マガジンのカバー画像

日本ベッドを語ろう

15
日本ベッドは昔ながらの「宣伝下手」。「よき製品はよき宣伝也」、よいものをつくっていれば自然に皆さまに伝わると信じて長年マットレスをつくって参りました。でもこれからは、少しずつ自分… もっと読む
運営しているクリエイター

#1950年代

日本ベッドのマットレス 4つのポイント:その1「フレックスアセンブリ」

日本ベッドのマットレス 4つのポイント:その1「フレックスアセンブリ」

日本ベッドのマットレスのつくり方には、大きな特徴が4つあります。
ひとつずつご紹介して参りましょう。

point1:フレックスアセンブリ

フレックスアセンブリは、横になるときの体を均等に受け止めるユニット成形の技です。
ユニット(スプリングユニット)というのは、ポケットコイルマットレスの芯の部分、ポケットコイルスプリングがまとまりになったもののことを言います。

日本ベッドは、独特の方法でこの

もっとみる
日本ベッドの歴史(4):戦後~高度成長期のカタログ

日本ベッドの歴史(4):戦後~高度成長期のカタログ

手づくりのポケットコイル

1946(昭和21)年、社名を「日本ベッド製造株式会社」とした日本ベッドは、進駐軍、官庁、ホテル、船舶運営会など、大口の取引先を得て、地道に商いを広げていきました。

まだ生産設備機械が凍結されていた時代で、マットレスの中身のスプリングはほぼ全て手づくり。スプリングユニットは、糸で刺してまとめる方式でした。

ポケットは農業用の寒冷紗と呼ばれるような平織りの綿布を糊付け

もっとみる
日本ベッドの歴史(3):戦後の本社工場

日本ベッドの歴史(3):戦後の本社工場

1946(昭和21)年、日本ベッドは社名を「羽根工業社」から現在の商号「日本ベッド製造株式会社」に改めます。

戦後の住宅不足は著しく、戦災復興院(1945(昭和20)年設立の政府機関)の発表によると、全国での不足数は420万戸にも及んでいたようです。
日本ベッドは進駐軍を筆頭に、官庁、ホテル、船舶運営会などに製品をお納めしていました。

戦後、池上の本社工場

写真は戦後間もない頃、大田区の池上

もっとみる