アイデンティティー

日本大学探検部55期渉外
久保結花

   最近カレーに『探検』を感じ、夜ご飯に毎日のようにカレーを作っている。
  いきなり突飛な話で、探検とはなんだ、探検を感じるとはなんだ、という問いを読者諸君は持ったに違いない。
 そもそも「私は探検部」と友達に紹介すると翌日には「冒険最近行ってる?」という話になるほど一般人からすれば探検という言葉の定義づけはあやふやなものである。なんなら帰国子女の友人に『Adventure』と『explore』の違いを問うたところ、「そんな厳密に使い分けていないよ」と返答が返ってくるのだから、言葉というものは案外適当に生み出され使われているのかもしれない。
 けれども、我々が所属する探検部では『探検』をしている自分に誇りを持ち、夜になると酒を片手に『探検』を語り合うのである。異様な組織だ。
 人は何か行動を起こす際、目的意識をもって行動をすることが多い。例えば、テニス部に属している人間は優勝を目指して行動を起こす。そうでなくても、テニスを通じて酒を一緒に飲める友人をつくるなど、ある思惑や目標があって集団の中の一個人として動くことが多いのである。つまり、人間という生き物は集団に属しているだけで個人に意味が生まれるということが普通なのである。
 しかしながら、探検部にはこれといった集団としての意味が確立していない。(野外活動を行う部活であるという声に対しては、染物やカエルを食べる部活もあるというところで圧倒的なアイデンティティーにならないという反論をしておこう。)言い換えるなら、探検部には果たすべき目的がない。これは現代の探検部であれば語られ尽くされた話である。

 このことに関して意見を述べるとすれば、『探検』という言葉は動詞なのではなく、実は形容詞であるべきなのではないかと私は考えている。つまり、探検するのではなく、探検的に行動するという使い方こそが探検という言葉の真の用法ではないだろうか。美しいという言葉は誰しもが共通したビジョンがないように探検という言葉にも共通したビジョンがなく抽象的な言葉なのである。だから私たちは、美術家が絵の美しさの定義を積極的に論じ合い、探検家は探検とは何かについて語り合うのである。

             探検とは芸術だ

 では、久保結花の考える探検的に行動するとはなにか。
それは、「世界の誰も知らないことを知ろうとしてニヤニヤする」ということである。カレーに例えるなら、カレーにコアラのマーチをいれて、カレーに合わないモノってあるんだなぁ笑と自分だけの知識を増やしていくことに興奮することである。登山に例えるなら、あの山に登っている記録はほとんどないけどどうなってるんだろと思いながら山に登って、うわぁ自分より背の高い藪だらけだ!と絶望することである。
         この未知に対する感情の変化こそが私の探検に形容されるべき
                                 感情であり、原動力なのである。

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最近作った『ダムカレー白丸湖風~奥多摩の香りを添えて~』


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