政権に居座る人を大幅変えるような革命がないとダメかもしれません。

話が脱線しましたが、西太后は無能でした。

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