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大事なことは言葉にできない

いちばんたいせつなことは、目に見えない、とキツネが言いましたが伝えたい真心も目に見えません。

誰かの口になる、耳になる、目になる、伝える。

大それたおごったことと思われがちですが、それは哀しく美しく難しいものです。暴れん坊将軍で有名な徳川吉宗の嫡男、徳川家重のお話です。

まいまいつぶろ 村木嵐

口がまわらず、誰にも言葉が届かない。歩いた後には尿を引きずった跡が残るため、まいまいつぶろカタツムリと呼ばれた君主がいた。常にそばに控えるのは、ただ一人、彼の言葉を解する何の後ろ盾もない小姓・兵庫。だが、兵庫の口を経て伝わる声は本当に主のものなのか。将軍の座は優秀な弟が継ぐべきではないか。疑念を抱く老中らの企みが、二人を襲う。麻痺を抱え廃嫡を噂されていた若君は、いかにして将軍になったか。

幻冬舎

テレビドラマでの家重は、顔面麻痺で肢体不自由でときに狂気として描かれていることがありましたが、その口である兵庫の出番はなかったのではと思います。

兵庫は、耳がよく鳥の声も聴き分けられ、誰にも聞きとれない家重の言葉も理解できました。それが兵庫にとっては自然なことで特別なことではないからこそ大それたおごったことではないのです。

家重の苦しみ、悲しみ、怒りを受け止めるために家重の口になる。だけど目と耳にはなってはいけない。

それがしの口だけを取って、長福丸ながとみまる様(家重の幼名)のおそばに置きとうございます。あのようなお身体で若君様と呼ばれなさるお苦しみを思えば、それがしは口になってお仕えしとうございます。

えっ?まだ読みはじめたばかりなのに。これから物語がはじまっていくのに。もう?心が揺さぶられ熱くなり涙が溢れてきた。困った。

病気や身体不自由、麻痺が今よりもずっと理解することが難しい時代に偉大なる父を持ち、誰にも理解されずにいた家重に兵庫が寄り添い、主従関係というより、相棒で腹心の友で。ふたりのお互いを思いやる気持ちが、最後まで哀しく美しい。

家重は立派な目と耳と頭を持ち、後に郡上一揆を将軍として采配します。それは百姓たちの言葉が通じない苦しみを知っていたからです。

たとえ十分に話すことができても、思いが通じぬというのが人の常だというではないか。ならば己は、もはや口がきけぬという苦さなくなった。

思いが通じない、現代でもありますね。
話すことはできるのに。

静かで美しいお話です。
言葉でなく伝えようとする真心を大切にしていきたいと思いました。


著者の村木嵐むらきあらしさん、司馬遼太郎先生のお宅で家事手伝い、司馬夫人みどりさんの個人秘書という経歴の方です。

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