見出し画像

【オマケ三味線豆知識】まさかの解釈、人間関係の悩み

息子は熊本産の、旬なスイカを本当にきれいに食べるのですが、過程がなんか、内臓(消化器官)ぽいです。

とりあえず投稿しようと思います、はい。

まさかの解釈。人間関係の悩み


悩みというか、ただビックリした、という話なんですが。

数日前に、マンションの自治会で浮いている人がいて、どうもTwitterでフォローしている人を「知り合い」という人の話を書きました。


私は、顔見知りだから知り合いと言っているんですか?的な、ちょっとツッコんだところまで聞いて、相手が黙ったので、


てっきり自分はおかしなことをしている・・・と分かっているんだと思ったんですけど。


もしかしたら、そうでは無いかも知れない。



その人の話していることに違和感を抱いたきっかけは、自治会でのあり方や、それまでの経歴(専業主婦からパートタイムの仕事、子どもはいない、友達付き合いはめんどくさいもいう話などなど)を聞いているぶんと、その人の言う「知り合い」の数が、どうも噛み合わないと思ったからです。


それで、

「4つ下の知り合いは、バツイチのバリキャリだけれど、家事が苦手で、〇ヶ月前に付き合った彼に『今までどうやって生活してたの?』的なことまで言われ別れることになった。十分に歳を取ると我が出るし、無理しても続かないし、傷が広がる前に別れて良かった、キラキラ生活していて素敵なのに、何を悩んでいるのか?と励ました」と、いう話。



友達付き合いは面倒と言う割に、妙にプライベートな話なので、


それは実際の知りあいの話か?と遠回しに聞いたところ、その人にとって、フォローしている人=知りあい??という定義であるのが分かりました。(フォローしている人全員ではなくて、線引はあるかも知れないけど、私はそれを悟ってその人を不気味に感じました)



で、相手が私のことを敬遠してくれるのなら良かった、と思ったのですが、



なんと、

早々にレベルアップ??の予感です。


連絡が途切れがちになってのも束の間・・・、よくわからないメッセージが入っていました。


たぶん、それは私が

「本当の知りあいか?」って聞いたから。その返事だと思うんですけど


「FMラジオが好きでTwitterでハッシュタグを付けたりイベントに参加しているうちに、知り合いが増えた」


で、


学生から孫のいる年齢がいる人まで、広く浅く交流している、ので、


わりと何でも話題、相談に乗れる・・のだそうです。で、昔は内向的だったけど、いろいろあって奮起してそうなった・・そうです。


ちょっと疑問なんですけど、

 たとえば学生から孫のいる人の年齢の方まで、幅広い世代のYou Tubeチャンネルを登録していて、ライブ配信に参加するなどし、リアルタイムで本人やコメントでやり取りあると、それはもう

「知り合い」ということになるのでしょうか?


英語では、like friend(友達のようなもの)ということばが既に敷衍していて、それと同時に「友達をやめる」というのが、よりライトな感覚になりました。

確かに友達未満なら知り合いといって差し支えなさそうですけど、個人的には相手の顔がわからない・知らない(プロフィール画像が顔でも、本人かわからない)って、知り合いですら無い感が強いんですね。


究極、呼び方はなんでも良いですけど、「知り合い」という私にとっては赤の他人のごくごくプライベートな悩みが、全く違うコミュニティで吹聴されているってことに、強い違和感があります。


フォロー限定にしている人と仮定すると、それは、やっぱり身バレするっていう現実的な危険から程遠くても、「フォローしていない人には知られたくない」っていう心理的なものから、そういう設定にしているということ


あとは


聞いたところで、全く知らない人の悩みは、面白くもないわけですから。


ネタにつまっている芸人でもないなら、その人がなぜ、Twitter交流のあった人の悩みを「知り合いの話」として流すか、私にはほぼ理解ができません。



「鬱状態」になっているときにこの人と関わると、ものすごく拗れそうです。嫌われるだけなら良いんですが、変な噂を流されたりするのは嫌ですね。



その人は、鬱々とした時期もあったけど、今のほうがずっと楽しいのだそうで、自治会で浮いているのを感じてはいても、ハッキリ言ってこない以上、それは嫉妬なのだそうです。


