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とある日本語教師の中国渡航から現在まで その5 隔離と2年ぶりの中国

とある日本語教師の中国渡航から現在まで その1 採用情報と渡航準備
とある日本語教師の中国渡航から現在まで その2 中国での生活と授業
とある日本語教師の中国渡航から現在まで その3 オンライン授業と給料停止
とある日本語教師の中国渡航から現在まで その4 授業中止と再び中国へ
の続きです。2022年2月〜3月ごろの話になります。

隔離ホテルへ

中国の某空港に到着するとまずPCR検査を受け、その後バスで隔離ホテルへ向かうことになります。どの隔離ホテルになるかは完全に運で、料金なども大体1泊500元程度という相場はあるものの、ホテルによって違います。食事も中華と洋食が選べるホテルもあれば中華のみのホテルもあり、ツイッターでは「ホテルガチャ」と言われていました。ちなみに、私の大学との契約では航空券代(当時片道7000元程度)は負担してもらえたのですが、隔離費(トータル10000元程度)は自己負担でした。痛い出費ですが、未払いの給料も引き出せないお金も諦めて辞めるというわけにはいきません。

隔離ホテルでの生活

地域によって隔離期間には結構違いがあるのですが、私の場合はホテル3週間自宅1週間でした。隔離ホテルでは、1日3回チャットで体温報告、うろ覚えですが3日に1回くらいPCR検査と血液検査がありました。1日3回食事がドアの前の机に運ばれ、出たゴミはまたその机に置いておくというシステムでした。量は十分で味も悪くはないのですが、私のホテルでは洋食を選ぶことはできず毎日中国料理なので、お茶やふりかけや味噌汁などは持っていって正解でした。3週間が経過すると自宅での隔離になり、出前をドアの前に置いてもらうということも可能なので一気に楽になります。渡航前は隔離を我慢できるか心配でしたが、毎日3回食事が提供されインターネット環境もあり、明確な期限もあるため私は意外と平気でした。

2年ぶりの中国

3週間のホテル隔離、1週間の自宅隔離が終わればようやく外に出られます。ただ、どこに行ってもPCR検査によって更新される「健康コード」が求められるのは困りました。上海のような大都市なら外国人でも健康コードが発行されていたようですが、私の市では外国人には発行されませんでした。幸い、近くの病院で検査を受けると紙の証明書がもらえたので、1週間に一度検査を受け、その証明書を携帯していました。たまに説明を求められることもありましたが、大体の場合は紙の陰性証明を見せれば通してくれました。定期的な検査が必要だったり、市外に出るのに手続きが必要だったり何かと制約が増えてはいましたが、2年ぶりにオンラインではなく対面で授業をしたり、学生と直接交流したりできるということはやはり嬉しいことであり、いつ学生は大学に戻ってくるのだろうと楽しみにしていました。しかし、学期開始直前に、「最近はコロナが増えているので、今学期はオンランイン授業になりました」と伝えられます。

では、まだ記憶にも新しいコロナ禍での中国については次回の記事にしたいと思います。このシリーズは次回で一旦最終回となります。

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とある日本語教師の中国渡航から現在まで その6(終) コロナ禍の大学生活とこれから

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