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王さまの本棚 52冊目

『星の王子さま』

サン=テグジュペリ作/内藤濯訳/岩波書店刊

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あーーーーー!
昨夜、何を書いたらいいかわからないよーって例のごとく夫に泣きついて、テグジュペリは夫も好きな作家なので(『夜間飛行』と『人間の土地』のほうだけど)、いろいろ一緒に考えてくれて、「わおー!こういうことを書けばいいのね!ありがとう!!」と言って意気揚々と眠りについたら、案の定何を書いたらいいかすべて忘れた今のわたしがおります。
つらい!!!

もっとかっちょいい表現を思いついていろいろ喋りまくっていたのですが、断片的な記憶をつなぎ合わせると、

文学には二種類(以上)あって、『ジェーン・エア』みたいにストーリー性と表現を分けて考えて、一語一語ずつの効果を精査していくのが楽しい文学と、宮沢賢治みたいに、読む人読む人にとっての想像・創造の余地を残すべき作品、精査することが野暮となる文学とに分けられないかな、『星の王子さま』はもちろん後者だよね。

こんなところかなあ……もっといろいろ喋ったのですが……深夜のテンションだったので役に立つかどうかわからないけど、メモしておけばよかったなあ。

MOE2021年3月号『モモ』特集で、『エンデはモモをはじめとする登場人物の顔を描かなかった』というようなことを読んだのですが、それは、マイスター・ホラのように姿が刻一刻変わり続けるからのみではなく、読者の想像力にゆだねるところが大きかったんじゃないかなと思いました。
読む人の数だけ、モモが、カムパネルラが、星の王子さまがいる。

だからわたしはどれだけすばらしい作品であっても(ますむらひろし氏の『銀河鉄道の夜』、すばらしいという評判は聞いているし、実際ワンシーンだけ見たところ、とてもすてきだったのだけれど)、これらの作品の映像化はあんまり見たくないなあというところが本音です。

トールキンの作品群だって、もちろんピーター・ジャクソンの映像は偉業といってもいいと思っているのですが、わたしの中のエルフはもっともっと、まさかの、アラン・リーの絵よりも美しい。
(というか、アラン・リーのエルフ以外の人物って、けっこう、生き生きとした、という形容の真逆みたいな顔してるよね。)
あと、『ホビット』観て、PJのドワーフ観に爆死した気分になった。つらい。断片的に、好きな部分をおいしいと味わう作品です、ありゃあ。

閑話休題、『星の王子さま』、とても美しい日本語で訳されているのですが、今回王さまの本棚を書くにあたってあとがきだけ読み返したところ、これがまた、めったんこかっこいい。流麗な日本語とはこのこと。
『濯(あろう)』という名前はたぶん、元祖キラキラネームみたいなもんじゃないかと思うのですが、ご本人が偉大な言葉の使い手になることで、そのキラキラに見合う重厚さを手に入れておられる稀有な事例ではないかと。
ん?本名かな?しらんけど。

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