まあ、本人が楽しいのは良いのですけど、ここでの

 to be or not to be 周りが問題と感じているけど、本人に問題意識がないこととは、結局その人にプライベートな話をすると、それをどこかで


「知り合いの話」として、自分の望まない解釈で吹聴されるかも知れないから、ですね。そのため敬遠されるのは、嫉妬というのだろうか。

なかなか悩ましい人物です。


こういう人を見ると、気付かないフリをしているのか、それとも本当に気付いていないのか、気になります。


オンライン・イベントに参加しても、そこから繋がりが増えるのか?と考えると、私はちょっとよくわからないんですね。

私も野鳥の会のセミナーを聴講しますけど、そもそもそこで知り合いの輪を広げようとは考えていないし、知り合っても、なかなか、じゃあ会おうよ、とはならないと思います。

人当たりが良いのは悪いことでは無いのでしょうけど、


Twitterでフォローを増やすのは外交的というのとは違うと思いますし、

 人間関係の面倒な部分を除いて、いろんな人の話が聞ける

 SNSは、そんな便利なツールではないと思うのです。


前述の失恋話を「知り合いの話」として吹聴してしまうって、関係が薄いからこそできるのだと思うけど、良いこととは思えないです。

端的に言うと、広く浅く付き合うなら、それなりに「配慮」は必要、それが「無くても良い」と思っている人は好きにはなれないんですよね。


なんかこう、私よりも年が一回り上で、SNSが井戸端会議感覚なのって悪口も平気で言っちゃうし、いくら本人には伝わらないだろうと言っても。


なんかさ、スマホの便利ツールを敬遠しちゃうお年寄りよりも、イジメとか誹謗中傷は若い子の問題で、便利としか見ない中間の世代のほうが、どうか?って思うことが多いんですよね。



と、まあこういった考え方で、私が

「それは本当の知り合いなの?」と聞いたところ、言い淀んたのは、その人に実は罪悪感があるからと思っていたのですが


一週間もしないうちに、

自分の「Twitter交流」をむしろ誇っているようなメッセージが来たので、驚きました。


自治会のやり取りで、もっとこうしたら強くなれるよ!的なメッセージをいただくので、反応に困ります。





ただのオマケですが、その人に違和感を覚えるのにはもう一つ原因があって。



この4月、これまで通っていた整体が値上げして、それが結構なもので釣り上げでもう行かないって。


値段の都合が付かなくなったことにしたらしいです。


ただ、個人経営の店で営業努力が激しく

聞けば、その人も割引のために口コミやらライン登録やらいろいろして、先日は手紙まで入っていた・あの値上げは欲が出てきたからだ、と、その整体師をまるでストーカーや守銭奴のように言うのですか、



私思うんですけど、「時間がなくなった」じゃなく「お金がない」って、言ったら、駄目なんですかね?

お互い商売する立場なら、なんでも正直にとはいかないし、明け透けな話もしにくいでしょうが、


その人の「都合つかなくなった」という理由じゃ、その後どうですか?くらいは聞くと思うんですよ。


個人?のラインも交換するくらいの、お客さんと店員の距離なわけですし。



お金がないです、生活厳しくなりました。って言ったら、確実に声がかからなくなりますよね。


これは、私の考えがおかしいのかも知れないけど。


相手がおかしいと思ったら


基本、「それを上回る変さ」を考えてやるっていうやり方が、わりと生きる手段として染み付いていると、いろいろと疑問がわきます。


ちょっと三味線の豆知識を披露します。

ショパンのピアノ曲バラード第一番ト長調作品番号23って言われたら、ピンときますか?

クラシック好きまたは、アイススケート好きは、アレね!となる方も多いと思うんですけど

ちょうどショパンの曲あたりから表題音楽というものが、ちょっとずーつスタンダードになり始めましたが、作曲家が戯曲を意識して曲を作らない限り、「タイトル」っていちいち付けてなかったんです。

三味線の出囃子やハメモノ同じで、歌舞伎や浄瑠璃、お能、いろんなところから出囃子風にアレンジしたり、大衆芸能はいろんなものをいじりたおすので、タイトルも、まあ

簡単にいうと同じタイトルのやつがたくさんあります。

さる文献に、初代春団治さんの出囃子には獅子が使われていたって書いてあるんですけど、春団治さんの出囃子といえば「野崎」で、襲名前のこととなると、音源が残ってなければ、この獅子「どの獅子?」不明です。

こうして文化は伝説になっていくわけですが、切ないよね。素人でも頑張っていこうと思います。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?