「天皇は神である!」 明治に起こった奇跡、廃藩置県
江戸時代終盤から明治時代初期・・・ まさに日本だけでなく、世界的に動乱が始まっていました。
イギリス、フランス、ロシア、ドイツ、アメリカ、イタリア、ポルトガル、 等、欧米列強国が世界的に植民地を増やしていました。
その欧米列強に対抗するべく、日本は中央集権体制のために廃藩置県を実行しました。 教科書では1文で終了しましたが、世界的に見て(特に欧米にとって)いかに異例の出来事でした。 今回はこれを紹介していきます。 それではどうぞ
1868年、鳥羽・伏見の戦いが起こりました。 これは佐幕派と倒幕派が戦った戦争でした。(ここでは深く触れません) 1868年江戸城開城、東北戦争、函館戦争、と相次ぐ戦争で佐幕派を徹底的に叩き、明治政府が出来ました。
新政府が出来たので早速、周辺国に認めてもらうため朝鮮に行きました。 ところが・・・・
日本「明治政府を認めてくれ!」
朝鮮「まずそれ以前に、その文面書に皇、勅の字があるんじゃないか!これは中国皇帝だけが使えるものだ。こんなの認めんぞ」
と、分けわかんない理由をつけて認証しませんでした。
しかし、まだ方法がありました。 朝鮮は清を崇拝していますので、その清と対等になればいいのです。
そこで日本の代表として柳原 前光が清に赴きました。
ちなみに、清全権は李 鴻章でした。
柳原「今、世界中は西欧列強の植民地になっています。1国だけでは対抗できないため貴国と共同しましょう」
李 鴻章「なるほど、、、もっともな意見だ」
そもそも、日本は植民地にされないためにも共同で清、朝鮮と同盟を組み、西欧に対抗しようとしているため、この意見が正論以外の何物でもありませんでした。
こうして、日本と清の対等条約、「日清条約」が締結されました。
さて、話を戻します。(さっきの話は今から話す内容と関係ありません。少しの予備知識です) 江戸幕府を倒し、明治政府が創られました。 その為に一番にしなければいけないことは、「中央集権体制化」でした。
前に大名から知藩事に変わったとはいえ、それは形だけのものにすぎず。 本当の意味で中央集権体制にするには、役人を中央から派遣することでした。
しかし、そんなことをしたら藩主が怒り反乱を起こす可能性がある。 実際、ヨーロッパで中央集権化しようとすると、200年の時間とたくさんの犠牲を払わなければなりませんでした。 いや、ヨーロッパに限らず他の国でも中央集権化するとそれに反発する、旧勢力と闘わなければなりません。
それを「天皇陛下の名のもとに」1枚の紙きれを使い1夜で達成する予定でした。 このことはヨーロッパ人から見て冷ややかに捉えられていました。
ヨーロッパ人「こんな紙切れと1夜で中央集権化を達成できるのか?」
ヨーロッパ人「俺たちが中央集権化するためにどれくらいの時間と犠牲を払ったと思っているんだ!」
こう思われるのも無理はない。 他の国から見て、普通旧勢力が反対するはずです。
しかし、ヨーロッパ人の予想とは違う結果になりました。
日本政府「これは天皇陛下のご意志である、控えよ!!これにより、廃藩置県は決定する」
藩主「ははーーーっ」
とできるはずがない、できない。 反乱がおきるはず、と予想されていた廃藩置県は、1枚の紙きれと1夜に達成されてしまいました。
これがあまりにも、異例中の異例。 奇跡を越えた、神がなしえることだったため。(ヨーロッパ人から見て) その時の日本全権、ハリー・パークス公使は
パークス「天皇は神である!!」 と驚愕していました。
世界史の中でこんなにも改革に成功した国は日本でした。 成功した理由は「天皇陛下」という、日本人の何人にも抗えない、神聖不可思議において、絶対的正義がいたことが鍵でした。 さあ、中央集権化はなりました。
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そういえば、どんな日本史を見てみても、日本が絶対的なピンチに陥ったときには(蘇我の拡大、元寇後、ペリー来航)必ずと言っていいほど天皇陛下が関わっていました 今の日本の腐敗した状態が治ってくれることを祈っています。
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