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泳げなかった僕にとどいた "Anything is possible"

反面教師だった両親が僕にくれたのは、貧乏という家柄と貧弱な身体だった。親ガチャという言葉はなかったけど、ガチャではない。与えられた環境だ。そこから這い上がるハングリー精神が僕にあり、それがいつでも僕に一歩踏み出すエネルギーになっていた。

肉体的なコンプレックスを抱え、運動音痴の僕だったけど49歳で2度目の結婚をし、その妻が走ったり泳いだりしていたので「トライアスロンをやったら?」と妻に言ってみた。

なぜか僕もやることになってしまった。

泳げないのに。

沈むのは得意だ。


トライアスロンはまずはじめに、泳いで、それから自転車で最後にランニングなので、泳ぎきらないとそこで終わってしまう。

僕の泳ぎはひどかった。息継ぎすることが目的となりプールでは天井ばかり見ていた。溺れるように泳いでいて苦しかった。

波や潮流のある海での泳ぎは怖い。怖くなって、自分から手をあげてリタイヤしたこともあるし、制限時間に間に合わないで強制終了になったこともあるし、救助の漁船に引き上げられたりもあった。

完走できたこともあるし、完走できなかったこともある。

66歳のとき、スウェーデンで入賞しハワイで行う世界選手権に参加した。僕がやっているアイアンマンレースというのは、世界各国で予選レースがあり、そこで上位入賞すると出場権を得ることができる。ハワイはアイアンマンレースの最高峰だ。

スイムは制限時間ぎりぎりでアップしたけど、そのあとのバイク180kmに時間がかかってしまった。バイクフィニッシュしたときは7分制限時間をオーバーしてて、ランに行くことができす、そこで終わった。はじめてのハワイは完走できなかった。

2016年 コペンハーゲンで入賞を果たし、またハワイにチャレンジすることができた。今度は完走することができた。

2019年 上海で念願の優勝を果たし3度目の世界選手権は、妻と一緒だった。妻も上海で優勝し選手としてエントリーしていた。妻に会えたのは最後のランだったけど、ふたりでゴールすることができた。71歳のときだ。

泳げなかった僕が、3800mを泳ぎ、180kmを漕ぎ、42.195kmを走る。

Anything is possible. 
This is my sport.

なんだってできる。不可能はないというアイアンマンのテーマが好きだ。

3種目のそれぞれのタイムマネジメント、セルフマネジメントは経営者である僕にあっているし、生き残りゲーム、サバイバルのようなところも極貧から成り上がった軌跡と通じるものがある。

泳げないところからのはじめの一歩だからこそ、おもしろい。大人になってできないことができるようになる、というのは快感だ。

人の快楽、しあわせとは自分の成長につながることに出会うことかもしれない。

トライアスロンをはじめて20年になる。

できることができなくなっていくことを少しづつ知っていくことも成長だろうか。

大丈夫。なんだってできる。
Anything is possible.


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